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「私は全然ダメ」と思い込んでいた女の子の話 #障害児の子育て

就労継続支援B型で支援員をしていたとき、毎年、特別支援学校の生徒さんを実習で受け入れていました。

その中で、とても印象に残っている女の子がいます。その子は、周りがいくら評価してもそれを受け入れず、「私は出来ていない」と言う子でした。

この体験が、私の支援者人生に大きな学びを与えてくれた。
だから、皆さんにもシェアしたいと思います。


自称「ダメな子」

彼女は、少し大人びた、清楚な雰囲気の女の子。
絵が好きで、いつもスケッチブックを持っていて、初対面の職員にも見せてくれる。物怖じせずに他者と関わっているので、「きっとご家庭で親御さんともよく話すんだろうな」「自己肯定感がしっかり育っているんだろうな」と思っていました。

でも、日誌にはいつも反省点ばかり羅列されて、ギャップが大きすぎる。
なんだろう、この違和感?

実習ではどの仕事をやっても覚えが早いし器用だし、丁寧にできるから職員が褒める。すると周囲からはキラキラの憧れの眼差し。

一度、どうして出来てないって思うの?と聞いてみたことがありました。
そしたら、いつもの笑顔が曇って「まだまだなんです、私…」と。
私は粘ってしまうタイプなので、「すごく良く出来てますよ。でも、まだまだなの?何か理由はあるのかな‥?」

その時は結局、もじもじしているだけで気の毒なので、
「そうなんだね…困ったことがあったら、いつでも声かけてもらって大丈夫だからね^^」と伝えて終了にしました。

実習巡回の日

実習生には必ず「実習巡回」「終了時の振り返り」が設けられています。
特に「振り返り」には、進路担当教諭、担任、ご家族がいらっしゃるので、支援員とサービス管理責任者と本人を交えると、なかなかの人数になります。

実習巡回でお母さんがいらっしゃったのでご挨拶したら、とっても穏やかで落ち着いた雰囲気のご婦人でした。小柄で、きちんとしていて、笑顔が優しい。

娘さんである「あの子」とも、すごく仲良しのよう。お母さん!と言って、キラッキラの笑顔で駆け寄っていくので「ステキ親子だ〜!」と感動したくらい。

でも、一つだけ、引っかかったことがあった。

きちんとしているからこその社交辞令

笑顔の彼女がしょんぼりする一瞬がありました。
それは、支援員や先生方が彼女への高評価を伝えたとき。

「恐れ入ります、そんな…」
「いえいえ、本当にまだまだで…」

その言葉を聞いても、私たちはお母さんが本当に娘のことを「まだまだだ!」「もっと頑張らせなくては!」などと思っているとは感じない、本当にいわゆる社交辞令的な「謙遜の言葉」だと私は思いました。
むしろ、本人に寄り添いサポートしているお母さんだな、と。

お母さんとの関係がすごくいいので、もしかしたら、本人が一般的な社交辞令を真に受けてしまっているのかも?障害特性による捉え方なのかもしれない…

そして「振り返り面談」へ

正式な振り返り面談の前に、受け入れた作業室の担当職員が意見交換をする時間があります。

その場で、概ね問題のない方ですよね〜という意見が多数ある中、彼女の自信の低さ、自己肯定感の低さに関しての話題が出てきました。就職できそうなのに、自信がなさすぎるから、やっぱり就労継続B型から始めたほうがいいのかもね…といった感じの結論になりそうな様子。

先日のことが気になっていたので、下記を伝えました。

『推察でしかないが、もし彼女が言葉をそのまま受け取っているとしたら、みんなの前でお母さんが「うちの子はまだまだです」というので「お母さんの評価」として受け取っているのでは?』

『彼女にとって、職員よりも先生よりも、お母さんの言葉が大切なのではないか?』

数年後の彼女に再会

会議でどのような話になったのかは、残念ながら分かりません。
ただ、偶然にも、彼女を見かけることがありました。

転職先の就労移行支援で職場訪問をした時に、彼女がスーツを着て働いていました。卒業から5年以上は経過していたと思います。

実習後、どんな進路に進んだのかは分かりません。
でも、なんだか元気そうで、本当に良かった。後輩もいるみたいだった。

これは私の「願い」なんですが、あの表情はきっと、
自分のことを「ダメな子」とは思っていないんじゃないかな。

学んだこと

このケースで私が一番学んだことは、
「親御さんの言葉は強い効力を持つらしい」ということ。
いい関係でも、よくない関係でも、親子間で交わされる言葉には、支援者には太刀打ちできない力があると確信しました。

支援者の役割は

親子間のやり取りが魔法なら、支援者いらない?
というと、それは違うと言い切れます。

支援者の役割は、社会のことを淡々と伝えること。
寄り添うけれども、庇護はしない。対等な一人の人間の責任として関わっていくことが大切です。

そして、保護者が守ってくれていると感じるからこそ、対等な誰かの言葉を受け止められる、ということでもあると思います。

就労や社会マナーに関することって、障害あるなしに関わらず、親の話なんて「うるさいな」って思いませんか?そうなんですよ(苦笑)
誰かが言わなきゃいけないけれど、内容によって「適切な距離感の人」が登場すると上手くいきやすいです。

そうやって、多数の大人との関わりの中で育っていくんですね。

保護者も支援者も「手探り」でいい

保護者も支援者も、どんなに経験を重ねても、誰かの考えを理解するのは難しいだろうと思います。

だから、みんなで「もしかして、こうなんじゃない?」「そうかも!」と相談できることが、本人を理解するために有効だろうと考えています。

それぞれが自分の役目を認識して、行動していくこと。
手探りでいいから、温かい気持ちでゆったりと支援していけたら。

それが私の理想かな、と今は思っています。

まとめ

とても昔のことですが、この出来事からとても大事なことを教わりました。
コミュニケーションには伝える側と受け取る側がいて、それが噛み合わないことは度々起こってしまうと。

障害があるからこそ、それが起こりやすくなってしまうこともある…。
専門家としての知識が、相互理解の橋渡になれるなら、それはとても意味があることだと思います。

そのことを学べたから、今でも「もしかしたら?」という視点を持って支援できるようになれたと、本当に感謝しています。



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