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メールの宛名「皆さま」は判断からの逃げでは?


ある仕事のやり方について疑問を持ったので今日は記事にしてみました。

仕事で社内の複数人にメールを送る時、宛名を「皆さま」にする人がいます。

これは時と場合によってすごく仕事に支障が出ます。

まず、支障が出ないのはこんな時です。
・返信不要な日報のようなメール。
・宛先に入れられた全員に返信の義務があることが明示されているメール。

逆に「皆さま」と書かれると支障ありまくりなのはこんな時です。
・誰かが答えたほうがいい内容なのだが、誰が答えるべきなのかハッキリしないメール。

例えば昨日、こんなやり取りがありました。
会社の宣伝部の部員が、商品を作る部署である私の部署の数名に、「皆さま」という宛名でメールを送ってきたのです。

「皆さま」の中には部長もいれば、メールの中で言及されている商品の担当部員もいれば、部の中で宣伝に関する意見をまとめる係の私もいれば、その私の直属の上司もいれば、宣伝物作成の実作業を担うスタッフもいる、という感じでした。

メールの内容は、「この宣伝ポスターの掲示場所はどこがいいですか?」というものだったのですが、非常に返事がしづらかったです。

「皆さま」と言われているので全員の個別の意見を聞きたいのか、誰かが代表して決定事項としての意見を返してほしいのか、責任の所在が曖昧すぎたからです。

結局、空気の読み合いのようなことになって2-3時間が経過し、見かねた部長が商品の担当部員に口頭で声をかけて相談、部長から返事をするという流れになりました。

メールで完結しないやり取り。
非効率的だなと思いました。

まあ、今回のように部長が宛先の中にいる時はなんだかんだ部長がリーダーシップを取ってくれるのでいいのですが、部長がいない時は悲惨です。

「そもそもこのメールは誰に返事をして欲しいと意図されたものなのだろう?」と考えることから始まり、
「きっとメールを送られた人全員が悩んでいるだろうから自分が率先して意見をまとめたほうがいいのか?」
「でも、同時に他の人も返信メールを書いているかもしれない。同時に返信しちゃったらややこしいことになるな」
「いったん、メールを送られた人たちだけに『私が意見をまとめるので私に返事をください』メールを送って、それをまとめて私が返事するか…なんという手間だ!」
などと考えるのに2-3分消費します。

脳のエネルギーはもっと使いますし、こんなくだらないことを考えているという徒労感がすごいです。

こういうメールを送ってくる側もきっと、「誰に代表して返事をしてもらうか、誰に意見を言ってもらうか」というのを具体的に考えていないし、「私はあなたに意見を聞いています」という意思表示やそのための判断をしたくないんだと思います。

自分が判断を保留して「皆さま」という曖昧なメールを送ることで、送られた側全員に軽いストレスを与えて、結果、メールの返事が遅れて自分も損をするんですよね…。

「判断したくない」
「決断したくない」
「責任を取りたくない」
という無意識の逃げが、相手の仕事に見えないくらいの些細な負荷を与えていて、それが積み重なって結果的に割と大きめな非生産性を生み出している例と思います。

ほんの少しの軽いストレスですし、実質的な時間のロスは2-3時間で済んだかもしれませんが、こういうちょっとした非生産性が会社内にはバラバラと見られます。

メールを送る時に限らず、どんな時でも、
自分が判断を保留にして責任逃れすることで、他の人たちに判断する責任を押し付けたり、非生産的な時間を過ごさせたりする可能性が出てくる、ということをよく認識して仕事をしたいなと思っています。

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