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一統合失調症者の自分史 反省と後悔⑦

 三宅康雄

 学習塾を首になった後、倉庫係のアルバイトをしました。日給4200円です。豪徳寺に遊びに行くと、寿一郎叔父が就職しないとありつけないよと
ニコニコしながら言います。確かに30手前にもなった男が日給4200円のアルバイトをしていても女の人からまともに相手にされるはずがありません。ですけど同じ倉庫係をしていて、それでいて彼女とやりまくっている連中がいました。それは10代後半の定時制高校生の連中です。こっちは彼女もいないどころかインポだ。人生残酷です。

 倉庫係のアルバイトは年内いっぱいで辞め、新年からは、運送作業員のアルバイトを始めました。社員の運転手の人が私に「何か考えていますね。」と言いました。そうOさんの言葉を考えていたのです。担当の社員は何回か変わったのですが、そのうち事故が起こりました。金型というのでしょうか
平面形が正方形で厚さが5cmはあろうかという分厚い金属の板が上下2枚重なって棚に置いてあるのです。社員は上の板と下の板の間の隙間に手を差し込んで、私と一緒に棚から降ろそうとするのです。私は上の金属板と下の金属板がしっかりと固定連結されていればいいけれど、そうでなければ大変な事になると思いました。しかし私はこの社員から「君は理屈が多すぎるんだよ。黙って俺の言う通りにしていればいいんだよ。」と言われていたので、私の懸念は口にしませんでした。そうしたら金属板が落下してきて、あたりに火花が飛び散り、私も社員も足の親指を完全骨折するという大変な事になってしまいました。

 こうして家で寝たきりの状態になりました。私は家で寝ながら今後の人生について考えました。そして今からでも博物館はどうかと考えつきました。博物館に入りたいんだったら学芸員資格がなければ仕方がありません。それで学芸員資格取得のための勉強を始めました。私の場合、博物館学と社会教育と教育原理と視聴覚教育の四科目で合格点を取れば学芸員資格が取れるのでした。勉強は大変でした。どれも教職科目でOさんの「教え方は上手くならないよ」という言葉の射程内に入るからです。哲学を潰し学習塾を潰しただけでは気が済まず、博物館への道まで潰そうとするのかと思うと1時間おきに洗面所に行って吐かざるを得ませんでした。こうして文部省の学芸員資格認定試験を上野で受験しました。過去問では博物館学や社会教育は難しいのですが、視聴覚教育は易しかったので甘くみていたら、視聴覚教育を落としてしまいました。一発合格できなかった衝撃は凄まじかったです。

 試験の翌日から母校である立正大学の坂詰先生に紹介してもらった日野市の落川遺跡に行きました。この頃たまたま豪徳寺ではお祖父さんが亡くなるという出来事が起こりました。お祖父さんの入院している病院にお見舞いに行きました。お祖父さんに「私は学芸員資格を受けます。仕事は遺跡をやります。」と言うと、気管切開されて言葉を喋れなくなっているお祖父さんは
紙に「自分も頑張るから、お前も頑張れ」と書いてくれました。






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