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日本一周#11釜石〜13年経った今〜


2024年 3月11日


釜石は、文字通り鉄鉱石の町。

駅前に日本製鉄

日本最大の鉱床らしい。すごい。
鉄を運ぶ需要から、釜石線は日本で3番目に開通した鉄道。
新橋〜横浜、京都〜神戸の次って考えたら、超重要路線だったんだね。

もっと身近で言うと東海道新幹線のレール作ったり、ここの製鉄所の成功で、八幡製鉄所もできたり。調べたら、案の定高炉は世界遺産に登録されてた。

ほんとは鉄の博物館行きたかったけど、駅と離れてて断念。ちなみに、ここの現館長大島さんは、日本初洋式高炉を建設した盛岡藩士、大島高任の玄孫。大島家で発展した町とも言える。



10:58 釜石から少し北に戻って、寄り道。

三陸鉄道 レトロ列車

ガラガラだったのに、J Rが着くと大量に撮り鉄っぽい人が走って乗ってきて怖かった。
でも三鉄が人気なのは岩手県好きとしては嬉しい。


10分だけ乗って鵜住居駅(うのすまい)
に到着。駅を出るとすぐあった。

供花が配られてた

報道関係者も多くいて、地元の方らしき人も沢山いた。
今日はあの日から13年。



・・・


自分は当時小学生で、東京にいた。
校庭で体育の授業中、少し揺れてる感覚がした。みんなも「揺れてね?」となり、先生に1箇所に集まるように言われた。
校庭に居たから、周りに揺れてる物もなく、そんな大きい地震とは思わなかった。それはみんなも同じだったらしく、非常事態に少しテンションが上がっているようだった。先生だけが険しい顔をしていたのが印象的だった。


教室に戻ると、初の緊急下校となった。そんな大袈裟な。でも確かに黒板消しとかが床に落ちてたような。
親が迎えに来れる人はすぐに帰った。そうじゃない組は教室に待機。残った10人くらいで教室の窓から夕日を見た光景が、強く記憶に残っている。

その後友達とその親と一緒に帰る。自分は家族と仲悪くて迎えに来なかった気がする。


家に帰ってテレビで流れている映像に、度肝を抜かれた。CGか?と何度も疑った。
今でも頭から消えない、津波が田畑を飲み込む映像。
そして政治家が何度も繰り返す、「直ちに健康に被害はない」という文言。小学生でもそれが嘘であることは分かった。大人は子供に嘘をつくなと言うのに。この嘘付き、とTVを見てずっと思っていた。国は何の頼りにもならなかった。あの時、政府の正体を見た、と思った。

まさかこの時から抱いた積年の疑問が、大学受験の時の学科選びに影響するとは思わなかった。
勉強しなければいけない、と思い政治学科に進学した。

自分にとって東日本大震災は、人生で1番最初の衝撃的な出来事であった。



・・・



本日の目的の建物に入る。

「いのちをつなぐ未来館」

たまたまGoogleマップで見つけた、どうしても”今日”来たかった場所。

館内はコンパクトだが、写真の資料が豊富にある。

家の数が違いすぎる



1枚1枚、考えされられる。

たった20枚程度の写真集だが、強烈に感情が揺さぶられる。途中座り込んで休憩を挟んだ。じゃないと見続けられなかった。


館内でビデオが流れていた。
地震発生時に1人で家にいた小学生の子のビデオだ。
「自分の身は自分で守れと言われていたので、親の事は考えずに1人で逃げました。」
と、インタビューに答えている。
普通なら親を探しに行ってしまうと思うが、この子は1人で高台に逃げ、その後家族と合流できた。

日々の教育が命を救った。


だが「教育が大事」と、言うだけなら簡単である。
この施設は反省点も言及されていた。

例えば、「避難所」を「緊急避難場所」と間違えて避難し、津波に巻き込まれた人が居たので、建物の改名を行ったり。
 また、明治時代の津波を食い止めた防潮堤が、150年という時間で “安全神話”となり、逃げなかった人もいたらしい。
そこで津波の恐ろしさは執拗に強調されていた。津波は時速36kmなんだね。

「大切な命を守れなくても、絶対に自分を責めるな」
と、大事なことも書いてあった。これは難易度が高い。どういったアフターケアが必要なのかと言うことについては、考えなければならない。
被災者に物資を送るのは、メンタルをケアすることではないからね。




ある展示に目が止まった。

「命があるだけで感謝しなければ。」
うん、そうだよな。何か辛い壁を乗り越えた人は言葉の重みが違う。
辛いことがあっても、「自分より苦労してる人はいっぱいいる」と考えれば、自分の悩みがちっぽけになる。


まだ考えなければいけないことは沢山あるけれど、今日来れて良かった。

恐らく今日は東北各地に取材が来て、震災の話をしているんだろう。

でも、現地の空気とテレビ越しではやっぱり受け取り方は異なると思う。
現地では泣いてる人もいれば、笑い合ってる人もいる。
現地だと演出やカットもないしな。


気持ちを切り替えてご飯食べて、行程を進めよう。
供花の広場のちょっと先に目立つラーメン屋があるからそこで。

釜石ラーメン

年配ご夫婦でやられてる店。
店内は10人ちょっとの空間。ちょうどお昼時で満席になる。忙しそう。
客のほとんどは恐らく式典関係の人。
自分は名物縛りなので、釜石ラーメンを注文した。

4人組くらいの男性が注文しようと、
「味噌ラーメンとチャーシュー...」
と言うと、店主が厨房から
「全員釜石ラーメンにしてくれると助かる!」
と言って、店内が笑いに包まれた。自分も笑ってしまった。
100m先には泣きながら供花してる人もたくさんいたのに、この店内の明るさ。このギャップよ。

そこで、あるマンガを思い出した。


『ふしぎの国のバード』というマンガがある。明治時代に、イギリス人冒険家イザベラ・バードが日本を旅した実話を漫画化したもので、江戸の日本文化が精細に描かれている。
その中で、印象的なシーンを思い出したのだ。

〜火事のシーン〜
「自分の街が廃墟になっても泣き叫ぶものもなく、誰もが平然と笑っている。
まるで滅んだら滅んだで全てさっぱりと受け入れるのが当然のような。
これは、火事に限ったことではなく、文明の深淵のような価値観の話だと思うんです。」

『ふしぎの国のバード』 第26話

〜土砂崩れのシーン〜
バード「本当にひどい災害でしたね...」
碇ヶ関の長「わしらは山の恵みで暮らしております。山の怒りを嘆くなど、とんでもないことです。」

・・・

バード「ずっと考えていたの。この国の識字率が高いのは、紙の生産量が多いからでしょう。製紙技術が高いのは、水も土壌も豊かで、原料が潤沢だから。
そして自然が強いからこそ、厄災も滅びも、日常の中にある。生活も文化も技術も世界観も、文明のあまねく万象が、気候風土に起源を持っているんじゃないかしら。」

『ふしぎの国のバード』 第41話

日本は災害大国というのは周知の事実だが、これが日本文化の深淵だ、と主人公バードは仮説を立てる。
この先日本一周の中で、日本の災害と復興の様子を全国で見た。地震、津波、噴火、台風...
なんだ、日本は被災地だらけじゃないか。そしてどこも災害と復興を経て発展してきた。この日本の強さを、ラーメン屋でのみんなの笑顔で実感した。

被災地といえば暗いイメージを持つが、実際に来れば笑ってる方もいて、なんならこちらが元気を頂くくらい明るい方もいる。
人間はなんて美しく強いんだろうか。



お店を出る。
旅を再開しよう。

もう一度三鉄に乗り、釜石へ。

この言葉も、胸に響く


14:18 釜石線に乗る。この路線は、別名銀河ドリームライン。その由来の地は、復路で寄る。

ヒント
1ヶ月後までバイバイ


大好きな北上線に乗り換える。
前来た時は、ほっとゆだ温泉に入って、錦秋湖のカフェでベーグルを食べた。その時、この穏やかな北上線の魅力にハマってしまった。

前来た時
「遠野物語」読みながら乗ったの
幸せだったな


今日は、夕方に乗ることができた。

錦秋湖辺りが絶景。雪の被った碧色の湖が、夕日に照らされて輝いている。
スイスと見紛うほどの景色。


終点の横手はもう秋田県。東北も明日が最終日。はやいもんだ。


夕飯。また麺類だけど、美味しければ問題なし!

横手焼きそば



交通費 三陸鉄道      620  
    青春18切符    12050

飲食費 釜石ラーメン    600
    横手焼きそば&
    あさりの酒蒸し  1200

観光費            0
宿泊費 横手プラザホテル 2548

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