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#033 アラビア語~日本語に入っているアラビア語

ここでも牟田口義郎を参照したい。氏の名著「地中海歴史回廊」から。氏のアラブ研究は、その性質上、アラブを超える。第二章マグレブ再考、「西アラブ」の役割、より。

2004年 筑摩書房
「地中海歴史回廊」P64から

「チュニジアのやや北部の平原にあるカイラワンは、マグレブ最古のアラブの町である。マグレブとは、現在のリビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコを含む北西アフリカのことだ。このカイラワンは、7世紀の半ばにエジプトを征服したアラブが、マグレブ経営のために築いた城塞都市である。彼らは、ここを拠点としてマグレブを平定し、8世紀はじめにはジブラルタル海峡を渡ってイベリア(スペイン、ポルトガル)を征服した。そして9世紀には、さらにチュニジアとは目を鼻の先のシチリアを征服している。」
こうして、アラブ文化は地中海、欧州に入り込んだ。
「現代文明の基盤をなす西欧文明は、この、アラブのイベリア、アラブのシチリアから養分をたっぷりと吸い取って成長した。これを十二世紀ルネサンスと呼ぶ。天文学、数学、医学、薬学、化学、物理学などの自然科学がここから中世ヨーロッパに導入された。また、アリストテレスの論理学は、これらの地で、アラビア語からラテン語へ重訳されて伝えられた。その意味でもわれわれは、アラブのマグレブの原点であるカイワワンの存在を再評価してみる必要があろう。」中世において、イスラム世界は、圧倒的な先進地域であった訳である。
こうして、古代オリエント、ギリシアの遺産を継承した豊かなイスラム正解の文化、食生活の単語が欧州に流入していった。特に、イスラム王朝支配下のイベリア半島は地名を含めて、多くのアラビア語が入り、日本にもスペイン、ポルトガル経由で、日本語にも残ることになった。(如雨露:じょうろ)、襦袢:じゅばん)アル(AL≒定冠詞THE)ではじまる単語も然り。アルコール、アルカリ。他、ソーダ、ガーゼ、シャーベット、コットン、レモン、ギター、タンバリン、アルデバラン等々。闘牛やサッカーで有名な掛け声「オーレ」も、アラビア語のワッラーヒ(神かけて)が語源と言われている。

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