アーチェリーから教わったこと②アドバイスはすぐに実践するべし

高校の恩師はとんでもなく変わった人だった。
アーチェリーバカという単語では収まりきらないエピソードがたくさんあるので、今後少しずつ書いていこうと思う。
私がここまでアーチェリーが出来るようになったのは恩師との出会いがあってこそなので、もちろん感謝をしているし、指導内容はトップを目指すために必要なことばかりで、とても同じ指導はできないという尊敬の気持ちもある。

でも、ちょっと、いやだいぶ、変わっていた。

恩師の指導にはいくつかのこだわりがあったが、その一つが「アドバイスをすぐ実践する」であった。
こうやって書くと柔らかい表現になるが、実際は、
なんで俺がわざわざ時間を割いて言ったことをやらへんねん?!
という定型文で怒られることがしょっちゅうあった。

この気持ち、今ならものすごく分かる。私はそうは言わないけど。(もしかしたらもっと嫌味に聞こえる言い方をしてるかもしれない…)

なぜアドバイスをすぐに実践しなくてはならないのか?

まず、そのアドバイスは、発言者の経験をもとに発せられた言葉である。アドバイスする人が、汗水垂らして、時には命を削って経験したことを、相手の役に立つようにと言う思いやりの気持ちで言っている。そのアドバイスを実践しないのは、イコール、その人の気持ちを無視することになる。

そして、無視した結果どうなるか。その人はもうアドバイスしてくれなくなる。自分を削って経験し、得た事は、ちゃんと受け取ってくれる人に聞いてもらいたい、と思うはずである。…と言うか、単純に、無視されたら悲しいし寂しいやん。わざわざ悲しんだり寂しくなるようなことは、誰もしたくないはず。アドバイスを受け取ってくれたかどうかは、返事の仕方とか聞く時の態度ではなくて、その後そのアドバイスを実践してくれたかどうかで判断する。

相手のためを思って、時間を作って、自分の引き出しから相手に合うだろうことばを選んで、自分の貴重な経験を話したのに、何にもしないのは失礼である。…いや、なんでわざわざ聞いたん?と全力で笑いなく突っ込みたい。時間返して、と。

でも私は恩師ほどストレートに言えず、
「なんか、合わんかったん?」
「ああ、今はそこを治したいじゃなかってんな〜」
「…そっか〜〜…」
みたいな発言をして、二度とまともな指導はしない。

ストレートに気持ちを生徒にぶつけていた、恩師の言い方の方が分かりやすくて、伝わりやすかったかもしれない。

ほぼ毎週土曜に行われる、恩師の定例の講演会で、その時テーマになることを聞く。その後、練習に行く。恩師もやってくる。射っている姿を見て、講演会の内容が実践されていないと、前述の言葉を言われる。
そこには、「アドバイスをすぐ実践しなさい」の他に「俺のいうことを聞け」という気持ちもあったかもしれないが、プラスして、「君のやっていることはアドバイスから遠く離れてるよ」という事を伝える意味もあったと思う。

「やってるつもり」は、「つもりの射ち方」が上手くなり、それはイコール、下手になる練習をしていることになる。「つもり」は「アドバイスを生かした射ち方」ではない。

これを「私は僕は頑張ってるのに、先生は認めてくれない!」なんて事を言う人もいるが、自分のことが見えていない証拠で、論点がズレている。認めるとか認めないとか言う話ではなくて、やっていることがアドバイスに合った事なのかどうかの問題である。(でも本当にこう言ってしまう人が増えた気がする…)

ちなみに選手としてアドバイスをしていただく時には、とにかくすぐ実践!するように心がけている。
アドバイスして貰えないのも、寂しいのである。

特に、こんなに長くアーチェリーをしてしまうと、誰も何も言ってくれなくて………涙
アドバイス、お待ちしております。




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