2024年・1月出張記 舞鶴 福井センイ
福井センイの菅原さんと奥さん。京都の舞鶴で縫製工場をしている。
もともと菅原さんとは店で取り扱わせてもらっている洋服のブランド、カテジナとの繋がりで出会った。
カテジナの他のどこにも存在しない、あまりにも自由極まる、でもだからこそ職人魂が燃えて萌える縫製オーダーを、スタッフたちと必死に楽しそうにこなすその話に勝手ながら大いに頷きつつ、せっかく今回京都に来たからと会いに行ったのだった(でも舞鶴は京都からなかなか遠かったけど)。
菅原さんは一見ひたすら眼差し強い真面目なカタい男に見えるが、実はその精魂に燃えるパンク魂というか、まだ見ぬ道を切り開く開拓精神の熱いカタマリというか、とにかくそういうものを持った人だ。
将来が半ば約束された硬い前職から、奥さんの実家の縫製工場を突然継いだことからも、その精神が伺える。
千葉の都会生まれの菅原さんはコンクリートの地面の上で子どもを育てる事実がどうにも受け入れられず、奥さんの実家である舞鶴にふっと心奪われてしまう。
なるほど。実際に行ってみれば、確かにその感じはわかる。
どこの地方とも同じように、ここも人自体は減って商店街もほとんど閉じてはいるが、それでもチェーン店は少なく、街規模の割になんだか個人店がギリギリ頑張っていて、漁業があるからだろうか、なんというか、そこに血が通っている感じがある。温度が残っている感じというか。
福井センイにおける菅原さんの生活もどうやらそんな感じのようで、工場と家はすぐ近く、働く縫い子さんたちの家もすぐ隣、子どもが通う保育園も家の目の前、そして社長である義父は仕事帰りに突然思い出したように目の前の海でカニを捕っては食す・・・という、まさに大いなる自然生活というか、ナチュラルで血の通ったミニマル生活というか、まあとにかく、菅原さんはきっとそもそもこういう生活を芯からしたくて敢えて硬い道を外れたのだろうなあ、というのが行けば十分に伝わってくるのだった。
でも菅原さんは元からビジネスマンのカタマリでもあるというか、とにかくいっときも止まることをしない印象のひとで、聞けば、大学の頃に学んだスポーツビジネス学を活かして、プロの道を泣く泣く諦めたアスリートたちを舞鶴に呼んで子どもたちの目を輝かせたり(プロを諦めて行き場を見失いないがちなアスリートたちの今後を探る目的と、子どもたちにとにかくホンモノを目の前に見せたいという目的から)、そうそう、近々とんでもない目論見を考えていて、なんとギャラリーと宿をオープンするのだという。
縫製工場がプロデュースするギャラリーとホテル。そう聞くと「?」しか浮かばないし、実際そうなんだけど、そこは熱い未開拓精神を持つ菅原さんのこと。しっかりした確信とどうしても語りたいストーリーと想いがそこにあるのだろうと推測する。建設中の両建物を見せてもらったけど、かなりかっちょいいものになりそうだ。そんな予感がひたすらした。というわけで、舞鶴にはまた行きたいと強く思うのでありました。