【5分で読める小説】#シロクマ文芸部「金魚鉢」『君に広い世界を』
金魚鉢が大小二つ、口にフリルが付いた昔ながらのガラス金魚鉢だ。それが、今も実家のリビングの隅っこに仲良く並べられている。中には一匹ずつ金魚が飼われている。
晃太郎がまだ高校生だった頃、小学生だった妹が祭りで金魚すくいをして持ち帰った二匹なのだが、突然持ち帰ったものだから水槽が家にあるはずもなかった。しかし、昔使っていたような痕跡のある大小の金魚鉢を、父親が家の押入れだか庭の倉庫だかから探して来たのだ。
普段は無口な父親が、その日はせっせと晃太郎と妹に世話の仕方を教えた。いきなり新しい水に変えては金魚が適応できないからと温度合わせと水合わせをしながら。
ひと段落すると、父親は『金魚鉢の法則』というものを二人に教えた。金魚は金魚鉢の大きさによって体型が変わるらしく、大きな金魚鉢で育てれば大きくなるし、小さな金魚鉢で育てれば小さいままなのだという。
その言葉通り、晃太郎が大学生になった今も、実家では大きさの異なる金魚が大小の金魚鉢で飼われている。
晃太郎が食堂のテラスに出ると、生温い風が一瞬頬に貼りついて後ろへ抜けていった。まだ五月だというのに、手に持ったアイスコーヒーの氷もすぐに溶けてしまいそうな暑さだ。
地元と比べ降水量が低い福岡は青空がよく見えて気持ちが良い、と思っているが、単純に気分の問題かもしれない。
テラスには二十ほどの席があり、その全てのテーブルから白いパラソルが生えている。晃太郎はその中の一つに足を向けた。
「瑠衣」
声を掛けると彼は顔を上げ少し笑った。
「焼けたね。このペースじゃ真夏に晃太郎の丸焼きができあがるんじゃない?」
新メニュー・ローストチキン定食を持った学生が香ばしい匂いをさせながら側を通り過ぎて行ったのを横目に見て、晃太郎は顔を顰めた。久しぶりに会って開口一番に言われる言葉がそれとは。
「……気をつける」
午後の講義が始まったため食堂のテラスに座る学生はまばらだ。皆、食事を摂ったりゲームで対戦をしたりと各々自由に過ごしている。瑠衣は読書をしていたようで、ぱたりと表紙を閉じた。
「またどっか行ってきたんでしょ」
その言葉に相槌を打ちつつ、スマートフォンの写真フォルダを開き瑠衣に手渡す。受け取った瑠衣も手慣れた様子で画面をスワイプしていったが、ふと五枚目の写真で手を止めた。
「もしかしてブラジル?」
「正解。飛行機二回乗り継いでトータル三十七時間半」
瑠衣は呆れたように晃太郎を見た。このあいだ台湾に行ったばかりじゃないかとでも言いたげだ。案の定「台湾に」と言いかけた瑠衣を遮り晃太郎は言葉を続けた。
「たまにはどっか遠出しようぜ」
晃太郎の提案に瑠衣の目が泳いだ。
「博多の方とか? それか大宰府とか? せっかく福岡に来たのに晃太郎は海外ばっかりだからなぁ」
晃太郎の意図を分かった上で瑠衣はとぼけたことを言うが、それも分かった上でたたみかける。
「俺が撮った写真、見るの好きだろ。せっかくなら実際に見に行こうぜ。瑠衣はもっと外に出かけていいと思う」
瑠衣はしばらく何を言おうか迷っている様子だったが、視線を合わせないままそっと呟いた。
「写真を見せてもらってるだけで充分。晃太郎がいろんな所に行くから、なおさらいろんな所に行ってる気になってるよ」
それに、と陽炎のように瑠衣の声が少しぼやけた気がした。
「……僕と遠出するのは、大変だと思うよ」
瑠衣はひざかけの掛かった太ももに手を当てた。視線を落としているからよく見えないが多分、作り物のような浮かない笑顔をしているのだろう。たまに見るその顔だけが晃太郎はあまり好きではなかった。
「今まで九州からほとんど出たこともないし、それに家族以外に迷惑は――」
「迷惑じゃない」
他の席にいた学生がこちらを向く気配がする。顔を上げた瑠衣の睫毛が微かに震えたのを見て、晃太郎はもう少しだと感じた。
「俺はお前と遠出してみたいんだから置いてったりしないし、迷惑とも思わない。どこでもその車いす、押してやるよ」
瑠衣は本の表紙に触れていた右手をゆっくりと眉間に当て目元を隠した。覆われていない唇がキュッと結ばれる。木漏れ日が瑠衣に揺れ映り、晃太郎はその姿をじっと見つめた。
「ほんとに?」
瑠衣の言葉に晃太郎は大きく頷いた。
「手始めに北海道とかどうだ。飛行機ならたった二時間半で着く。ブラジルに行くより近いだろ」
「たしかに」
目を瞬いて吹き出した瑠衣に、晃太郎もつられて笑った。
締切過ぎちゃったけどせっかく書いたし載せますー
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