せめぎ合うyb-1
遠路遥々名古屋から来なすったyb-1。
紆余曲折を経てようやっと納車できる連絡が来たその日の晩、自分は実父と納車の段取りを打ち合わせていた。
というのもペーパーならぬペーペーもいいところのバイク初心者王である自分は原付きに乗れぬ。まさか車にバイクは乗せられぬ。
どうにもならね。というところに、yb-1を買うまで自分が様々な算段を立てる際、知恵を借りていた実父が名乗りを上げたのである。
かつての実父の愛車はMT車、原付きに乗るのは高校生以来だが勝手知ったるMT車の乗り方。自身の仕事の休み時間を見繕って、協力してくれたのである。
だがひどい話だった、自分は不安だった。
実父の運転中に想定外のミスが起きれば、
実父も愛車もクラッシュ・バンディクーしてしまう。
また、バイクは危ないバイクはやめろと母は反対していた。母は実妹氏がバイク事故にあったことがありそれが不安だった。
(軽症で済んだのが不幸中の幸い)
遺伝だろうか?父譲りのバイクに乗りたい気持ちと母譲りのバイク、ダメ、絶対の気持ちがせめぎ合っていた。
納車日、バイク初心者王とその実父はバイク屋さんでyb-1と対面していた。
ガレージに佇むyb-1は、
ピカピカに磨き上げられた車体に、
鈍く光る古傷達が歴史を感じさせる完璧な仕上がりとなっていた、車体が初めて名古屋から到着後、確認に行った際はうわあかっこいいバイクだ、サビのかんじも渋くて良いのう。とこの時はこの時で嬉しかったのだが、点検され整備され垢抜けたならぬサビ抜けたyb-1の姿は別格に見えた。
自分は思わずゴルフ顔負け、ファーーー!の絶叫、実父は昔ゴルフ場でバイトしていたことを思い出したとかしてないとか。
バイクに実用性を求めるなら車に乗るべきだ。全く持ってそのとおりだ。
夏は暑いし冬は寒い。雨降れば滑るし雪の日はもっと滑る。肉を切らせて骨を断つ。
車のように外壁一枚あるとないとで危険は大層違う。
しかしこのyb-1に再開したこの時ばかりは、危険すらも共に過ごしたい、いやこの単車を危険な目になぞ合わせはしないという相反する気持ちがせめぎ合う感じがしたのである。
過大評価、自己満足、いや親バカならぬオーナーバカかもしれない。
なんせまだyb-1にもバイクにも乗れない人間だから、自分の元へと念願のマシンが手に入ったこの時分、舞い上がりに舞いがっているには違いなかった。
仕事から帰ると、静かにそこにいるyb-1の下へと行く。ヒンヤリとしたシートを撫でて、
メーターについた埃を袖口なんぞで拭いてやる。今週末辺りに張り切って練習する自分の姿が目に浮かぶようだった。
yb-1を活かし切りたい、その実力を持て余しはしない。私は良血馬の馬主のようにそんなことを考えているようだった。
尚、実父の実力は健在で、自分が後ろから走る様子を見たいと思い、yb-1を追走する形で帰ったのだが、危なげない運転テクニックでyb-1を家まで走らせてくれた。
私はいつも仕事が遅いので、帰るとソファで寝こける父の姿や、朝4時にトイレからいびきが聞こえてくる姿ばかり目にしていたが、
バイクに乗る父が走るその後ろ姿はさながら、トップガンのオープニングテーマが似合う、なんともマーベリックな後ろ姿だった。(トップガンはカワサキだぞ!というツッコミはシート下に閉まっておいてほしい)
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