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果たして人見知りなのか?

僕は人見知りな性格である、そう考えて生きてきた。

新しく出会った人とどういった話題で話しかければいいのか、いつもその人の顔を見ながら思考停止してしまい、そんな固まってる自分を俯瞰的に「あ、例のやつ出てる」と冷静に見てることに気づく。
何か世間話をするにしても、こちらから伝えられる話題は無いと思ってしまっているし、本当に頭の中に浮かんでいないのでなにも出ない。本当の意味で思考停止。

とはいえ、相手とある程度の仲が良くなっていれば、世間話ができることも仲を深めることもできることもまた、自分でよくわかっていた。
相手の趣味や人間関係のことを知っていると、最近あれどうですか?なんて話しかけることができる。冗談交えたり、いじりあったりなんて素敵な共感ができて楽しい時を過ごせる。

それなのに、なぜ自分はコミュニケーションが苦手だと思ってしまうのか。

30代になって、ある人との出会いが僕の価値観を大きく変えた気がする。


何が思考停止させてしまうのか

別に緊張してるとかそういうわけでもなく、人との付き合いも別に嫌いではないしむしろ好きなはずなのだ。みんなと楽しく過ごす場にいることが好きなので飲み会も好き。
職場は割と残業が多めな環境で、みんな遅くまで残っていることが多いが、そろそろ仕事終わらせて飲みに行こうぜ!という流れになることが多い。そういうときは率先してついていくくらいだ。

でも、やっぱり人と話すのは苦手。いったいどこに苦手意識を感じているのか。

読んでくれている皆さんは、普段人と話をするときにどんなふうに話題を考えてますかね?

こないだこんなことがあったんだよな…、最近考えてることがあって…、最近ハマってることこれで…。そんな感じすよね?

だいたいこういう話題を持ってて、それでも会話が苦手な人って、この話題出すと何か変とか思われるかな?とか、つまらないって思われるかな?とか、ネガティブ思考をイメージしてしまって躊躇する感じだと思う。

でも僕の場合、色々考えてみると、そういう「人にどう思われるか?」という心配に悩まされているわけではない感じがする。仕事柄チームを束ねる立場として人前に出ることも多々あるが、別に話題を持ってれば緊張はしない。話の流れと着地点が見えているので、あとはみんなに一生懸命伝えるだけだからだ。特に仕事での人に伝える場面は場数が結構あったので、相当練習してきたと思う。

つまり、そこなのだ。話の流れと着地点。

30年以上人生を経験してきて、それなりに色々な経験をしてきたと自信はあるが、その経験を切り取って話の流れに組み立てと、そこから感じた感情とか悩みとか、どんな結末に着地したか認識してない。

自分の中で体験と感情と記憶がバラバラな状態。

だから、人に話を始めるときに、どこに着地するかわからない状態で始めなくてはならず、それが恐怖でしかたなくて思考停止してしまうのだ。自分の中では、視覚的なイメージで頭の中に記録、再生されるので覚えてないわけではないが言語化ができない状態で脳に刻まれてる感じ。

そこまで自己認識できていて、それでもずっと頭は晴れないモヤモヤ感に苛まれて生きてきた。

気づきを与えてくれた出会い

漠然としたモヤモヤを抱え続けて生きてきた30年間だったが、最近そんな状況に変化が訪れた。初めてのnoteでも少し触れたが、いまたくさんの若手メンバーと一緒にチームで仕事している。その若手の中の、ある女性がものすごく気持ちのいいコミュニケーションを取ってくれる人なのだ。

書きやすいように、ここではその女性をSさんと呼ぶことにすると、Sさんは声がハキハキと大きく、挨拶も笑い声もよく通る、そしてみんなとしっかりと向き合い、それでいて責任感が強くよく働く。既婚であり、タバコを吸う(ここ重要!)人なのだ。一言で言えば、快活明朗でコミュ力おばけ。きっとモテてきたタイプだと思う。

Sさんを含め、チームメンバーとはよくお昼ご飯を食べに行くのだが、だいたいそこでSさんが口火を切って話題を出す。

  • 引っ越しの見積もり出したらめっちゃ高くて驚いた

  • 掃除が嫌すぎてルンバ買ったら快適過ぎて嬉しい

  • 面白いYouTubeチャンネル見つけて最近良く観てる

ほかにもたくさん話題はあったが、だいたいこんな話をきっかけに、昼飯トークが花開く。

最初の頃はただただ、楽しい話の場を作る人だなぁと思ったが、何回もSさんと話していくうちに、話の作り方がなんとなく見えてきた。毎回必ず、出来事と感情がセットになってるのだ。そして、共感ポイントが必ず一つある!

出来事:引っ越しの見積もりを出す
感情:驚いた
共感ポイント:めっちゃ高い!ありえない!

出来事:ルンバ買った
感情:嬉しい
共感ポイント:掃除が快適すぎてヤバい!

出来事:気になった動画観てる
感情:面白くてついつい観ちゃう
共感ポイント:(この話題は深堀りしてなかった)

(YouTubeの話題だけ共感ポイントを想像できなかったけど、その人がどこを共感してほしくてその話題出したのか、聞けば良かったなと上の文章を書きながら反省。Sさんの面白くて興味をそそられるポイントが聞けたはず…。よくよく話聞いてるとそんなにチャンネル内の動画数を観てるわけじゃなかったので、動画テーマとして何かピンと来たんだろうな)

人が話題を出してくれるときって、その話で人と楽しい時間を過ごしたいから出してくれるわけで、楽しい時間ってやっぱり共感なんだよなと。

体験と感情と共感を繋ぐ

話題の着地点が感情と共感なんだとすると、共感を避け続けてきたのが僕の人生でもあったな、というのも新しい気づき。
そもそも僕が自分の中の瞬間的な面白さに従って生きてきた人でもあるので、共感ポイントが作りづらい生き方でもあったし、ハマってるものがその時によって端っこ系だったりもしたので、それを明らかにして共感してもらえなかったらと考えると怖かったというのもありますね。

それに、最近の出来事を振り返ると、友達とも会わずに一人で過ごした週は、そもそも人に共感してほしいような想いも感情も湧いてないし、覚えてもないよなと。あれやったなー、これやったなー、くらいの記憶しかない。
なので、必然的に着地点のない経験ばかりが溜まるようになって、それで人との会話で「休日はこれをやってます」以上の話の展開ができずに、話し始めるのが恐怖になって、人見知りっぽくなっているのだなと。

ここ共感してほしいんです!をこちらから提供してあげない限り、話は着地せずに発散しそうだし、相手にも失礼だよなと。ぶつけるもんぶつけて、それでも相手に共感されなかったらそれはそれで良いし。

お金がかかって
手間がかかって
時間がかかって

あたりの、リソースを思わず大量消費したことや、逆に

安上がりになった
手間が減った

あたりの意図せず浮いた話も、共感ポイントになりそう。

ラッキー、アンラッキーな結果になったことは、少なからず生活していれば発生するはずで、それをこぼさず拾い上げていって体験談と繋げていくことで、人との話題にできそう。


といった、共感の種を色々見つけたのが、ほんとつい最近の気づきでした。30歳越えてからでも、意外な出会いで新しい視野の広がりに繋がるのだなと、これからの人生が楽しみになる発見でした。
Sさんとの出会いは仕事柄たまたまでしたが、いつどこでなにが起こるかわかりませんね。

よーし、人間力磨いて彼女とか素敵な出会いゲットするぞー

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