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砂漠雑感#051 石油争奪世界戦 SHELL

経営科学出版による復刻版。原圭二著(昭和16年)
序文は海軍少将 匝瑳胤次(そうさたねひろ)。
「石油、鉄、そして石炭ー。この三つの地下資源をめぐっていかに多くの戦いが戦われ、いかに華々しい外交戦が、そして謀略戦が展開したことであろう」「石油は世界各国の争いの火種であり、今もそれは変わらない」
戦後、80年経ってもこの至言は色褪せてない。
ところで、いわゆる「再生」エネルギー。
人間がその場で太陽のエネルギーを自然から横取りするものなので、自然破壊、自然略奪エネルギーというべきだが、当然ながら、その脆弱性は言うまでもなく、サステイナブルでもない。様々な問題が露呈している。そもそも再エネ賦課金を廃止すれば、経済性がまるで無いので、ハイエナに食わせる配分源資が無くなって干上がるだけだが、利権にまみれた政府は廃止できない。そもそもエネルギーの源は太陽だ。目下、太陽エネルギーの「缶詰」である化石燃料を、経済性、利便性、安全性において凌駕するエネルギーはない。人工太陽(原子力)の実用化は人類史上の金字塔だが、人間がハンドリングするには荷が重すぎる。高放射性廃棄物というゴミ処理は次世代に付け回しているのが現状だ。未だ抜本的な解決策も見いだせないままだ。しかし、既存の原発は動かす以外ないだろう。人間が本当の人工太陽(核融合)を自家薬籠中のものとするのはいつか。現実には、まだ何世代も先のことだろう。結論として、まだまだエネルギーは化石燃料に依存するしかないのが現状だ。「グリーン教」信者の欧州も自滅。民主党の米国も然りだが、共和党政権で危機脱出なるか、日本も自滅の道を進むをを止めて、なんとか引き返したい。
余談だが、水素「エネルギー」というのも噴飯ものである。水素はエネルギーなのだろうか。水素をハンドリング(製造、圧縮、冷却、保管)するために費やすエネルギーをどう考えているのだろうか。
今後、化石燃料を牛耳る中東へのパワーシフトが益々進んでいくに違いない。

この本の中での面白いくだり。
「ロックフェラーが石油王として辣腕を揮っている頃、後の石油界のナポレオンたる一オランダ青年はアムステルダムのトウエンチェバンクの出納係として、月給60ドルを貰っていた。(中略)このオランダ青年こそ、後にその個人名義の財産のみにて3億4千万ドルといわれるヘンリー・デタ―ディングであった。」
「船長の子として生まれたデタ―ディングは、12歳にして父を失い、トウエンチェバンクの本店で数年勤めた後、蘭領東インドの支店詰として東洋に派遣された。ここにいる時、トウエンチェバンクの所有するゾンデ島内の油井を見たのが彼の石油に対する興味の芽生となる。その後、ピナン支店の支配人に抜きん出られ、ロイヤルダッチシェル石油会社の社長ケスラーと会う機会に恵まれた」
「ケスラーは、デタ―ディングの才能を見込み、彼を自社に迎え入れて、重要な地位に据えた。時にデタ―ディングは30歳であった。彼はケスラー社長にとって、巨万の資本にも匹敵すべき人物だった。彼の入社後、ロイヤルダッチシェルは粗何50万フロリン(旧オランダ通貨)の株式組織となり、その翌年には、数か所に噴油坑を獲得するに成功した・・・中略・・社長のケスラーは死去し、遺言によって、デタ―ディングが社長に椅子に納まっていたのである」
「ロックフェラーの悪質な攻撃に、株主たちは戦々恐々としていた・・(中略)この時、デタ―ディングは有力な協力者を得た。シェル輸送会社の持主、マーカス・サミュエルである。今日、英国の一大石油トラストが完成したのも、実にこの英国人サミュエルとデタ―ディングの握手の賜物に他ならないのだ」
「マーカス・サミュエル。1853年生まれ。スエズ運河通貨の石油輸送創始者。極東における石油開発創始者。1902年ロンドン市長。1921年貴族(べエアステッド卿)に列せらる。1924年子爵」
「サミュエルはロンドンユダヤ人町に生まれ、船会社の平事務員になったのが、経済人としての踏み出しであった。彼は会社の船に便乗して、幾度か東洋に旅行し、国際貿易についての知識を獲得した。彼はこつこつと貯めた金を資金として、独立して輸出入業を始めたのである。(中略)サミュエルは、先ず襤褸船一艘を手に入れて、東洋の香り高い貝殻類や真珠を英国に輸入する仕事から始めた。そして、その商品に因んで、会社名をシェル輸送会社としたのである
「サミュエルの船は東洋への帰途、石油の輸送を依頼され、数個のタンクを積み込んで、思わぬ儲けをしたことがあった。機を見るに早い彼は石油輸送の有望なのに着目し、パリのロスチャイルド家から資金の融通を受けて、石油輸送用の汽船の試作を開始した」
「自然の成り行きとして、彼は石油生産について触手を動かし始めた。北ボルネオに採掘権を買収し、間もなく自分の油槽船を自分の石油で充たすようになった。各地の支店は、最早利益の薄い真珠貝の売買を行う必要はなく、より有望なランプと灯油を取り扱うこととなったのである」

シェルの由来であった。


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