「日曜日よりの使者」とはいったい誰なのか?

最近、芸能ゴシップ記事を読んでいたらザ・ハイロウズの「日曜日よりの使者」は松本人志を歌ったものだ、というコメントを発見しました。
それなりに有名な説らしいけど、私は初耳で驚きました。違う予想をしていたので。
日曜日よりの使者は何者なのか、私なりに推理してみました。
(登場人物全員、敬称は略させていただきます。申し訳ありません)

「日曜日よりの使者」=松本人志説とは

自分の言葉でまとめようかと思いましたが、無意識に情報を取捨選択しそうなのでネットで拾ってきました。
かつて「日曜日よりの使者」のWikipediaに載っていた(らしい)内容が、今はニコニコ大百科に引用されていました。

「日曜日よりの使者」が作られた経緯として有名なのが、ヒロトが自殺を考えるほど落ち込んでいたとき、ダウンタウンの番組を見て大笑いし、自殺を思い止まった事から生まれた曲、つまり「日曜日よりの使者」とはダウンタウン、若しくは松本人志のことを指しているという説である。
曲が作られた当時、日曜日にダウンタウンの番組が2本あったことや、歌詞の「適当な嘘を~」のくだりが松本の芸風に当てはまること、ハイロウズと松本は何かと縁深いことなどから、自然発生的に生まれた説だが、メンバーがこの件に関して言及したことはなく、明確なソースは存在しない。
当の松本は、自身のラジオ番組で「よく人に言われるが、メンバーからその話を直接聞いたことはないので判らない」と語っている。しかし、ダウンタウンのガキの使いやあらへんでのトーク内で松本が「あえて名前は伏せるが、あるアーティストが自殺しようとしていたときにたまたまテレビがついていて、ガキの使いを見て笑ってしまった。そのアーティストはそれがキッカケで自殺するのをやめた。」と話していたこともある。
このことから、松本はヒロトのことを気遣ってこの話をなるべく隠すようにしているのではないかと推測される。

元記事はこちらです。
日曜日よりの使者とは (ニチヨウビヨリノシシャとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 (nicovideo.jp)

なかなか興味深いエピソードですね。ドラマチックだし。
ファンが支持したくなるのは判ります。

自殺しようとしたミュージシャンとは

「日曜日よりの使者 松本人志」で検索すると、上記のエピソードは簡単に出てきます。
そして同時に「自殺を思いとどまったエピソードは中村一義というミュージシャンのものだ」「中村一義の『魂の本』にそのエピソードが載っている」というのもすぐに行きあたります。
この情報を調べたサイトもありました。
誠実な記事だなという印象なので、鵜呑みにさせていただきます。

松本人志と「日曜日よりの使者」~松本人志モデル説を検証する - 一生、不死身な日々 (isshow-fujimi.com)

中村説の部分だけつまむと「『魂の本』にはたしかに自殺を踏みとどまったエピソードが存在する」「しかし時系列的にこの本が出たのは、松本人志が各媒体で自殺を踏みとどまったミュージシャンの話をした後」「過去に中村と松本が会ったかどうかは確認できなかった」「松本人志はこのミュージシャンを『グループ』と言っている」と、中村がエピソードの主である可能性は高いものの断定はできないと結論づけています。

日曜日よりの使者はどこにいる?

これを指摘している人をあまり見ないのですが、そもそも日曜日よりの使者はどこに居るのでしょう。
前述の引用では「日曜日にダウンタウンの番組が2本あったこと」という部分があります。
一つは「ダウンタウンのごっつええ感じ(以下「ごっつ」)」でもう一つが「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで(以下「ガキ」)」です。
自殺を踏みとどまったきっかけの番組は、主に「ガキ」だと言われてます。
1990年代の「ごっつ」の放送時間は20時から、「ガキ」の放送時間は23時になるちょっと前です。
この番組は「日曜日よりの使者」でしょうか。

問題です。
A「あなたは誰ですか?」
B「私はアメリカよりの使者です」
以上の会話が成立するとき、AとBはどこに居るでしょうか?
① アメリカ
② アメリカ以外

こういうのは各人がつちかってきた感覚的なもので、感覚を説明するのは難しいです。
でも「アメリカよりの使者」が居るのは、②の「アメリカ以外」です。
「アメリカよりの使者」はアメリカにいる間は「外国への使者」であって「アメリカよりの使者」ではないのです。
その理屈で言うと「日曜日よりの使者」がいるのは日曜日ではありません。

そしてアメリカよりの使者に「このままどこか遠くに連れて行って」と言うとき、行先は当然アメリカです。
日曜日よりの使者は他の曜日から日曜に連れて行ってくれる存在です。

日曜日に放送されているアニメに「サザエさん」があります。
そのサザエさんを見て気鬱になることを「サザエさん症候群」と言います。
日曜の夕方にサザエさんを見ていると「日曜日ももう終わりだな」「明日からまた1週間学校(仕事)があるのか……」という気分になることです。
つまりサザエさんは私たちに月曜日の訪れを意識させる存在「月曜日よりの使者」なのです。

同様に「日曜日よりの使者」は、私たちに日曜日の訪れを感じさせます。
「もうすぐ日曜だよ」と。
ならば「日曜日よりの使者」が居るのは土曜日ということになります。
今みたいに週休二日制だと金曜日の可能性もありますが、甲本ヒロトの世代だと土曜だと考えるのが自然です。
(少なくとも日曜日ではないどこかです)

ファンの立場の人が「日曜日って言ってるから、これは日曜日におきたことを歌っているんだ」と思うのは、まあ判ります。早とちりですが。
でも歌詞を書いていたり、言葉を使うことを仕事にしている人がチョイスする言葉ではありません。
「使者」の「使」が「ガキ」のタイトル(ガキの使いの「使」)をあらわしているんだという説もありますが、だったら意味が通らない「~よりの使者」ではなくて「日曜日の天使」とか「日曜のガキ大将」とか、少なくとも日曜が舞台ということと矛盾しない言葉選びがあるように思います。

つまり「日曜日よりの使者」は日曜に放送されていた「ごっつ」や「ガキ」のことではないのです。

番組自体ではなくて「ごっつ」や「ガキ」を思いおこさせる松本人志が「日曜日よりの使者」だとすると

「日曜日よりの使者」が日曜日以外にいるとしても、番組ではなくて松本人志個人なら日曜日以外にも移動できます。
松本人志個人の可能性はあるのでは? と思いますね。

甲本ヒロトが自殺を考えるほど落ち込んでいたの(が事実なら)は、ザ・ブルーハーツが活動休止してザ・ハイロウズを結成するまでの期間と思われます。1994年~1995年のどこかですね。
この期間に松本人志は他の番組も持っています。その番組のことかもしれません。
あるいは甲本ヒロト自身も芸能人だから(バンド活動していない時期とはいえ)どこかで松本人志に会ったかもしれません。

ということは、
自殺を考えたヒロトは、流れている松本人志の番組(「ごっつ」か「ガキ」)を見て踏みとどまった。
……ここで歌を作ったら「日曜日よりの使者」とはならないわけですから、ここは踏みとどまっただけです。
それからしばらくして、ヒロトは別番組で松本人志を見た、あるいは直接松本人志と会った。
その時に、改めて「あの日曜日の番組はおもしろかったな」と思い出して歌を作った。
という経緯になります。
回りくどくない?

「発明将軍ダウンタウン」や「かざあなダウンタウン」を見ながら「ガキはおもしろいよな。この人は日曜日の使者だな」と思う。
目の前の松本人志と接しながら「あの時のガキはおもしろかったな」と思う。
しっくりこないというか、今見ている番組や目の前の松本人志のおもしろさより、過去の「ガキ」のおもしろさの方が上というニュアンスになってしまう。
それを歌にするって、単純に命の恩人に失礼です。

つまり「日曜日よりの使者」は松本人志のことを歌ったのではないわけです。
自殺を思いとどまったというのも、この歌とは関係ない別人のエピソードです。

彼は土曜の夕方にいる

「日曜日よりの使者」は日曜の番組でも松本人志でもない。
だとすると「日曜日よりの使者」は誰でしょう。

私の仮説では「日曜日よりの使者は土曜日にいる」わけです。
土曜日に存在して、日曜日を思いおこさせワクワクする存在。
「世界中がどしゃ降りの雨だろうとゲラゲラ笑える」「てきとうな嘘をついてその場を切り抜けて誰一人傷つけない」、松本人志に結び付けるのもわかります。
なんとなくお笑い関係っぽい。
すぐに思いつくのは「8時だよ全員集合」とか「ひょうきん族」とかですかね。
世代的にヒロトが子供の頃や若いころに、そんなお笑い番組を見て週末の楽しさを感じていたのかもしれません。

日曜の訪れにワクワクするのは、ミュージシャンという月金ではない仕事をしている現在ではなくて、学生時代以前でしょう。
つまり「日曜日よりの使者」がいたのは、歌を作ったころではなくてもっと若いころ子供の頃です。
なおのこと松本人志ではないわけです。

甲本ヒロトが子供の頃に土曜の夕方にあった番組というと、ピンとくる人もいるでしょう。

「日曜日よりの使者」はタイムボカン

それが私の結論です。

土曜の夕方にタイムボカンシリーズを見てチャンネルを変え、まんが日本昔話からクイズダービー、そして全員集合というのが当時の子供の定番です。
嫌でも日曜日に向かって気持ちは盛り上がります。

なによりヒロトのタイムボカン好きは有名です。
彼のWikipediaにも「タイムボカンシリーズ」という項目があるくらいです。

タイムボカンで音楽を担当していた山本正之との親交も深いです。
山本正之のアルバムにコーラスで参加していますし、後年タイムボカンシリーズの「きらめきマン」のエンディングをヒロトが、実写映画版「ヤッターマン」劇中歌の「ヤッターキング 2009」をザ・クロマニヨンズが歌ってます。

山本正之には「星よりの使者」という歌があります。
演歌調のデュエット曲ですが、何度も「星よりの使者」と繰り返される詞の構成も似ています。
そしてこれは証拠を示せないけれど、「日曜日よりの使者」の曲調は山本正之の曲に似ています。
初めて「日曜日よりの使者」を聴いたとき、ザ・コーツ時代の「セッション」のように山本正之が楽曲提供したのかと思ったほどです。
実際、山本正之のライブでは山本自身の曲の間奏で「日曜日よりの使者」を演奏したこともあります。

まとめると

「日曜日よりの使者」は日曜ではなく土曜日にいて、日曜日の楽しさを想起させる存在。
日曜日にワクワクするのは社会人になった後ではなくて、学生時代より前のはず。
ヒロトが子供の頃土曜日の夕方には、ヒロトが好きな「タイムボカン」が放送されていた。
その音楽担当の山本正之とは親交が深い。
山本正之には、似たタイトルの「星よりの使者」という歌がある。
(そして「日曜日よりの使者」は山本正之が作る曲と曲調が似ている)

以上から、私は「日曜日よりの使者」はタイムボカンシリーズのことだと考えました。

身もフタもない結論

さて、結論めいたものがでましたが、実はもう一つ拭い去れない仮説があります。

それは「そもそも誰もモデルじゃない」です。

イラストを描く人は、自分の描いたものを誰かに見せたときにこんなことを言われたことがないですか?
「この絵のモデルってタレントの○○くん?」
一人称小説を書いてる人は主人公の独白を作者の考えと混同されたことないですか?
「俺は誰も信じねぇ!」とか書いてると、全然違う文脈でも「あんたは誰も信じないんでしょ?」とか言われたり。
そして歌を作る人は、歌詞を本人の経験と思われたり。

世の中の、特に創作をしない人は創作物にモデルがいると思いがちです。
でも他人が思う「この人がモデルだろう」は、たいてい皆目見当違いです。

日曜日に至るワクワクを歌にしようと自分の頭の中から絞り出したもので、そもそも特に具体的なモデルはいない。
そのあたりが真実なのかもしれません。

真実は本人が語ってないので霧の中ですね。

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