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孤独を楽しむ暮らし🌱#1


はじめまして葉葉といいます。
37年間の結婚生活ののち、1年前に離婚して生まれて初めての一人暮らしをはじめました。高校を卒業して地元の銀行に就職し、実家から嫁いだので、61歳で生まれて初めての一人暮らしとなったのです。別居・離婚を決めるまで、ほんとに毎日考えて考えてやっと決断しました。色々な葛藤を経て、今はやっと穏やかな暮らしを楽しんでいます。1年前を振り返り、その体験が同じようなことで悩んでいる人の何かしらの参考になればと、noteを始めることにしました。

私は23歳で結婚し、3人の子に恵まれました。37年間の結婚生活の中で楽しいこともありましたが、夫の性格が歳とともに私にとって負担に感じるようになり、2020年頃から別居を考えるようになりました。2023年、それまで娘2人と4人で暮らしていたのですが、娘2人が県外へ引越しすることになり、夫からこのタイミングで別居したいとの話がありました。「お前の態度が自分を見下している。そのことに耐えられない」「もううんざりした」と。私にとってはまさに晴天の霹靂でした。そのときなぜか私は、「もう一度やり直したい」と答え、娘2人が引越したあとの2023年7月、夫と2人で住むアパートへ引越しました。

1LDKの部屋での生活が始まりましたが、夫の態度はこれまでになく横柄なものになり、話しかけただけではぁ?と不機嫌な声。2畳ほどの自分の小さなスペースで、息を潜めるような毎日。やり直そうと思ったけど、これは無理なのではないか。この先もずっとこんな日々が続くのではないかと、考えるようになりました。そして、8月の後半に「別居・離婚」の意思を伝えました。翌月、夫は別のアパートに引越して行きました。

夫から別居の話が出た時、なぜ「やり直したい」と答えたのか。我が家の場合、それは信仰の問題にありました。私たち夫婦はある宗教団体に所属していて、結婚以来37年間その活動をしていました。
ずっと一家和楽を祈ってきたのに、37年間の結婚生活を離婚で終わらせたくないと思いました。その信仰をしてきての結果が家庭不和だったのですが、あのときはなぜか頑なに、こんな結果で終わらせたくないという思いと、実際の家庭生活の現状に葛藤し続けていたのでした。

こうなった原因はすべてコミュニケーション不全です。結婚生活のなかで、その都度コミュニケーションを取って、問題を解決していくべきでした。言うべきことを言わずに、祈りで解決しようとしていたのです。私の波風を立てたくないという性格が、夫との間でなるべく自分が我慢することで、なんとかいなしいなししてきて、それが夫の自身を見つめる機会を奪ってしまったともいえるのです。ある意味で夫にとっての私は、何をやっても許してくれる母親のような関係性だったのかもしれません。そのコミュニケーション不全は、37年間の長きに渡って熟成され、どうにもならない状況に至ったのです。

夫は、結婚当初は朗らかで子煩悩な父親でした。子どもたちが成長するにつれ、だんだんと短気な性格が現れてきて、2008年頃からはすぐ感情的になることに悩むようになりました。私と子どもたちは、ただ我慢するだけでした。その苦しみを、祈ることで乗り越えようとしていたのでした。対話を避けてその場しのぎをしていくうちに、それがいつしか定着していったのだと思います。

我慢していたのですが、2020年頃からだんだんと耐えられなくなり、少しずつ言い返したり不満を表情に表すようになったのを、夫は「自分を見下している。傷つけられた」と言っていたのですね。自分のそれまでの態度は一切振り返らず、「お前の態度が悪い。俺を怒らせるお前が悪い」との一点張りで、日本語で伝えているのにどうしても話が噛み合わない。自分のしてきたことに向き合うことができない。正論を言うと、「言葉の暴力」と受け付けない。対話ではなく論破しようとする。すべて自分への攻撃と、被害者意識で受け止める。どうにもならないと諦めざるを得ませんでした。

夫と1LDKのアパートに引越した時、リビングにベッドと本、洋服など身の回りのものを置いて小さな自分のスペースを作り、息を潜めるような生活をしていて息が詰まりそうになるので、毎日のように近くの公園とかを歩いていました。このまま暮らしていって、果たしてやり直しができるのか、信仰をしてきたのに最後は残念な結果になるのは避けたい。頭の中をぐるぐると考えが廻り、そしてふと思ったのです。私を苦しめているものの正体って、「信仰してきたのに離婚した」という、外から見たカタチに囚われているだけじゃないか。心はズタズタに傷ついているのに、自分で自分を縛っていたんだと。これから先も不機嫌な毎日を暮らしていくなんて、お互いにとってよくない。スッと心が決まりました。毎日、考えて考えて、どれくらい歩いたでしょうか。歩くなかでやっと決心出来たのでした。

若い頃は、3人の子どもを育てる事で精一杯で、とにかく信仰活動をすることで幸せになると信じ、それが第一という価値観だったように思います。でもその結果は、コミュニケーション不全による別居と離婚でした。今にして思えば、信仰で解決できることと出来ないことがあるのに、自分でやるべき努力をしないで、信仰さえしていればとなっていた。今は一つの視点からではなく、俯瞰して物事を見ていくのが大事だと考えるようになりました。一つの価値観に縛られていると、いつしかその価値観に呑まれ、囚われてしまうことに気づいたのです。

夫が出ていって、1LDKの部屋は私1人のものになりました。家具の配置を変えて、1人には充分な広さになりました。自分のものだけに囲まれた暮らし。その解放感はなんとも言えないもので、戸惑うくらいでした。気を遣わないって、こんなに気持ちが自由になるものかと思いました。生まれて初めての一人暮らしなので少し不安もあったのですが、やってみたらそんな不安は思い過ごしだったとわかりました。好きなときに、好きなことを、好きなだけできるのです。幸福ってモノではない、心の充足だということに気づいたのでした。

別居と離婚という想定外の経験をして、考え方が大きく変わりました。子どもたち3人と家族で暮らした37年間は、折々の楽しい思い出もたくさんあります。それは幸せな日々でした。離婚したからといって、その楽しかった日々は事実で、変わらないものです。私一人では、育て上げることは出来なかった。夫がいたから大学進学など実現できたのだと感謝しています。ただ、カタチに囚われてそれが幸せだと思ってあのまま暮らしていたら、本当の幸せは得られなかったのではないかと思うのです。少し長くなりましたが、もう少し続きます‥。

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