見出し画像

VOID /大森靖子

「あなたの性格を教えてください」
この手の質問がどうも苦手だ。
私は相手とか、場面とかによって性格が変わる。
例えば一緒に遊ぶとあり得ないくらいはしゃいでしまうグループがあったり、バイト先では人が変わったように喋らなかったり。
でも、それは演じているわけじゃなくて、どれも本当の私だから、本当のあなたはどんな性格?と聞かれてもわからない。全て私だから。

そして、ほとんどの人間がそういった色んな面を持って生きていると思う。
矛盾する感情が渦巻いて、本当の自分を探して、人間性が蓄積されて、深い人間に、醜い人間になるんだと思う。

『VOID』の主人公の圧倒的な優しさが切ない。自己犠牲気味で、何でも目尻を下げて許してくれそうな優しさがある。
その一方で、自分の中でぐるぐる考えて、でも言葉にできなくて「うぁぁぁぁ」としか言えない時に全てを言語化してギターで鳴らして代弁してくれるような醜さも。

だから『VOID』も私たちと同じように二面性を持っている。
優しさから生まれる包容力と、全て放り投げて叫び出したくなるような焦燥感。

「うちを抜け出して僕の部屋においで
君のことなんも聞きはしないから」
「おいで」「しないから」口調の柔らかさも加わって、この歌詞の優しさは言葉にならない。
主人公はおそらく君のことが好きなんだろう。
それでも都合よく利用されることを問いただしたりせず、都合がいいままでいいよと思っている。

「僕じゃ満足できなかったなら
明日忘れていいから」
こんな言葉、好きな人にはほんとは言いたくない。でも主人公は君に嫌われたり、鬱陶しく思われたくないんだろう。
だから、君が嫌だったら無かったことにしてもいいと自分から都合がいい奴になろうとしている。

「どうせ僕のことbaby 捨ててしまうのさ
だから僕とゲームで負けちゃう前に
リセットボタン押していいよ 逃げるの下手な君特別ルールさ」
どこまでも優しい歌詞が続くなか、「どうせ」という投げやりなフレーズが初めて登場する。
ここの人間味溢れる、二面性が喧嘩するような歌詞がたまらなく好き。
「どうせ僕のこと捨てるんだろ!」と切れてしまったけど、違う違うんだと言わんばかりに「別に君が嫌だったらリセットボタンいつでも押していいからね」とリセットボタンを相手に委ねる優しさ…

「笑わなくっても余裕で天使さ
愛したふりして抱きしめてくれたら void me」
極上の褒め言葉だと思う。
ニコニコ笑顔を振りまいて、機嫌が悪く思われないように努める可愛さや愛嬌すら凌駕している相手に対する褒め言葉。
そんな言葉言われてみたかったと思う人、大森靖子ファンなら多いと思うな。
愛したふりして抱きしめてくれたら…と言う歌詞からわかるように主人公は君に愛されるということをはなから前提としていない。
もう諦めてる。
だからいっそ私をなかったことにして。 
「私を消して」と叫ぶ主人公があまりにも切ない。

「友達でもない恋人でもないもしかしたら
もう2度と会うこともない
void love void love 何もなかったかのように」
名前の付いている関係にはなれない。
君が飽きてしまったら、明日には終わるかもしれないという脆い関係ならば、もういっそ何もなかったことにして、私の愛も消してお願いという主人公の心の叫びも、君には届かない。

「どうせ僕のこと baby
女友達に話さないでしょ」
再び主人公の「どうせ僕のこと」という投げやりなフレーズが登場する。
「どうせ私みたいな関係の女がいること、周りの女友達には言わないんでしょ」
主人公は本当は君にこうやって問いただせるくらいの関係になることを望んでいるはず。
それをしない、いやできないのは君にとって僕が大事な存在じゃないことを理解してるから…

「生きてる意味は
言葉を持たない蟲でも知っている
確かめ合うのもナンセンスだよな」
『VOID』で最も自虐的な歌詞がこのフレーズだと思う。
自分の存在を蟲以下だと表現して、だからと言って「これが私たちの生きる意味だよね」なんて人と確認しながらでないと生きられないなんてそれこそ馬鹿げていて無意味だよなと呟く主人公には脱力感や喪失感を感じる。

「ロマンチックな夜の飾りで
運命ぶった情けない僕らは
void me void me void me 」
ロマンチックな夜の飾りはなんのことだろう。
友達でも恋人でもない2人が運命「ぶった」ということは、少し恋人らしいことをしたのかもしれない。
夜景を見に行ったりいいホテルに泊まったり…
それでも、恋人らしいことをしたって中身は空っぽな関係のままで…2人が運命ぶることの意味の無さが余計に浮き彫りになり情けなく感じてしまったのだろうか。

「嫌われたくない 1人になりたい
だけど寂しい 傷つかれたくない
void love void love これが僕らの幸せさ」
主人公はこの関係に疲れてしまったのだろう。
「あなたに嫌われたくないからいっそもう1人になりたい」
「だけどやっぱり一緒にいたい そしてあなたに私のせいで傷ついてほしくない」
逆の感情のようで間違いなく1人の人間から溢れた感情。
人と関わることのしんどさと人と関わることでしか埋められない幸せの両方を手に入れたいし、手放したい。
相反する感情で脳みそがぐちゃぐちゃになって、叩きつけるように歌われる歌詞は多くの人が共感するはずだ。
自分の本心がわからないほどボロボロになってしまった主人公は、それでも
「これが僕らの幸せさ」と歌った。
本心からか、かそう思いたいだけなのか。
この歪な関係をこれ以上発展させたいわけじゃない。
このまま君の都合のいいままで、君が辞めたいと思ったらいつでもリセットできて、それでいいんだ。私は本当に君のことが好きだけど。という受け入れるような歌詞にもきこえる。
それとも、心の底からこの関係に1つの拠り所のようなものを見出して幸せを感じているようにも聞こえる。

「うちを抜け出して僕の部屋においで
void love void love 本当は
本当に何もできない」
冒頭と同じ優しさと献身さの詰まった歌詞がリピートされる。
主人公はやっぱり君が第一優先なのだ。
都合よく僕のことを利用してよ、そう主人公は言ってはみるものの、自分をどれだけ差し出しても君の役になんて立てないことを分かっているかのような,本当に何もできない。

「笑わなくっても 余裕で天使さ
愛したふりして 抱きしめてくれたら
void me void me void me
友達でもない恋人でもない
もしかしたらもう2度と会うこともない
void love void love
何もないよりマシだから」
サビ部分の繰り返しが続く。
最後の「何もないよりマシだから」という言葉はどうしようもない関係に陥ってしまって、
傷つくだけ傷ついた自分に、それでも何もないよりマシだったよ、あの人と少しでも関係を持てて良かったんだよという自己暗示にも聞こえる。

「何もない なんかしたい
何もない なんかしたい」
『VOID』のラストのフレーズであるこの歌詞は、ライブなどでよく大森靖子さんが口にする言葉だ。
「何って言われるとわかんないけどー何っかしたいんだよなー」
よく大森靖子さんはよくこんなことを言う。
もしかしたら主人公ベースで描かれた『VOID』
の歌詞全体の中でも、最後のこのフレーズは
大森靖子さんが主人公に自分を投影して書いた歌詞なのではないかと思っている。


私と大森靖子さんとの出会の曲『VOID』
私をなかったことにしてと彼女は叫ぶけれど
大森靖子さんが居なかったら私は本当の意味で
VOIDだったから、何もできないなんて嘘だから
ずっとずっと笑わなくっても余裕で天使だし、神様だし、でもやっぱり普通の人間だと思ってる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?