なぜ「分析」を行うのか

「分析をどうやるか」は重要、「なぜ分析を行うのか」も同じぐらい重要

手法やツールで「分析をどうやるか」の話はたくさんあるが、「なぜ分析を行うのか」についてはなぜかあまり触れられていない。

「日本では家では靴を脱ぐ」ぐらい当たり前だから誰も語らないということあれば杞憂だった、で済むがそうでもないらしい。

「分析」を行う際に考えておくべきこととして、「なぜ分析を行うのか」をできるだけ簡潔に説明することを試みてみる。

意思決定のためには先に「情報」を集めて考えなければならないから

何をするにも選択肢はたくさんある。一方でリソースは有限しかない。なので優先順位を決めなければならない。そのためには選択肢のどれがどれぐらいの効果が望めるのかという「情報」を集めて比較という名の「分析」をしなければならない。

もし金も時間も無限に使えるとしても一度の失敗がもう取り戻せないならばやはり事前にリスクという名の「情報」を集めて何をしたら、あるいはしなかったどうなるのかを「分析」するはずだ。

つまり「意思決定のためには先に「情報」を集めて考えなければならないから」が「なぜ分析を行うのか」の答えだ。しかし現状では「意思決定のために情報が必要である」という意識が非常に低いのでこれだけだと伝わらないかもしれない。もう少し違う表現をしてみよう。

先のことはわからないし、考えるためには知らなければならないから

未来のことは(ごく身近で短期的な事象を除けば)わからない。なのでとにかく闇雲にやってみたところでうまく行く可能性は低い。施策を行うには企画やアイデアを作る。そして企画やアイデアを作るためには知識が必要だ。

うまく行く可能性を高めるためにはできるだけ未来の不確実性を下げることが望ましい。例えば次のようなことを行えば次の手が打ちやすくなる。

  • 成功/失敗した方法を学ぶ

  • 市場の変化や売上の推移を予測する

  • テストマーケティングで誰に売れるか様子をさぐる

  • 何が欲しいか顧客に聞いてみる

  • プロダクトの変更によるシステムやオペレーションへの影響を検討する

  • 価格の変更による売上の増加と顧客の減少を比較する

これらは全て「知ること」である。そしてこの知識を得るための行為が「分析」である。

つまり「なぜ分析を行うのか」といえば「仮説やアイデアを考えるためには知識が必要だから」であり、「成功する確率を上げる(不確実性を下げる)ためには知らなければならないから」であるとも言える。

「分析では何をするのか」も忘れられている

「分析」はこの10年程度でそれ以前とは比べ物にならない位に広まった(ただし、まだまだ全然足りない)が「分析」の成果が見合っていないのではないか、その原因は「なぜ分析をするのか」が抜け落ちているからではないか、という問題意識からこの記事を書いた。

冒頭に書いたようにできるだけ簡潔にすることを優先したので言葉の説明があまりできずに曖昧になっているのは反省しており別のところで埋め合わせする。

もちろん「なぜ分析をするのか」を知ったところで何も解決しない。様々な手法、実現するためのツールが使えなければならない。どちらかではなく両方とも必要なのだ。しかし現状ではあまりにも「分析をどうやるか」のうちのそのまた一部である手法やツールの話に偏り過ぎている。

さらに「なぜ分析をするのか」と「分析をどうやるか」の間には「分析では何をするのか」がある。ここも忘れられているが「分析」を行うためにはやはり知らばければならない。いずれ記事まとめる予定だがそのうちのいくつかは詳しく書いているので気になる人はそちらを先にどうぞ。

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