意思決定と分析のプロセスを料理のプロセスと並べてみると見えること

データ分析がプロセスであることが解りづらかったら、料理に例えてみよう

意思決定と分析のプロセスは1つの意思決定に関するプロセスだ。しかしこれだけだと抽象的なのでいまいち伝わりづらいかもしれない。

こういう場合は身近な何かで置き換えて考えることで見通しがよくなることもあるので、料理に例えてみる。

意思決定と分析のプロセスと料理のプロセスを比較する

まずはそれぞれのプロセスを並べてみる。すると大体同じような並びになっている。

「料理のプロセス」と「意思決定と分析のプロセス」の比較

この表では意思決定者と分析者、食べる人と料理人は別にいる想定で書いている。もちろん意思決定する/食べる人自身が分析したり作ることもある。その場合でもコミュニケーションが発生しなくなる以外は全て同じだ。

こうして料理に例えることで意思決定と分析のプロセスについても「分析だけじゃなくてその前後でもいろいろやらないとプロセスはうまくいかないのだな」と何となくでも伝わってくれればうれしい。

しかし、本題はプロセスが似ていることを伝えたいのではない。

料理なら当たり前でもデータ分析だと忘れられてしまうので注意するべきこと

意思決定と分析のプロセス、つまりデータ分析が失敗する原因の中には、別のことでは当たり前なのに分析になると忘れられてしまうために起きているのではと思われることがいろいろある。

分析やデータは触ったり見ることができないことが大きな要因として挙げられるだろう。なので身近な料理と比較することで勘違いを取り除くことができたらより活用が進む手助けになると思う。

なおスポーツなどでも同じような話ができるはずなので、もし料理に馴染みがなければ別のことに置き換えてもらってかまわない。

  • 誰も消費しないなら作らない

  • 先に作っておかないと欲しい時に使えない

  • 生の状態だけでなく加工もしておかないといけない

  • すぐ手に入る場所に届ける仕組みも必要

  • 材料がたくさんあればいいわけではない

  • 全てを集めることは出来ない

  • 持っている道具をどう使うのか、から考えてはいけない

  • 任せていいのは余裕がある時だけにする

  • おまかせにはリスクを伴う

  • 最初から豪華な設備は必要無い

  • 消費されることで価値が出る

誰も消費しないなら作らない

「料理を作ったら食べないと意味がない」と聞いたら「それはそうだ」となるだろうが「分析をしたら意思決定につながらないと意味がない」だと「?」になることもあるらしい。

意思決定につながらない分析とは、誰も食べないのに料理を作っているようなものだ。料理なら調理の時間はもちろん、食材の調達や下ごしらえに時間も金もかかるのに食べないなら作らなくてもいい。同じように、分析も意思決定に繋がらなければやらなくてもいい。

先に作っておかないと欲しい時に使えない

野菜が欲しいと思ってから畑を耕して種を植えても今日の夕食には間に合わない。

データも同じ様に欲しい時になってから獲得しようとしても間に合わない。物理的に見えないし触れないものだからか欲しいと思ったらすぐに手に入ると思うようだ。

先月のキャンペーンの成果を知りたいなら何人来店したかはその時に数えておくか、すべての出入りを録画しておかなければならない。

生の状態だけでなく加工もしておかないといけない

「大豆はあるから麻婆豆腐を作ろう」とはならない。通常はまず豆腐を手に入れることを考えるはずだ。大豆を作る技術があったとしても、たまに趣味でならともかく時間やリソースを考えると日常では実行はしないだろう。

データも生の状態と使いやすく整備した状態ではまったく異なる。整備しなくてもデータは使えるが、使えるようになるまで時間がかかる。なので獲得して集約するだけでなく整備をして使いやすくする必要がある。

この認識はまだまだ広まっていない。トラブル対応で今すぐ欲しいデータがあるのに、整備していないばかりに抽出に数日かかってしまい対応に間に合わない、なんて話はよく見聞きする。

すぐ手に入る場所に届ける仕組みも必要

近所のスーパーに行けば買い物ができるのは物流があるからだ。物流が存在せず、魚やかまぼこを買うのにその都度港や加工場へ行かなければならないのはとても不便になる。

「データがある」と「データが使える場所にある」ではまったく違う。社内の個別のシステムに散在しているデータとは、港や加工場に置かれたままの食材だ。だから集約が必要になる。

材料がたくさんあればいいわけではない

カレーライスを作るのに、どんなにたくさんの肉や野菜があっても米が無ければカレーライスにはならない。食材がたくさんあればどんな料理でもできるわけではない。作りたい料理にふさわしい食材が必要だ。

分析でも「なぜ来店しないのか」を知りたいならどんなに正確で大量のPOSデータだけがあっても足りない。「データがたくさんあれば意思決定に繋がる」と考えるのは根本的に間違いである。

全てを集めることは出来ない

どんな食材を集めておけばいいかわからないから世界中のあらゆる食材を集めておけばいい、と考えるのは自然ではあるが実現不可能だ。料理人ならばまず優先すべきは店で出す料理のための食材だ。

どんなデータを集めなければいいかわからないからとにかくたくさん集めておけばいい、と考えるのも自然であり、そしてこれも実現不可能である。集めるべきはまずは分析する人が使うためのデータだ。

持っている道具をどう使うのか、から考えてはいけない

すりおろし機を持ってきて「これでじゃがいもをどうにかしよう」と考えてもカレーライスには向いていない。じゃがいもを切りたいのならば包丁を先に探す方がよい。つまり、道具選びは加工する方法に依存する。

データもどのように加工するかが決まってから道具を考えなければならない。しかし「手元にあるデータ」「すぐに使えるツール」「勉強した手法」から初めてしまうことが多すぎる。常に「目的は何か」から初めて、加工の方法に合う道具を探すべきだ。

任せていいのは余裕がある時だけにする

料理人があなたの好き嫌いやアレルギーを熟知しているか、そうでなくても健康な体でどんなものでも出されたものなら何を食べても問題ないのであれ何を作るか全面的に任せてもいいだろう。

しかし、食事制限が必要であったりアレルギーがある人は必ず伝えるはずだ。そうしなければスポーツ選手は成果を出せず、病人なら致命傷になりかねない。

もし会社が順風満々でお金が有り余っているならば分析者のしたい分析をさせても良い。それで意思決定を間違えてもダメージは少ない。

しかし、強力な競合が現れたり社会の趨勢が変わって会社の業績が傾いているのであれば意思決定者が主体となって何を知りたいのかを明確にしなければならない。分析を間違えれば良くて時間と金を無駄にするだけで済むが、悪ければ会社がつぶれる。

おまかせにはリスクを伴う

料理のおまかせは栄養が少ないが材料費が安く、その上に値段が高い料理、つまり食べる側にとってではなく料理人にとって都合の良い料理が作られるリスクがある。食べる側に料理の知識もなく食べることにしか興味もなければぼったくられる。

分析のおまかせは、野放しにすると分析者の利益が先行するリスクがある。すなわち、新しく勉強したからと使ってみたい手法の利用を優先し、世の中にアピールできるからと必要のないツールの新規導入を行ってしまうかもしれない。

コストが高くつき本来やるべき事とはかなり違っていても何らかの意思決定に繋がればまだましかもしれない。時には分析者が正しいと思うことに誘導されてしまうこともある。ぼったくりを回避するためには、分析の質を見極めるだけのリテラシーが必要だ。

最初から豪華な設備は必要無い

投資は必要だが、料理をしたことがないのに豪華なシステムキッチンを導入したところで使いこなせるわけがない。それ以前にどんなシステムキッチンが良いのかすらわからず業者の言いなりになって使わない設備に大金を投じる羽目になる。調理器具もどんなに高性能がうたわれていても近所のホームセンターで買える安い道具との違いなど素人にはわからない。道具を何にするかは最低限にしてまずは料理をすることから始めるべきだ。

これからデータ活用をしようとする段階でデータ基盤の構築から考え初めると、大量のデータは入っているが誰も使わないデータ基盤になる。ツールもいろいろな機能が搭載されていると何かできる気になるが、ほとんどの機能は使われることなく利用料金だけがかかる。まずは「何が知りたいのか」の目的を決めて、その目的を達成するための最低限の道具は何かを考え、分析をとにかくやってみよう。

消費されることで価値が出る

料理は食べたら消化され、エネルギーになって意味をなす。

分析は意思決定に繋がり、行動がされて利益に繋がることで意味をなす。

データ分析も1つの技術として捉えよう

他にもまだあるけど長いので止めておく。全部書き出す機会があればそこで書いてみたい。

一番言いたいのは「データ分析も1つの技能として捉えれば良く、過度に特別視したり遠ざけたりせずにうまく使っていきましょう」ということなのだけど、ちゃんと伝わっただろうか。

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