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INFJ 生きるのに向いてない理由

※これはある種、自虐的な内容の記事になっているので、あまり本気にしないようにしてください。
INFJ+HSPも入ってます。

①何かと疲れが溜まりやすい

完全にリラックスできるプライベート空間でない限り、ストレスが蓄積され続ける。

例えば、友達と遊びに出かけたとして
その友達が 90楽しい10疲れた と感じたならば、
自分は 60楽しい40疲れた と感じてしまうような感じだ。
友達は休日に遊ぶことがストレス解消になっているらしいが、私はその遊びにも体力を使うため、休日が休日にならないことが沢山ある。
別にその友達が悪い訳ではなくて、楽しいことは楽しいんだけど、やっぱりいつもどこか疲れを感じる。
この性質はもう、一生変えられないと思う。
周りの人は「気にしすぎ」や「もっと気楽に生きようよ」って言うけれど、出来るなら私だって気楽に生きたい。

今まで生きてきた中で、周りの人の様子を見たかぎり、私の中の生きづらさポイントが10だった場合、普通と呼ばれる周りの人は3か4くらいな気がする。
なんかみんな余裕がある。
困った〜って時も、私は内心めちゃくちゃ焦ってどうしようどうしようって、なるけど、周りの人はケロッとしてるか、まあなんとかなるか!みたいな感じに見える。

心配性のおかげで助かったこととかもそりゃあるし、みんなが気づいてないことを1人だけ気付いてるって時もけっこうあった。
でも、それ以上にやっぱり負担がでかい。
メンタルがシャボン玉くらいしかないから、みんなの毎日が羨ましい。
今まで、人生を100%で楽しんだことがほとんどない。
楽しいって感情はあるけど、そこには常にストレスがつき回ってる。
だから、80楽しいでも、20のストレスは常にあるって感じ。
多分普通の人は、100楽しい。
ストレスなんてそんな感じない。

②自分の中にある二面性

自分の中で常に正反対の意見があって、それが生きづらさに拍車をかけている気がする。
例えば虫が嫌いで、蚊を殺したとする。
すると蚊を殺せた喜びと共に、殺してごめんといった申し訳ない感情もある。
私は基本的に人が好きだけど、時々全員滅びないかなと思うこともある。
なんか、日常生活を送る上で常にどっちつかずというか、色々な可能性や意見を考えてしまって思考がスッキリしない。
だから時々、自分は一体何なんだろうとか、自分が今本当に感じていることは何だ?と自問自答するけど、結局よく分からない。

③理解者が非常に少ない

自分の悩みを人に打ち明けた所で、「気にしすぎ」とか「自意識過剰」とか「そんなの皆も同じだよ」と言われる。
心の疲れは目には見えないから、他人からすればそんなに重症じゃないと思われるのだろうか。
表面上では同意してくれる人も、私に気を遣って同情してくれただけであって、本当に私と同じ悩みを持っている人間は周りには居ない。

性格が悪い人と一緒に居てストレスが溜まるなら分かるけど、普通に性格が良い人とも一緒に居ると疲れる。
だから理解されない。だって自分でも意味分かんないし、最悪だと思うから。
一緒に居て疲れないのは動物と居る時くらい。
…動物と人間の違いって何だろう。

④人との関わりが苦手(特に大人数)

人と接する時は常に仮面を被ってる感覚がある。
別に被りたくて被ってるんじゃなくて、無意識に他人と同化してしまう様な感じだ。
いつも他人に合わせて何者かを演じている。
だから一緒に居るのが割と仲の良い友達でも、やっぱりちょっと疲れてしまう。

社会生活を送る上で、嫌でも大人数での集まりというものに参加せざるを得ない。
それも小さい時から否応なしに参加させられる。
例えば学校なんかもそうだ。
周りに人が沢山いればいるほど、様々な情報が飛び交い、それを無意識に、しかも過剰にキャッチしてしまう。
それが非常に疲れるし、長時間ともなればなおさらだ。
それに伴い、雑音や騒音が多いゲームセンターや家電量販店なんかも苦手だ。

人が多い場所は1歩家を出れば沢山ある。その場所全てが自分にとっての疲弊ポイントとなるため、一度外出し、帰宅したときには毎回ヘトヘトになっている。

⑤色んなことに敏感すぎる

例えば、他人の言動の些細な矛盾点。
人の良い所を見つけるのも上手いが、その分他人の悪い所も見えてしまう。
男性だと分からないが、女性だとちょっとした会話の中でのマウントの取り合いや陰口なども精神的に疲弊してしまう要因の一つだ。
今まで仲良く喋ってたのに、その子が居なくなった途端にその子の噂話や陰口が始まるという現場を見た事があるが、こういうのも苦手だ。

基本的に人の悪口を言いたくないし聞きたくもない。
だからSNSなどもやってない。
何で皆、そんなに他人を批判したがるのだろうか。
もっと皆で楽しくUNOとかして平和な毎日を送ってほしい。

⑥うつ病になりやすい

繊細で傷つきやすい+完璧主義で自分に厳しい+理想が高い=うつ病待ったなし
私の場合、適度に休みの日がないと死ぬ。

昔、私が働いていて精神的に辛かった時に書いたものがあった↓


死にたいよ。
自分が嫌い。
この世界が嫌い。
身の回りのものが嫌い。
生きていたくない。
泣きたい。
散々泣いて一生寝ていたい。
自分なんて死んでしまえ。
無になって楽になる。
楽になりたい。

クソ病んでて草
もう1つ。

私も普通の人になりたかった。一般社会に馴染もうとすると嫌でも分からされる。なぜ普通の人が普通に出来ることが私にはできないんだろう。何でも要領よくこなせる人をいざ目の当たりにすると、私がどれだけみじめな人間なんだろうと、情けなくてしょうがなくなる。
いくら涙を流した所で何も変えられやしないのに、胸が苦しくて苦しくて涙が止まらない。産まれたときからずっと周りの人に迷惑をかけてきたのに恩返しもできないよ。自分が嫌い。自分なんて生きてる価値がない。楽になりたい。でも、私が死んだところで家族に迷惑がかかってしまうかもしれない。最後の最後まで家族に迷惑はかけたくないのにどうすればいい?自殺がだめなら誰かに殺されたい。それなら賠償金が出て少しは恩返しが出来るのに。本当にこんな風に育っちゃってごめんなさい。社会不適合者の私には、ただただ生きることさえ難しく感じる。今はただこんな私でさえ愛してくれた親に対する申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

これなんかもう遺書っぽくなってる。

病んでる時に書いた文章を後から見返すと、その底知れない負のエネルギーにあてられてゾッとするよね。
この時は本気で死のうかと思ったけど、結局今も生きてる。それが良い決断だったかは、この先も生きてみないと分からない。



私は今まで"生きやすさ"を感じたことがない。
まあ他の人も皆それぞれ何かしら悩みを抱えながら生きているとは思うけど、現代を生きる上での向き、不向きというのは存在すると思う。
それについて言えば、INFJの人生の難易度はまさにハードモードじゃないだろうか。

昔、私が聞いて興味深いと思った話がある。
一般的に、人は死んだら天へ昇り、善人であったなら天国、悪人であったなら地獄へ行くと考えられているが、
実はこの世こそが地獄そのものであり、生きていく上で起こる災難や悪夢も、既に犯したであろう罪を償うために天から与えられた試練だという説だ。
赤ちゃんが泣いて生まれてくるのも、地獄というこの世に産まれたことを嘆いて泣いているのだと。
もしこれが本当なら、私は前世で一体どれほどの悪行を犯したのだろうか。

ここまでつらつらと暗い内容の文章を書いてしまったけど、INFJやHSPの人でも環境さえ合っていれば笑顔で過ごせるし、どれだけメンタル強くてポジティブな人でも些細なきっかけで一気に鬱になってしまうこともある。
自分だけがなんでこんなに…って自分の不幸だけしか見えなくなると、ますます視野が狭くなって嫌な事しか見えなくなる。
この世には嫌なものばかりじゃなくて、もっと素晴らしいものも沢山あるってことが分からなくなる。
だからあんまり気負いすぎずに、もっと適当に生きてもいいんだよね。
まあそれが難しいんだけど。

とりあえず働きたくない。

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