珈琲

「最近、楽しそうね」
彼女にそう言われて、僕は頬を触った。
「そうかな」
「生気が宿っている感じ」
それは、いつもは生気がないと言われているようで僕は苦笑いを浮かべた。
「すみません」
控えめな声で、客を待たせていることに気づいた。僕は、慌ててカウンターを出てレジに立つ。線の細い今時の大学生らしい男の子だ。アイスコーヒーとサンドイッチで七百円。機械的にお金を受け取り、レシートを手渡した僕を彼が何か言いたそうに見つめた。
「レシートいらなければ…」
そうじゃなくて、と焦った様子で財布にレシートを仕舞った彼は首の後ろを掻いた。
「彼女は、レジやらないんですか」
思いがけない質問に面食らっていると、彼は首まで赤くして小走りに店を出ていった。
「彼女って、清夏ちゃんか」
ようやく、合点がいってキッチンで真剣にコーヒーをドリップしている清夏ちゃんを見やる。清夏ちゃんこと、伊藤清夏は少し変わっている。アルバイトを募集している時、初めに面接に来たのが彼女だった。
「キッチンしかやりたくありません」
開口一番、彼女はそう言った。僕は、少し面食らいその後彼女に掛けるべき言葉を模索した。社会人の先輩として、そんな我儘は通用しないと諭そうと口を開きかけた僕に彼女は言い放った。
「残念ですけど、私以外バイト来ないと思いますよ」
傲慢な子だと思ったし、すぐにでも不採用にしたかったが実際そうだった。バイト募集の張り紙を出してから約2週間、何の音沙汰も無かったところにいきなり彼女が現れたのだ。
「休日、働けます」
畳みかけるようにそう言った彼女に半ば気圧されて採用を決めた。清夏ちゃんは苗字で呼ばれることを嫌った。だから、僕のような冴えない店長にも清夏ちゃんと呼ばれているのだ。
あの青年は、清夏ちゃんのことが好きなのか。若者の恋愛にとやかく言う気はないが、おそらく間違いではないだろう。彼女は、格別美人というわけではないにしろ整った顔をしている(と僕は思う)。全体的に薄い体で、肌の色も白く耳が少し大きい。店で働く時は、地毛らしい茶髪を後ろで束ねているのだが顔の小ささがよく分かる。
「店長、コーヒーできました」
何よりも彼女の淹れるコーヒーは美味い。
「清夏ちゃんさ、彼氏とかいるの」
コーヒーを受け取るついでに聞いてみる。
「セクハラに目覚めたんですか」
「本当に言葉を選ばないよね」
早く運んでください、と急かされて客の待つテーブルにコーヒーを運ぶ。
週の真ん中である水曜日は、馴染みのある顔がちらほら座っているだけで特別忙しくはない。忙しい曜日を聞かれたら困ってしまうけれど。
「会議始まっちゃう。ご馳走様」
彼女が席を立ち、コーヒー一杯にしては多すぎる札を置いて店を出ていった。滅多に客に挨拶すらしない清夏ちゃんが涼やかな声でありがとうございましたと呟く。
僕は、コーヒー代を引いた残りの小銭たちを陶器の貯金箱に仕舞った。
「早く告白すればいいじゃないですか」
清夏ちゃんがそう言って泡のついた手で僕の背中に触れる。
「泡」
僕の呟きで彼女は雑に布巾で背中を拭った。
「どうして僕があいつに告白しなきゃならないんだ」
清夏ちゃんは心底不思議そうに瞬きをした。
「好きそうだから」
「何を根拠に」
彼女は肩をすくめて残りの皿洗いに戻った。
「疲れた?」
賄いのサンドイッチを食べる清夏ちゃんに尋ねると首を振る。
「疲れるほど人来てないじゃないですか」
相変わらずの毒舌に溜息を飲み込む。
「フジのことだけど」
彼女がアイスコーヒーをストローで吸い上げながら僕を見た。
「いつも来る、あの」
カウンターを指差すと、瞳が輝く。
「何か誤解してるから言っとくと、あいつには婚約者がいるし僕とは何でもない」
つまらないというように、息を吐いて彼女が立ち上がる。
「そんなこと言って逃げてるから、先越されるんですよ」
清夏ちゃんは軽蔑したように僕を見据えて椅子に掛けていたトートバッグを持った。
「お疲れ様でしたー」

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