障害が多い人は不幸なのか
友達と話した時のキロク*
※ここでいう障害とは、病気的な障害ではなく、何かをしようとした時のハードル・邪魔する考え方・今ある現実的な意味で使っています。
何かをしようとした時、
障害が多い人と、少ない人がいるような気がする。
例えば、大袈裟にいうと、
同じ目的地まで歩く時でも、
舗装された直線の道を、風を感じながらたまに蝶々と遊びながら鼻歌歌いながらスキップして進める人と
ジャングルのように草木で視界が悪くて道がなくて目的地が見えなくて一歩進むのもやっとな人と
そんな人がいると思う。
両者それが当たり前で、
スキップしてる人は、一生懸命草木と戦いながら進んでる人を見て、「何やってるの?」と不思議そうにするし、
一生懸命草木と戦いながら進んでる人は、スキップしてる人を見て、「こっちはこんなに頑張ってやっと進めるのに」と憎みたくなったりもする。羨ましくて比較して落ち込んで自分の環境や過去を呪いたくなる。
スキップできる方が優れていて、いいことで、望ましいことなのか?
草木と戦いながら進んでいる人は、大変で可哀想で、望ましくないことなのか?
分からない。
特に当事者視点で考えると、本当に分からない。
けれど
スキップしてる人には見えなくて
草木と戦ってきた人だからこそ知っていることが、確実にあるとは思う。
舗装されている道のありがたみ、
ジャングルを進むことの大変さ、
世界には草木が存在すること、
草木の美しさや生まれた理由や強さや弱さ、
草木があることで生まれた恩恵、、とか。
それはきっと、頭では学ぶことでは得られなくて、経験したからこそ、その人の血となり肉となり、人を成長させると思う。
それに、最初はジャングルでも、
草木は刈ることもできるし
草木の研究に夢中になって寄り道する楽しさを知るかもしれないし
じゃあ飛ぶか。と思うかもしれないし
じゃあ掘るか。と思うかもしれないし
めちゃくちゃ分析して最適ルートを発見するかもしれないし
素敵な湖を途中で発見するかもしれないし
森の動物たちと友達になって楽しんで仲間が増えて目的地に辿り着くかもしれないし
同じジャングルを進む人を助けたり助けられたりできるかもしれないし
目的地に着いた時の嬉しさは格別かもしれないし
悪いことばかりじゃないと思う。
まあ結局は分からない、
分からないけど、
そういう視点もあるし、
どうせ草木ばっかなら
そういう視点で世界を見ていたいなという話。
それに、それだけ障害があるってことは、
その人にとって、それだけストレッチしようとしてるってことだよね。
それだけで、すごいなあと思ったり。
ただ、スキップしてる人の中では、一生懸命進んでいる人を見て、
上からのニュアンスを込めて
「何やってるのwこんなの余裕でしょwwww」
という態度を取る人も一定いると思っていて
その態度は好まない。けど私の周りにはそんなにいない。
そしてどれくらい道が易いか険しいかはきっと、
人によって変わるのではなく
人によって傾向はあるけど
持つ目標によって、誘発される障害も変わるんだろうなと思う。
だからこそ、
簡単そうな道には、そうあれることに感謝して、
難しそうな道には、「何でも来いよ^^♡」という態度で接したい。なあ。
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