HSS型HSPって普通の人では?

ちょっと挑戦的なタイトルにしてしまいましたが、内容は別に誰かを攻撃するようなものじゃないです。

ここ何年かでHSPという気質のことがよく知られるようになりました。

HSPというのは、感受性が強く、外からの刺激に敏感な気質を持った人のことだそうです。

HSPの中でもいくつか区分があって、HSS型HSPというのは、刺激は求めるけれどもそれによって影響を受けやすかったり疲れやすかったりする人なのだとか。

最初にこの定義を聞いたとき、正直タイトル通りのことを思ってしまいました。

「それ、普通の人やん!だいたいそうやん!」

でも、社会のあり方なんかを考えていくうちに、問題はそこじゃないんだなぁ、ということが分かってきた、という話を今日はしたいと思います。

まず、この世の中はものすごくマッチョな精神が前提にあるなと思います。

「弱みを見せてはいけない」
「弱音を吐くのは甘えだ」
「人と積極的にコミュニケーションを取らないのは社会人として失格」
「辛い時も平然としていろ」

こんな感じの前提が当たり前にあった上で、世の中は回っている気がします。

自分が昔ながらの日系大企業にいるから、余計にそう思うのかもしれないです。

そんな社会では、HSPみたいな人は本来の自分を隠して、本来の自分よりも明るそうに振る舞うし、楽しそうに振る舞うし、鈍感そうに振る舞うようになります。

そうすると、HSP同士もお互いがHSPだと気がつかず、みんなが自分を偽って、上記みたいなマッチョな社会の基準に無理して合わせていく。

本当はみんな辛いのに、

「みんな楽しそう。。自分だけが辛いんだ。。みんなが楽しそうな社会で1人だけ辛く感じるなんて、自分はおかしい。あるいは努力や我慢が不足してるのかもしれない」

そんな風に思って、全員がよりマッチョな精神を持っているように振る舞うチキンレース的な状態になってしまいます。

実際、私自身もそうでした。
というか、そうです。

「私は繊細で悩みやすく、人付き合いが苦手だ」

というのは、私自身の中では子供の頃から当たり前すぎる事実として知っていましたが、他人から見るとそれは意外と分からないようです。

その証拠に、よく
「あなたは人見知りしないし明るく堂々としていて積極的でいいよね」
というようなことを言われます。

それを言われた時の私の心の中はといいますと…

「ぎょえー!?え!?まじで!?そう見えてるの!?何を見てるの!?」

こんな感じです笑

でもこれも、相手の目が節穴なんじゃなく、私が無意識的に社会で求められてそうな明るさの基準に自分を合わせていたからだと思います。

そう考えたときに、ふと気づきました。

私が普段から
「あの人は堂々としていて、自信があっていいな」
と思っている人も実はHSP気質を持っていて、社会に出るために頑張って武装しているだけなのかもしれない、ということにです。

HSPという気質を持つ人がいるってことが知られていくと、みんなが

「実はあの人もHSPなのかもしれない」

とか、

「気が付かないだけでHSPの人って意外と多いらしいから、少し配慮してみようかな」

とか思うようになっていって、
ほんとにちょっとずつ、社会のマッチョレベルが下がっていくんじゃないかと思います。

私は「HSS型HSP」の定義を聞いて「普通の人やん!」などと思ってしまいましたが、その通り、実際にそういう気質の人は結構な割合でいるんだと思います。

だけど、社会に出た途端、そういう人はいないことにされて、みんなが強くて明るい戦士に擬態してしまう。

HSPの定義がどうとか、みんなHSPを公表しすぎとか、色んな声があるけれど、そんな風にして

「HSPめっちゃいるやん!もはや日本人の平均がHSPなんじゃん!」

くらいの認識になれば、もっとたくさんの人が生きやすくなるのかもなぁなんて思いました。

そういう意図でタイトルをつけたら、ちょっと煽ってる感じのタイトルになってしまいました。。笑

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