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人混みへの冒険。

日曜日の雨の日。デパートは人間がひしめき合っている。
それはそうだ、雨だと外で活動ができない。そもそも私が住んでいる地域は公園くらいしか親子連れで遊べる場所はない。デパートは食料品売り場もあれば化粧品売り場もあれば日用品もあれば100円均一のお店も入っていればおもちゃ屋さん、ゲームセンターまである。ちょっと家電だって取り扱っている。そこに足を踏み込めばしばらく退屈はしないのだ。

人混みが苦手な私はもちろんそれを予期していたし、日曜日にデパートに行かなくてもいいように前日に買い物もしていた。

なのに私は今デパートの2階にいる。

ことの始まりはこうだ。プラスチックに穴を開けるために使っていたピンバイスが3mmのサイズしか無かった。必要になったのは2mmと5mm。
「あぁホームセンターに行こうかぁ。雨降ってるけど歩く?う〜ん、面倒だから車で行くか」
とめっきり独り言が多くなった私はベランダから洗面所まで歩きながらボソボソ呟きながら歩く。私は誰と会話してるんだろう。

本降りの雨は毎回毎回「大丈夫かなぁ」と不安になる。西日本豪雨災害を経験しているからだ。やはり一度災害にあうと同じような場面に出くわすと怖いなと思う。
と言っても私はそこまで被害を受けたわけではないのだが。

ホームセンターでピンバイスを買う。「これだこれだ」と2本。レジに向かう途中「これ袋から出した後、剥き出しのままだと危ないよなぁ」と思う。入れるためのケースを見に行く。手頃なものはなく、しかし近しいものがある。が、ちょっと値が張る。数百円なのだが、、、「これ100円均一に行けば良いのがあるのでは?」

結局ホームセンターではケースは買わず、お菓子も買って帰ろうと思っていたがスナック菓子も少し値段が高い。
「よし、ケースは100円均一に行って、お菓子はちょっと離れたスーパーに行こう」
そう意気込んでホームセンターを出たのだが、外は雨、本降りの雨、入店する前よりも強い雨。

選択すべきは3つ。
このまま諦めて帰るか。
計画通り2つの店(100円均一とちょっと遠くのスーパー)に行くか。
すぐ近くにあるデパート(すごい人混みが予想される)に行って100円均一と食料品を買うか。

その選択のおかげで私は今、人でひしめき合っているデパートの2階にすでに吐き気を催しながら立っているのだ。

 通路がそんなに広くなく商品で溢れている店はどこに何が置いてあるかは知っている。自分の生活圏の中にあるので覚えてしまっているのだが、どうもこの人混みの中では思ったように進めない。
 当たり前のように横に広がって歩く家族。
 一切の行動の予測ができない小学生。
 尋常じゃない低速で歩くおばさん。
 絶妙に追い越しづらいおじさん。
 そして様々な匂いが入り混じっている店内。

 最近マスクをしなくてもよくなった。

 そういう風潮ができてそれは喜ばしいことではあるし、ようやくこれまでの生活に戻すことができるようになったと思うのだが、3年間マスクをしていたことで未だに知らない人の顔を見ることに少し戸惑いを感じる。はっきりとその人の顔を見ることによってその人がどんな表情をしているのかどんな顔色をしているのか見えてしまうのだ。

「なんか不満に思っているのだろうな」とか
「疲れている表情だな」とか
「嬉しそうに笑っている」とか
「真剣に考えている」とかとか

そう言うのが自分にとってはストレスに感じてしまう。他人の感情が一気に押し寄せてくるようで思い切り疲れてしまうのだ。他人のことなんて何もわからないのに。

 それともう一つ。「この人の顔はどんな顔なんだろう」とも思って思わず見てしまう。美人な人。かっこいい人。おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさん、子ども。この人はどのくらいの歳の人?「あ、この2人は親子だな、顔そっくり」と。まぁ全然考えなくても思わなくてもいいことが頭をよぎる。そのきっかけの人物は目の端から消え、また新たなきっかけが目の端に飛び込んでくる。
 
考え過ぎなんだよなとも思うが、目につく人の顔が私を圧倒してくる。

 マスクはしなくてもいいようになっているのだが、お店や電車など不特定多数の人間がひとつの空間にいる場所に赴く際はマスクをするようにしている。それはウィルスの予防の観点でもそうなのだが一重に『匂いの遮断』というのが大きい。

匂うのだ。もちろん「臭い」もそうだが「いい匂い」も『匂う』のだ。
これが実は一番厄介で様々な匂いが様々な方向から香ってくる。

「え、何日か風呂入ってない?」と思うような匂い
「乾くのに時間がかかったのかな?」と思うような生乾き臭
「鼻をつんざかれそうだわ」と激昂してしまいそうな過度な香水臭。
「う、嫌いな匂いだ」食品売り場の漬物の匂い
「突然甘い匂い?」店の入り口のベビーカステラの匂い。
そのどれも私には対応するのがしんどいものばかりで、私はマスクをしている。
 ここでも全然気にしなくてもいいことが鼻腔をついては残り、新たな匂いが鼻腔をついては残る。

 音はなんとか我慢できる。が体調の優れない日はダメだ。慌ててワイヤレスイヤホンを耳に装着しスマートフォンから設定でノイズキャンセリングモードにしてボリュームを大きくして好きな音楽を流す。
 最近は『藤原さくら』の『wood mood』をヘビーローテーションしている。『藤原さくら』は今聞くべきアーティストだと思う。体調の問題で活動をストップしているがしっかり療養して復活してほしい。この休止期間で得た情報や感性でどんな音楽を聴かせてくれのか楽しみだ。

 音の遮断はレジの際に困るのだ。イヤホン側で音楽は停止することができるしノイズキャンセリングも出来るのだが耳にイヤホンを入れたまま店員さんと対応すると相手にいつもより大きな声を出さなければならないと思わせてしまうのではないかと思うのと、「こいつ、やりとりするならイヤホンとれや」と思われているのでは無いかと思ってしまう。
 しかし買い物かごを持ってイヤホンを取ってケースにしまうのも大変であるし、ケースにしまわずに手に持ったりポケットに入れたりするのも紛失してしまいそうで不安だ。

 セルフレジ、これも人と人が対面にならないようにと言うことでコロナ禍で広まった気がする。間違えていたら申し訳ない。
 
 なんだかコロナ禍がとてもマイナスの面しか無かったとあまり思えないことが最近増えてきた。
セルフレジもそう。
マスクをしていることもそう。
オンラインで他者とやりとりすることに抵抗感がなくなったこともそう。
良かったことはそのまま残していってほしい。

 私は人混みに揉まれながら、このようなことを考えているのだ。

 一刻も早くストレスしかない場所から離れるために本日の目的を駐車場で確認する。
「ケースとお菓子」「ケースとお菓子」「ケースとお菓子」
何度か呪文のように呟き2階の100円均一へ。

 途中5歳児くらいの子どもが進行方向にいたので、この子どもがどう言う動きをしてくる予想する。子どもの動きは複雑怪奇だ、突然右に進んでみたり、突然後ろを振り返り突撃してきたり、右に行くと見せかけて左に向かったり。更に親の呼びかけや親に気づいて欲しくて驚くような行動もする。
 大人は大体動かない。2人以上でいる人たちの場合は全くこちらに気づかず、更にお互い気を遣い合って歩を進めるのが遅い。2人ならまだ良いが3人になるとそういう気づかない2人の先にその2人に連帯しているもう1人がいるのだ。

様々なトラップを超え、ついに程よいケースを購入。1階に向かう。食料品売り場は2階とは比べ物にならないほどの人。

買うべきはお菓子ただ一つ。

 食料品売り場は狭い通路に買い物カゴを持っていたり、カートを押していたりと普段の人の空間よりも広く空間を使っているので、避けることや追い越すことが難しい。カートを押している人にしてもカゴを持っている人にしても普段自分という肉体以上の質量を身にまとい扱っているのでその『カゴ1つ分』が後ろの人の進行の妨げになっていることに気づいていないし、カートを押している人はそのカートの先が自分の前にいる人に当たっている事に気づかない。何度カートの先をぶつけられたことか。

お菓子を選んでレジに持って行く。もちろんセルフレジだが日曜日のセルフレジは人がいるレジよりも混んでいる。それはそうだ、たくさんの品物を素人のお客がバーコードを読み込ませるからそれは時間がかかる。人が少ない時はスムースなのだがこういう時のセルフレジは困難だ。
いかにレジを担当している店員さんがプロの仕事をしているかということである。頭が下がる。「どうでもいいからさっさとワイヤレスイヤホンと取れよ」と自分の頭を自分で叩きたい気持ちになる。「困らせるなよ」と

待つ。僕は待つ。待つ他ない。

数10分後自分の番がやってきた。これなら対人レジに並んだほうが良かったのではないか?と思いながら会計をする。
何度もやり慣れているし、点数も少ない、会計もスマートフォンでキャッシュレス決済なのでサクッと終わらせられる。自分もレジできるのではないか?と思うのだが、絶対無理だ。本当に頭がさがる。

全てが終わり肩の荷が降りた。これで帰れる。そう私は帰ることができるのだ。

人混みへの冒険が終わった。

もう嫌だ。



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