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片道500キロの広島県→静岡県カブツーリング

<予告>

走ることに集中していたため写真少なめ文マシマシです。それでも良いという方はご覧下さい。

(ヘッダーの写真は天浜線の浜名湖佐久米駅)
旅中に訪れた場所ではありませんが、静岡県の中でも割と好きなスポットです。




突然だが、1週間と2日ほど休みを頂いたので原付で帰省することにした。

せっかくの春休みなのだ、普通に新幹線に乗ったのでは面白くない。どうせなら原付で、さらに寝ずに丸一日かけて行こうじゃないかと思った次第だ。

500キロ越えとか頭がおかしい。原付で行く距離ではない。しかし、この間200キロを2日間で往復できたのだ。(合計400キロ走破)

次の目標としては妥当なところではないか?
(錯乱)


と、言うことで。2023年2月13日の夕方6時頃、家を出発した。

別に出発を翌日からにしても良かったのだが、なんだかもういても立っても居られなくなってしまったので雨が止み次第出発した。

出発してすぐは小雨が降っていたが、しばらく走っていると日も暮れて雨は止んだ。


福山市の市街地を抜ける際に渋滞にはまってしまい、どうにもやきもきした。まだ先は長いのだが、何度も止まったり進んだりを繰り返しているとだんだんと疲れが溜まってくる。


前日にFGOをプレイしていて2時間半ほどしか睡眠を取っていなかったのも原因のひとつだろう。(もっと寝ろ)
倉敷に着く頃にはまだ2時間ちょっとしか走っていないのにかなり疲弊していた。

流石に限界を感じて、岡山のローソンで9時半頃に休息を摂ることにした。
眠気と、倦怠感からくる疲労感。このまま走ったら死ぬと身体が警戒信号を発しているのが感じられる。

だが進む。理由は分からないが、止まりたくなかった。必ず目的を遂げる、そんな強い気持ちが体をつき動かしていた。

ローソンで購入した缶コーヒーを飲む。すると、カフェインが身体中に巡り、眠気が覚めてかなり「走れる」体調が戻ってきた。
近頃はコーヒーをあまり飲んでいなかったが、やはりトラックの長距離ドライバーがこぞって飲むのには理由があるのだと感じた。



そして、瀬戸内市に入る。ここで、「岡山ブルーライン」というものの存在を知った。
どうやら、原付でも走れるバイパスらしい。だが、見た目は完全に高速道路。

もう夜の10時を回っているからか車は少ないが、たまに追い越してくる車はとんでもなく飛ばしている。
なんだアレ100キロは絶対出てるだろとか思いながらビクビク走っていた。

すると、だんだんと道路が持ち上がっていき、高架になるにつれて周りの景色が見えるようになってきた。
一面の田んぼに、街灯が点々と見える。
農村風景の10メートルほど上の部分の高架を貫くブルーラインはまるで、未来都市の空中道路のようだった。

夜の闇に浮かぶ街灯が後ろに吹き流されていくのを眺めながら走る。風がとても心地いい。雨雲は吹き流されて空は見渡す限りの星海に、黒い山なみが印象的だった。

さっきまでビュンビュン追い越してきていた他の車もいつの間にか無くなり、走っているのは自分1人だけだった。

深夜特有の孤独感と、この広い絶景を独り占めできている優越感から、堪らない気持ちになった。

絶景は直ぐに終わり、また山だらけの道に戻ってしまったが、あの景色はしばらく記憶に焼き付いて離れなかった。

この岡山ブルーラインが、この旅で走った中でも一番楽しい道路だった。本当に、それくらい感動したのだ。

束の間の絶景に疲れを忘れ、信号のない道路をビュンビュン飛ばす中で気力は復活してきていたが、体の方はそうもいかない。
そろそろ手の感覚も無くなってきて、なんだか首も痛くなってきた。


止めは残りの走行距離だった。
出発から6時間が経過し、睡眠不足と渋滞の連続で体は限界を迎えていた。
ふとナビを見ると時間は零時。
いつの間にか日付が変わり、残りの走行距離が360キロ。到着時刻の欄は14時を表示している。

ここから休み無しでずっと走っても目的地に着くのは14時間後ということだ。

深夜の零時過ぎ。絶望の走行距離。

ずっと残りの走行距離については考えないようにしていたが、うっかり目に入ってしまった。

流石に心が折れそうだった。

仕方が無いので、姫路市のファミリーレストランで休息を摂ることにした。

相生市のジョイフル。24時間営業。

スタッフさんが1人で回してるようで、なかなか大変そうだったがこちらも限界だったので、2時間ほど居させて貰った。
おろしポン酢定食?のようなものを注文した。

疲れ切っており食べ切るのに1時間以上かかった。更に、その後30分ほど仮眠を取ってから出発した。正直寝れた気はしなかったが仕方ない。

そして、休息がてら経路の検索。
どうやら神戸市を抜けていくよりも、京都の山中を抜けていく道路の方が早いらしいという情報を見かけて、次のルートに決めた。

検索サジェストに「酷道」とかの不穏な文字が踊っていたが、無視した。


深夜2時頃、姫路市内の適当なガソリンスタンドで満タンまで給油をしてから出発した。


暫くは碁盤の目状の道路が続いていた。綺麗に開発された都市のようだ。なかなか面白い。
深夜なので他の車も居らず、たまに通るタクシーに追い越されながら走った。

そのうちに、住宅街を超えると見るからに田舎な道に入った。道路は想定よりしっかりしており、途切れたりはしていなさそうだったが、両側を山に挟まれた道は心細かった。

妖怪でも出てきそうな道だ。



そして、その後3時間半ほど姫路から京都まで、休み無しで走り抜けた。
午前五時頃に亀山市に着いた頃には、疲労困憊でまともな思考ができなくなっていた。1分でも早く休みたい。

とにかく栄養を摂らなければ。そんな思いで亀山市のセブンイレブンに立ち寄ったが、めぼしいものが無かった。

もう本当に限界だったので、京都市まで気合いで進んで、快活CLUBで休むことにした。


京都の快活CLUBに着いた頃には、夜が明けかけていた。出勤のサラリーマン達が忙しく動き出す頃に、自分は眠りにつくのだ。それが妙におかしくて面白かった。疲れすぎて変なテンションになっていたのだろうか。

白んだ空をぼけ〜っとひとしきり眺めてから眠りについた。



結局、目覚めたのは3時間半後だった。体はだるいし首も痛いが、走れないほどでは無い程度に回復していたので、休憩を切り上げて復帰することにした。

10時頃に近くのガソスタで給油しつつ出発。
夜の街並みからは分かり辛かったが、走るうちに碁盤の目状の街並みをしているのが見て取れた。

しかし、姫路市が新しく整った印象があったのに対し京都の街並みは歴史が長いためだろうか、かなり雑多な印象を受けた。猥雑としており、人の生活の気配が濃い。

過去に修学旅行で京都を訪れた時はもっと綺麗な街並みだったような…いや、やっぱり人が生活しているところは普通にこんな感じだったような気もする。

京都で驚いたことがもうひとつある。それは、原付の数の多さだ。それも、原付2種などのどちらかと言うと趣味の色が強いバイクよりも、ジョグなどのスクータータイプが多かった。

そして、京都の原付はかなり運転が荒い。明らかに同じ50ccの筈なのに、ガンガン飛ばしてくる。すり抜けも当たり前のようにするライダーがほとんどだった。
たまたま私がそういうライダーによく当たっただけかも知れないが、こんなに運転荒めのライダーが多い町は初めてだったので少し面食らってしまった。

色々な意味で、京都は旅の中でも思い出に残る街となった。


京都市の街道を抜けて、滋賀県に入る。
すると、急に辺りが広くなったような錯覚があった。
周りが低い山に囲まれて、やや閉塞感のある京都と比べて滋賀県の南部は、のどかな田園風景が広がっていた。

田んぼや畑の中を太い道路が貫いていて、それに沿って店が点在している感じだ。
途中かつやでカツ丼を食べ、栄養補給をしてから愛知方面へ向かった。


愛知へ向かうルートはいくつかあるが、今回は速度重視で国道421号線を使用した。
それなりの傾斜もある道で、滋賀県側で少し雪に降られたりもしたが、そんなに苦労することも無く山を降り終え、無事に愛知県入りすることができた。



愛知県の、滋賀県寄りの場所ではかなり田舎な風景が広がっていたが、街に近付くにつれて異常に車が多くなってきた。さすが車社会の県と言われるだけはあると思った。

街中に入るまではまだ余裕があったが、ちょうど夕方のラッシュの時間帯に通過することになってしまい、完全に渋滞に巻き込まれてしまった。


ちょっと進んだかと思えばまた止まっての繰り返しだ。あと少しで自宅だと言うだけに、もどかしい思いだ。
それに、正直疲労も相当溜まっており限界が近い。

このままだと路上で失神しかねない、というレベルだったため近くのコンビニで適当に時間を潰すことにした。
渋滞を尻目にイートインスペースで菓子をつまみながらYouTubeを眺めていたら、時間はあっという間だった。



日が暮れてから再出発したが、まだ渋滞は続いている。結局、中心街を抜けるのに2時間ほど時間を食ってしまった。
渋滞は驚くべきことに岡崎の方まで伸びており、旅の中でもかなり忍耐力を試される場面だった。正直、さすがに心が折れそうだった。


そして、故郷の豊橋に入る頃には精も根も尽き果て……といった有様だった。
お腹も空いてきたので、過去に父に教えてもらったラーメン屋さん「桃山亭」で晩飯を頂くことにした。

時間は9時を回っており、客もまばらな店内で食券を購入。
写真がなくて申し訳ないが、感想はというと非常に美味かった。
濃い味付けで、何よりニンニクを何個でも投入できるのがいい。夢中でラーメンを啜った。

そして、ラーメンで復活したなけなしの体力でなんとか家まで帰りついた。



色々なハプニングはあったものの、無事故無違反で500キロもの道を走破できたのは私の中で大きい経験となった。

また、私は自分の限界を知っておくことで、より細部まで手の込んだ旅の計画を立てることができるようになると思っている。
これまでは無鉄砲に行き当たりばったりな旅をしてきたが、これから先の長距離ツーリングではそうもいかない場面が多くなってくるだろう。

この旅を通して、まだ手探りではあるが「ここまでは大丈夫だろう、ここを超えたらアウト」というラインが割とはっきり見えてきた。
そのラインを超えてうっかり事故を起こしたりしないように、より具体的な計画を立てていきたいと思う。
旅中に何度も心が折れそうになったが、何とか到達することが出来た達成感でいっぱいである。

次はどこに行こうかな。




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