完璧主義

色々な完璧主義がある。

完璧主義といえば、計画の緻密性とその徹底した実行を思い描くだろう。そしてもしかするとその実行に失敗して計画の全てを投げ出すような姿を思い浮かべるかもしれないし、それに悩んでいる人も多いかもしれない。
これは、癖としての完璧主義である。

徹底した正義、優しさ、公平性、幸福などを追求した場合には思想としての完璧主義が生まれることがある。それらは大体、客観性を求めた結果崩壊する。人が客観的世界で生きることは不可能である。
その理論や基準があなたに取って美しかろうと強かろうと存在しないものへの憧れだろう。
むしろ、現実とのギャップに苦しむことになる。

思想としての完璧主義はその理論が完成した瞬間から構造的な問題があるのだから、それを追い求めるものは死ななければいけない。


完璧主義者たちは完璧を諦める人たちを逃げと思うかもしれない。ときに自分たちが何かの主義をすて、相対的に物を見ることを拒むかもしれない。そして、それこそが生きるということだ。

人が生きるということは中庸であることだ。完璧主義は人間の持てる主義ではない。完璧にならないこと、というのが人間の生きる態度なのである。


ps.今日貧血で倒れて救急搬送された。嘔吐と眩暈と寒気で死んでしまう!と思っていたのに点滴を打ったり薬を飲んだりして安静にしていたらしばらくして体が軽くなり、病院から家までの3キロほどの道を歩いて帰った。
人体の凄さ、を感じた。どんな理念や理論よりも生きている人間の体が尊いのではないだろうか。

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