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手をつないだ記憶②『義母――つながる運命をたどった手』

新婚のころ、義母が夫の出身中学校を案内してくれたことがある。

校内を歩きながら「あれが新しくできた武道館」と指さした義母は、自ら良く見ようと高さ80㎝くらいの花壇に上った。ツツジのような低木が植えられていたと思う。当時の義母は60代。若くはない。
――花壇に入っちゃダメでしょ。第一危ないじゃないの。

ハラハラする私をよそに、彼女はずかずか植え込みをかき分けて武道館を見に行き、帰ってきた。そして、下りる段になって案の定、高さに戸惑っている。

私は形式的に手を差し出した。
――でも、私の手なんてきっと借りないわよね。だって、そんなに親しくないもん。

ところが、彼女は臆することなく私の手を取った。細く骨ばった私の手に重ねられた、姑のふっくらした大判の手。初めて接した感触が照れくさく、居心地が悪かった。

それまでの数カ月で、義母と私の価値観や好みが全く違うことはわかっていた。義母は関西育ちで、私は関東育ち。彼女は派手な服が好きで、私はシックなのが好み。義母は商家の生まれで、私の家は公務員家庭。「大は小を兼ねる」がモットーの彼女に対して、私は軽薄短小を便利と思う。生きてきた時代には30年以上の隔たりがある。専業主婦で猛烈サラリーマンを支えた彼女は、私が社会で自己実現するのを良く思わなかった。「アレができる、コレができる、という嫁より、家庭を守ってくれる人がいい」。面と向かってそう言われたときは唖然としたものだ。

真逆な私たちだったが、長い時間と遠い距離を越え、それぞれ様々な選択をしながら互いに向かって進んできた。そして、あの場でつながった。

差出した手に相手が手を委ねてくれるのは、信頼の証。距離間0㎝になってもいいという許容でもある。意に染まぬ嫁でも、あのとき受け入れてくれたことをありがたく思う。

あれから30年。せっかく一瞬0㎝まで近づいたのに、以後大して歩み寄れずにきてしまった。嫁姑戦争を見ながら育った私は、義母に対して身構え過ぎていたかもしれない。表立って仲が悪かった訳ではないが、あの花壇のようにズカズカ踏み込まれることを恐れて、私は一線を引いていた。

それでも、介護が必要になったら、私の働く施設に呼び寄せようかと思っていたのに。義母は昨年事故で急逝してしまった。否応ない「嫁姑」でなく、「介護者と入居者」という必然ではない形があれば、もう少し親しくなれると思っていた。あの手をもう何度か握れば、居心地悪く感じないほどに馴染めたのではないだろうか。

意見も気も合わなかったのに、その人の育てた息子を私が夫に選んだのが、本当に不思議だ。長年経った今も夫に不満はない。そこは、義母に完敗……。納得がいかないでいる私を見て、あの世で高笑いしてくれていたらいいと思う。

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