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実在する人物を描く難しさ

5月に刊行した『われは熊楠』(文藝春秋)ですけれども、直木賞候補になったことで、この1ヶ月、これまでの作品以上にいろんな方から感想をいただいたり、リアクションをもらったりしました。その中で、歴史小説というか、実在する人物を書くことの難しさもすごく感じました。(画像は直木賞の待ち会で着用していた南方マンダラTシャツ)

今回、すごく苦しんだのは「史実から逸れられない」というところです。実際に起こったことを破れなかったんですね。南方熊楠は非常に資料が多い人で、本人の日記もそうですし、書簡も多数残っていて、何をやってきたかが克明にわかる人なんですよね。そういう事情もあって、非常に嘘がつきづらかったです。

もっと自分が見せたいビジョンやテーマ性を明確にして、史実は史実として把握しつつ、自分がやりたいと思うことがあれば、それを破ってでも表現するべきだったなと考えています。

あと、すごく説明が多くなってしまったのも反省点かなと思っています。熊楠の人物像を知って欲しいと思うがあまり、描写ではなく説明が多くなってしまった。その点は多いに反省しないといけないなと思っています。やっぱり小説なので、熊楠の来し方を知りたいだけならば評伝がすでにありますから、そこに委ねるべきだったなと。あくまでこの作品の中では、熊楠の各時代での描写に集中すべきだったのかもしれないし、そうすればもっと解像度を上げられたのかなということも考えています。

あと、本作では熊楠の生涯を全体に渡って取り上げたんですけれど、約70年という人生のスパンを原稿用紙500枚強に収めたことで、かなり無理が生じた部分もあるのかなと思ってもいます。具体的に言えば、特定の時代にフォーカスすることで、各年代の熊楠にもう一歩踏み込めたんじゃないのかなというのは思っていて。ただこの点は、もう1回書けと言われても、多分同じ形式になってしまうだろうなという気もします。熊楠の「生涯」を書かないと見えてこないものがあると思うので。

ここまで反省点をつらつらと述べたんですけれど、全体としては、本当に書いて良かったなと思いますし、この小説の中でいろいろ挑戦できて、それが部分的にでも成功したことは確かだと思います。例えば、脳内で多数の声が響く「鬨の声」というシステムであるとか、夢を多用することに関しては、文学表現上のチャレンジとしてやってよかったなとは思っています。また、読んで「面白かった」と言っていただく回数も今まで以上に多く、そういう意味でも挑戦してよかったと思いました。

おそらく今後も、僕の主戦場は現代小説になっていくんですけれど、歴史小説と呼ばれるものも少しずつ書き継いでいきますんで、この作品で得たことはさらに積み重ねていきたいと思います。

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