社会に対する違和感の話

皆さん今を楽しくすごせてますか。ちーずまるです。
こうやって文字を書き連ねて公開されると考えると閲覧者の時間帯の
ことを考えてしまいますね。

多くのYouTuberが挨拶の際に「やっほー」や「どうも」といって始めるのは
時間の縛りがない言葉だからなのかなとかついつい考えてしまいます。

記事を書いている今の日付は2023年4月1日、年度初めということで私が社会に出て感じた違和感を紹介したいと思います。

挨拶

私が会社に入ったときはじめて抱いた疑問が挨拶です。
社会人の方々にとっては常識だと思いますが、

・現時点で何時だろうが始まりは「おはようございます」
・電話での挨拶は「お世話になっております」

これに対して、「おはようございます」は朝の挨拶だし、会ったこともない人に「お世話になっております」と伝えるのはおかしいと学生時代からの教えとの相違に違和感を覚えた記憶があります。

同期にこのことを話しても誰も理解してくれる人はいなく、一人違和感を抱えながらすごしてきました。それと同時に、言葉の意味というのはこのように違和感を感じる人が少数派になった瞬間に定着するのだなと改めて実感した瞬間でもあります。

社交辞令

「またの機会がありましたらよろしくお願いいたします」
こういった社交辞令が日々そこら中にはびこっています。
当時の今より純粋だった私は、仲良くなりたい人にこの言葉を言われると、「また」という言葉に期待してしまっていた気がします。
この時は期待していてしまっていたせいか気持ちが落ち込みやすかったです。

最近ではプライベートでも使うようになってしまったのですが、確かにこれらの言葉は人との間に角をたてなく好印象を残せるのでそういった意味ではとても便利な言葉ではあります。

しかし、こういった言葉を使うようになった自分のことを当時の自分より嫌いになってしまった気がします。

突然ですが、私は言葉というものが好きですし言葉には力があると思っています。そう思っていないとnoteに自分の考えを書き連ねるなんてことはしないと思うのでなに当たり前のことを言っているんだよと思う方もいるかもしれませんが。。。

だからこそ、言葉を最大限に活用していなく、道具のように利用している自分が嫌いになってしまったのだなとすごく感じます。
誰だって自分の好きなものを汚すものやこと、人に苦手意識を持つようにその対象が自分になってしまったのです。

だからこそ、社交辞令を使わない人や言動が一致している人間に安心感や信頼感をより強く感じられるようになりました。


最後に

長くなってしまいましたが、これが私の社会にでて強く感じた違和感2つです。
言葉を大切にしたいと考えている分、言葉に関することが多くなってしまいましたね。
それと同時に、言葉で伝えるというのはとても難しいことなんだと実感しました。

声に出したり対面であれば、表情、声色、身振り手振り、間の使い方を使えるのですが、、
難しいからこそひかれるのかもしれませんね。

次回は好きなことをたくさん書こうかな。。

最後まで見ていただきありがとうございました。
楽しめていただけたら幸いです。


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