『ハーバー・ビジネス・オンライン』に掲載予定だった安倍政権期の警察・内閣情報調査室をめぐる論考(3・終)


ハーバー・ビジネス・オンライン第四回目のために書かれた原稿である。一読して分かるように、推敲が完全ではなく、メモ書きとなっている部分もある。だが、明らかにおかしいところを除いて、基本的に筆者のPCの原稿そのままを転載することにした。2019年から情報はアップデートされておらず、誤りがある可能性もあるので、あくまで参考として欲しい。なお、周知のように、岸田文雄氏が日本の「民主主義は危機にある」と述べて総裁選挙に立候補、勝利して岸田政権が成立したことから、筆者が以下の論考で述べるような事態は現実のものとならなかったことを付記しておく。


ハーバー・ビジネス・オンライン第四回原稿


肥大化する情報機関:ブラジル軍政下「国家情報局(SNI)」の事例

内閣情報調査室だけを考えても、その権限の大きさやリスクを理解することはできない。こうした場合、よその国の情報機関と比較するという方法が便利である。ここで筆者は、ブラジル軍事政権における情報機関の組織と、内閣情報調査室の組織とを比較してみたい。もちろん、民主主義国家である日本の情報機関を、ブラジルのしかも軍事政権下の情報機関と比較するのは、無理があると思われるかもしれない。しかしながら、このような極端な比較をした場合に、かえって見えてくるものもある。

さて、ご存じの方も多いかもしれないが、1960-70年代にかけて、筆者が専門にするラテンアメリカ地域のほとんどは、軍事独裁体制がほとんどであった。現在は民主化したブラジルも、例外ではなかった。そしてブラジルを統治していた軍事政権は、当時、盛んであった左派ゲリラを鎮圧するために、強力無比の権限を有する情報機関「国家情報局(SNI)」を創設した。意外かもしれないが、実は、内閣情報調査室はこのSNIと比較できるのである。以下の記述は、アルフレッド・ステパン『ポスト権威主義―ラテンアメリカ・スペインの民主化と軍部』堀坂浩太郎訳、同文館、1989年に依っている。

では、SNIはどのような権限を持っていたのか。ステパンによれば、SNIには以下のような特徴があった

①    SNIは対国内最高情報機関であり、かつ対外最高情報機関であった。

②SNIの長官は法律上閣僚であり、しかも事実上大統領と直接毎日接触できる内閣のなかの内閣のメンバーであった。

SNIは情報活動の上級トレーニングを一手におこなっていた

④SNIは独立機関で、実践の諜報員を自前でもち独自の諜報能力を有した。他の機関に頼ることなく、広範な活動ができた。

⑤SNIは法律にもとづいて省庁、国営企業、大学のすべてに事務所をもっていた。SNIの地方支所も同様の事務所を政府諸機関内部にもっていた。これらの事務所の役割は、(イ)重要性のある書類の全チェック、(ロ)あらゆる政策における治安上の点検、(ハ)各段階の責任者の人的審査であった

⑥SNI本部は、SNI自身による全活動のみならず、国家の他の情報機関による、とくに軍部の情報機関による対組織外の情報活動を調整した。本部は、調整と連絡の機能をあわせもっていた。

⑦議会や行政によるSNIに対する常設監査機関は存在しなかった(前掲書25-26頁)。

⑧さらに、SNIの「トップ六人は、その後もなお昇進の可能性をもつパリパリの陸軍将校によって占められていた」(ステパン前掲書23頁)。

SNIは、報道機関の検閲を行っていた

「怪物」と化したSNI

 さて、このSNIはどれほど大きな権限を持っていたかというと、当時のアメリカ、イギリス、フランス、そしてソ連にも、これほど巨大な権限をもつ情報機関は存在しなかったほどであった(ステパン前掲書26-28頁)。実際、SNIを作り上げ、その初代長官を務めたゴルベリー・ド・コウト・エ・シルバ将軍自らが、後に「怪物」をつくってしまったと嘆くほどであった(ステパン前掲書23頁)。ゴルベリー将軍は、「治安集団は暗く秘密主義のあるところにはびこる。権力濫用は記録されず、過剰行動もチェックされない」と語る(ステパン前掲書52-53頁)。

次のような3つの事態が帰結したという。

第1に、SNIの軍人たちは、人事上の野心を追求したり、SNIの特権と政策に敵意をいだくと思われる軍人大統領や軍人の昇進を妨げるために、SNIの情報機関を利用できた

第2に、軍や軍人個人は、治安部隊といっしょに、多数の市民を拷問にかけ殺害していた。そのため、報道の自由を妨害し、告発をうやむやにすることに、SNIに組織としての利益が生じた

第3に、平職員に至るまで、SNI職員は私服を着用し、自動車や航空券、個人活動費が支給されることがあった。SNI職員はしたがって、権威主義国家の官僚的日常業務を維持することに、利益を有していた(ステパン前掲書32-33頁)。

これらの特徴のために、SNIをはじめとする治安集団が肥大化し、軍全体を(すなわち軍事政権全体を)支配するという懸念が生まれた。そこで軍事政権の上層部は自ら、治安集団を統制下におくために、軍事独裁体制を「自由化」せざるを得なくなった(ステパン前掲書45頁)。軍人大統領であるガイゼル将軍は、軍や情報機関を統制するために、報道機関の検閲を緩めた。なぜなら、検閲の存在は、軍の「先鋭分子による一方的な攻撃を政府にたいしてさえ許すことになる」からであった(ステパン前掲書51頁)。情報機関が報道を検閲する限り、情報機関にとって不利益な情報は当然、公開されない。同時に、情報機関の利益を脅かしたり、その違法行為を暴露しようとする勢力は、SNI要員が収集した様々な情報を使って、攻撃できてしまうということであろう

つまり、肥大化したSNIをコントロールするために、軍事独裁体制の支配者層自ら、大変な苦労をして体制を自由化していく必要に迫られたのである。ここで筆者は、ブラジル軍政を評価するという、日本の若い大学生を思い出す。大学生たちは、経済の発展と治安の維持が両立していたブラジル軍政には、よい面があったと考えていたそうである(「「軍事政権だって、いいじゃない」という学生たち」『Asahi Shimbun GLOBE』https://globe.asahi.com/article/11530020)。だが、実際には、軍人自らが体制を自由化せざるをえなくなっていたのである。

怪物SNIと内閣情報調査室の類似点

さて、この「怪物」SNIと、日本の「内閣情報調査室」の間には、類似する点がある。
先ほどみた内閣情報調査室とSNIは、次のような制度的な類似点がある。

①国内と国外で情報機関が分離されていない。
②最高権力者に直接、頻繁に接触できる。
③常設監査機関が存在しない。
④情報コミュニティ全体を調整する。
⑤人事上の審査を担う(内閣情報調査室と公安警察が特定秘密保護法の適格審査を行う)。
⑥独自に働く情報機関要員を有する(内閣情報調査室は公安警察を使えるとすれば)。
⑦情報機関トップは、さらに出世しうる。
⑧マスメディアに影響力を行使して、政敵を攻撃できる。

もちろんSNIの行ったであろう検閲と、内閣情報調査室によるマスコミ操作は、その規模において比較にならないし、その活動における違法性の程度も、比較にならない。その上で、筆者には制度的・組織的な類似性があるように思われるのである。巨大権力を握っている。情報収集を行う。自律性が高まる可能性がある。

巨大な権限をもつ情報機関は、それ自体が最高指導者から自律していく。これが、ブラジル軍政の情報機関が、「怪物」になった理由であった。

実例:FBIのフーヴァー長官(組織防衛)
 
 権限が大きすぎる場合の問題。言わずと知れたFBIのフーヴァ―長官の事例である。長年にわたってFBIに君臨した。共産党員の摘発、ソ連のスパイの摘発や防諜に成果を挙げた一方で、数々の非合法な活動を行ったことで知られる。一説によれば、大統領さえもフーヴァーを罷免することができなかったとされる。FBI長官として数々のスキャンダルを握っていたからだと言われる。その死までFBI長官であり続け、死後、ようやく調査が行われた。
 
巨大な権限を握った情報機関を、当の政治家がコントロールできなくなった例である。繰り返し指摘しておくが、このFBIでさえ、国内限定の情報機関であった。警察および内閣情報調査室のような国内・国外が融合した情報機関ではなかった。

ア.「情報の政治利用にともなう政治闘争の激化」問題がある。順番に論じていこう。

イ.昇進可能性を追求することによる「情報の政治化」という危険性

 さらに、情報と最高指導者への報告権限を独占する情報機関が提供する情報は、政治化する危険性が極めて高い。「情報の政治化(politicization of intelligence)」である。どのような現象か。この点を分かりやすく説明してくれるのが、共産主義ポーランドのジャーナリスト、カプシチンスキーによるエチオピア皇帝ハイレ=セラシエ政権末期のルポルタージュ(?)である。皇帝ハイレ=セラシエは、複数の治安情報を知る者から報告を受ける際、以下のような心構えをもっていた。

朝の散歩中に我が帝国内で企てられた陰謀の様子について報告を受けても、(筆者注:皇帝は)決して意見を述べたり質問したりしません。報告をありのままの状態で得たいためにあえてそうしているのです。もし陛下が質問したり意見を述べれば、報告する者は、皇帝の期待に沿うように、喜んで内容を変えるでしょう。そうなると、情報は主観的なものになり、聞く者の意思のままに変わり、諜報システム全体が役に立たなくなってしまうのです。そして君主は、国内や宮廷内で何が起こっているか、わからなくなるでしょう」(カプシチンスキー、R『皇帝ハイレ・セラシエーエチオピア帝国最後の日々』山田一廣訳、筑摩書房、1989年、21頁)。

 この発言の真偽はともかく、過酷な共産主義国家を生きたジャーナリストであるカプシチンスキーが言わんとしているのが、「情報の政治化」問題である。情報は政府の一機関であり、常にその情報を評価するボスがいる。このとき、自らのボスがどのような情報を欲するが明確であるとしよう。この時、ボスを喜ばせ、自らの評価を高めるために、ボスが欲している情報を伝え、ボスが望まない情報は隠すようになるだろう。その結果として、ボスが入手する情報は歪んでいくのである。

今井氏の著書には、関係者への取材に基づいた想定によると、北村滋内閣情報官は、安倍晋三氏に対して、日本のマスコミや省庁に獅子身中の虫、つまりスパイがたくさんいると報告しているという(今井前掲書、70-71頁)。今井氏の記述の真偽は、もちろん不明である。ただ、国内外の安全保障に関する情報を収集した内閣情報官が首相に伝達する情報が、スパイ情報であるとしても不思議ではない。

さて、内閣情報官の北村氏は、首相と極めて近く、首相の情報関心を知っている。このとき、北村氏や内閣情報調査室の人々は、どのような情報を自らのボスに報告するだろうか。首相である安倍氏の情報関心が知れ渡っていれば、歪みが発生する可能性が極めて高い。内閣情報調査室内で情報が歪み、さらにその歪んだ情報を伝えられた北村滋氏が、「総理報告」を行う際にも、やはり歪む可能性が高い。結果として、首相が欲する(と情報機関内で信じられている)情報ばかりが収集され、それ以外の情報は報告されなくなっていくだろう。最高意思決定者が手に入れる情報は、歪む。この状態は、国家の安全保障にとって極めて危険である。そして、その情報が歪んでいると報告する情報機関が、存在しない場合、この危険は極めて深刻である。
   
情報機関の奇妙な動きについて

情報の政治化の危険を考える時、筆者には、近年の情報機関による奇妙な「広報」政策のことが思い浮かぶ。筆者がいうのは、2018年の2月、メディアで国際政治に関して積極的に発言している三浦瑠麗氏が、フジテレビの番組『ワイドナショー』で、日本の都市に北朝鮮からのテロリスト分子(スリーパーセル)が潜伏していると語った件である。編集過程でこのシーンをカットせず、そのままフジテレビが放映したというだけで驚きであったが、では、スリーパーセルに関する情報をどのようにして知ったのだろうか。三浦氏が後に自身の運営するブログで語ったところによれば、そうした情報は、「政治家や官僚との勉強会や、非公表と前提とする有識者との会合から得ている」が(強調部筆者)、「すべての情報源を明らかにすることはできません」ということであった(http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2018/02/12/205902、2019年7月20日アクセス確認)。情報機関関係者が、三浦氏に、こうした情報を社会に発信して欲しいと考えて、伝えたのであろうか?

加えて、弱体で有名な日本のもう一つの情報機関、公安調査庁の関係者は、本記事も大きく依拠したジャーナリストの今井良氏に、「中国共産党が日本に潜伏しているスパイに対して発信した「対日工作秘密指令書」なる資料を渡した。その指令書の基本戦略とは、「日本が現在保有している国力の全てを我が党(中国共産党)の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめ」、「日本人民民主共和国の樹立」をすることだという(今井前掲書、180-181頁)。もちろん、このような情報は、まじめに取り上げるに値しないヨタ話であろうと考える。中国に関するルポライターである安田峰俊氏は、1972年に発見されたとされる中国共産党による日本侵略計画を記したニセ文書と、内容的に酷似している(安田峰俊「ギルバート氏も騙された?中国の日本侵略計画ヨタ話」『JBpress』2017年9月1日)。仮にそうした資料が実在したとしても、短中期的にそのような計画が実現する見込みは低い。いちいち真面目に取り上げていれば、パラノイアになる類の情報であろう。

 筆者が問題だと考えるのは、日本国内に恐ろしいスパイが潜伏していると、情報機関の人間が率先して、社会一般に流布しようとしているように思われる点にある。国民の間に恐怖と不信を醸成するセンシティブな情報を広報するやり方は、メリットが不明確であるのに、デメリットが極めて大きい。国民がヒステリー状態に陥った場合、コントロールが効かなくなる恐れがある。にもかかわらずこうしたことが行われるのは、国のトップである安倍氏が、国内のあらゆる場所に潜伏するスパイに対する警戒心を募らせているからではないか、と筆者としては疑ってみたくなる。さもなければ、上のような形でスパイ情報を広報しようとした情報機関の関係者は、処罰されてもおかしくない。処罰されないどころか、評価されると情報機関の人間が思っているからこそ、スパイ情報を大ぴっらに表に出そうとするのではないか。もちろん、これは完全な筆者の憶測である。だが、その重要性に鑑みて、今後も情報機関による広報戦略に注意を払っていくべきである。

ウ.「公安警察を含む情報機関の政治利用にともなう政治闘争の激化」

 最後のリスクが、政治闘争の激化の問題である。日本では、もっとも強力な情報収集期間は(公安)警察である。そして警察および警察官僚から構成される内閣情報調査室のような組織が、時の政権によって操作される場合、政治対立が激化する。

前提として、言論の自由が存在し、かつ、ある程度まで公正な選挙が行われている限り、現政権(仮に安倍政権と呼ぼう)が、永久に高支持率を維持することはない。歴史上、そのような政権は存在しない。いずれ、様々な要因から、与党内の反対派が勢力を伸ばしたり、野党の支持が広がってくる。そして、安倍政権の支持率が低下した場合、情報機関が政治化していると、次のような危険な事態を招く。

第1に、安倍政権が、反対勢力(仮に石破茂と呼ぼう)に対し、情報機関を利用して攻撃を加えたにもかかわらず、その妨害を突破して、石破が最終的に権力を掌握したとしよう。この場合、自らを攻撃した情報機関に対して、石破氏は報復人事を発令するだろう。安倍政権のための働いた情報関係者は、解雇されるか、閑職へと追われるだろう。まず、これが情報機関の要員に発生する政治リスクである。

第2に、新政権である石破政権は、旧政権である安倍氏およびその関係者の権力への復帰を妨害するために、やはり情報機関を用いるであろう。その結果、安倍政権関係者は、権力に復帰するのが極めて難しくなる。これが、安倍政権関係者に発生する政治リスクである。

第3に、情報機関の妨害にも関わらず、安倍氏が石破政権を再度、打倒し、政権を握ったとしよう。この時、安倍氏は再び、情報機関に大規模な報復人事を行うだろう。政権交代のたびに、揺さぶられる情報機関の内部は、ガタガタになるだろう。情報機関内には疑心暗鬼が蔓延し、政治に翻弄される情報機関の要員は、本来の公安の維持業務に従事する意欲を失い、組織の士気は崩壊するだろう。情報機関全体が機能不全となる

 第4に、上のような破滅的な結果を招かないために、情報機関は、現政権である安倍政権を守るため、石破氏の権力獲得を全力で妨害するだろう。その結果は、陰謀政治の蔓延となる。日本の民主主義は、本格的に危険を迎えるだろう

 第5に、指導者のために非合法活動に従事した情報機関にとって、その活動の違法性が甚だしいほど、自らの行為が暴露されることを恐れるだろう。自己防衛のために、自らの主人であるはずの現政権の政治家に関係するスキャンダル等の情報も集めるだろう。自らの立場が危うくなった場合、それらのスキャンダルを使って現政権を脅迫できるよう準備し、自らの立場を守ろうとするかもしれない。結果として、安倍政権は、情報機関をコントロールできなくなるだろう。

以上の議論が妥当ならば、情報機関の政治利用によって、中長期的に利益を受ける者は誰もいない情報機関は弱体化し、日本国家の安寧が危険にさらされると同時に、民主主義も危うくなる

 政治対立の激化の問題の構造は、明治維新の元勲にして、明治憲法の制定に大きな功績のあった長州出身の政治家、伊藤博文の懸念と、基本的には同型である。その演説を引用してみたい。1899年、「憲法行脚」と呼ばれる全国遊説中、明敏な政治家・伊藤博文は次のように語った。各地で巻き起こっていた激しい「党派の軋轢」を危惧して、伊藤は次のように述べた。「甲の党派が勢力を得て居る時には己れ独り事を恣にし、而して其勢力を失したという云う時には、乙の党派が政治を把って、予ねて酷い目に逢った敵討をする」ような、「敵討の政治になりはせんかと云うことを私は大いに恐るるのである」と(瀧井一博編『伊藤博文演説集』講談社、2011年、218頁)。
 
筆者の懸念は、基本的には伊藤博文のものと同様である。政治党派間の対立が激化した場合、権力の移動に伴って、報復が行われるようになる。政権交代が起きるたびに報復合戦が行われれば、報復も激しくなっていく。党派対立に情報機関が関与し、スキャンダルの暴露といった方法で政治的な競争相手を倒す場合、党派間の対立は極限まで押し進められ、政治は「敵討ち」に堕す。繰り返しで恐縮だが、このような政治が、日本国家の安寧に資するとは、筆者には考えられない

情報機関のデザインに関する様々な提言

 ここまで、巨大な権限を持つ情報機関がもたらすリスクを見てきた。1つには、情報機関が実質的に政治から自律し、自らの人事的・組織的利益を追求するようになる。第2に、最高指導者が情報機関から入手する情報が、歪む。第3に、政治的対立が激化する。
 だからこそ、情報機関をいかに統制するかが問題になるのである。

①A・ステパン

ブラジル軍政下のSNIを調査したステパンは、次のように言っている。

民主制国家では、情報部隊を拡散し分散することによって、あるいは法的に他の機関をつうじて活動させることや、政府首脳への接触を統制すること、報告、調整、連絡、監査の機能を分離することによって、秘密情報機関を国家の統制下におこうとしている。少しでも大きな自立度を得ようとする情報機関の一般的な性癖は、こうした仕方で各種の対抗勢力やさまざまな機関によって統制されているのである(ステパン前掲書29頁)。
イギリスの対国内機関のトップはMI5であり、対国外機関はMI6である。フランスでも、対国内情報機関はDST(国土監視局)と呼ばれ、対国外情報機関はDGSE(対外安全総局)である(ステパン前掲書26-27頁)。また、常設の監査機関が存在する。

あるいは、ソ連(ロシア)のような方式もある。悪名高いソ連のKGB(ソ連国家保安委員会)は、国内と国外の情報を共に扱っていた。しかし、ソ連にはKGB以外の情報機関が存在した。GRU(ソ連参謀本部情報総局/軍情報機関)である。GRUもまた、対国内・対国外情報の双方を扱う。そして、KGBとGRUは、組織として独立して、独自に最高指導者層に情報を伝達していたのである(ステパン、26-27頁)。この場合、最高指導者が単一の情報機関に依存せずにすむというメリットがあると思われる。おそらく、KGBが歪んだ情報を伝えた場合、その事実を指摘するGRUは高い評価を得られる。この場合、情報の歪曲を抑えることができるかもしれない。

②平沢勝栄氏

 基本的に同じ発想と言えるのが、警察OBにして衆議院議員の平沢勝栄氏の提言である。「警察OBでなければ、なかなか言えないことですから、ちゃんと言わなければ」とした上で、

わたしは情報など特定の分野ではもうひとつの警察―――いまの警察に対抗できるような別の組織を作るべきだと思っています。互いに競い合い、監視し合うようになれば、いい仕事をするはずです。欧米ではそうなっていますし、日本でも薬物などではそうなっています。たとえば、米国の場合いくつかの情報機関があります。日本はゼロと言っていいでしょう。純然たる情報機関がありませんから、まずはそれを創設すべきでしょうね(時任前掲書162-163頁)。

③茂田宏氏

 外務省の国際情報局長、総理府国際平和協力本部事務局長、イスラエル大使、テロ対策担当大使などを歴任した元外交官である茂田宏氏は、自身が監訳したアメリカのインテリジェンスに関する教科書のまえがきに、次のように書いている。

 インテリジェンスは有用であるとともに、危険な側面を有する。今後、日本のインテリジェンスを強化していく際に、そのことを十分に意識する必要がある(・・・)旧ソ連や現在の中国では、国内情報と対外情報が一つの情報機関によって担われ、それが秘密警察的な機能を担った例がある。米・英など民主主義国では、そうしたことを排除するために、国内情報と対外情報を峻別してきた。私は日本も当然、インテリジェンスの強化の際に、国内情報と対外情報を峻別するべきであり、今後考えるべきは対外情報機能の強化であると考えている(・・・)軍の文民統制にも匹敵する情報機関の監督の問題も考える必要がある(ローエンタール、マーク・M『インテリジェンスー機密から政策へ』茂田宏監訳・慶應義塾大学出版会、2011年、iv頁)。

④大森義夫氏

 警察官僚にして、1993年から1997年まで内閣情報調査室長を務め、マスメディアを通じた情報操作を行ったという大森義夫氏も、その著書『日本のインテリジェンス機関』(大森義夫、文藝春秋、2005年)でやはり次のように言う。

情報組織は対外部門と国内部門に分かれる。米、英、イスラエルの順に例示するならば対外はCIA、MI6、モサドであり、国内はFBI、MI5、シンベットである。日本の場合は機能が未分化である(大森前掲書161頁)。私の到達した結論は二点である。①同一組織(内調(豊田注:内閣情報調査室))が国内情報と対外情報を扱うのはよくない。②官僚には官僚の生き方がある。誇りをもって政治の世界と対峙したらよい」(大森前掲書96頁)

他方、国内と国外で情報機関を分ける合理的な理由はないとする立場も根強い(FBIの歴史)。例えば、テロ対策のような問題では、国内と国外を分けるのは意味がないとも考えられる。他方で、統一された一つの情報機関が存在しなければ、先ほどみた強力すぎる情報機関の問題が表面化する可能性が高い。チェックが働かないのである。

日本最大の情報機関である公安警察が、国内と国外を両方担当する。
しかし単一組織は危険である。そこで防衛省と外務省の情報機関が合同で国内と国外を担当する。そして警察(内閣情報調査室)と防衛相外務省の合同情報機関が、独立して総理に報告を行うのはどうか。複数の独立した情報系統が存在すれば、自律性の極端な高まりによるデメリットを抑え込める。ロシア型。

他方で、国内的な政治利用を防ぐ必要もある。そこで情報機関の長の人事にあたって、議会での2/3の賛成を必要とする方法がある。政治利用が酷ければ、野党は人事で拒否できる。情報機関の長は再任されるが、定期的に議会で2/3の承認を得なければならないこととする。情報機関の長も、人事で否決されるのが嫌であれば、過度に与党におもねらないであろう。こうして、国内政治に情報機関が過度にのめりこむことも回避できるかもしれない。

このような制度を取れば、情報機関の弊害は最小化できるかもしれない。

情報機関に対する提言とお願い

内閣情報調査室は、公刊されたあらゆる文字情報を網羅的に収集し、分析しているという。こうした活動は、オープン・ソース・インテリジェンス、略して「オシント」と言うそうである。とすれば、情報機関の関係者には、筆者のこの小文を読んでいる方もおられるかもしれない。もし読んでおられるならば、筆者としては情報機関の組織問題を真剣に考え直していただきたい。筆者の学んだ乏しい政治学の知識によれば、日本国家の安寧を守るために情報機関の整備とその組織化・制度化は、絶対に必要なことである。避けねばならないのは、目先の必要に駆られて、強引に強力な情報組織を作ることである。それは、ブラジルのSNIのようなものになる可能性が高い。

具体的な組織設計については、素人の放言としてお聞き流しいただければ幸いであるが、いずれにせよ、今後の日本の安全保障環境は悪化する公算が高い。すぐれた情報機関が日本に誕生することを、心より祈念している。

最後に、一点だけ、公安警察の尾行方法についてお願いを言わせていただきたい。公安警察は、「同伴尾行」という方法を取るという。つまり、尾行する相手を「見え隠れしながら付いていくのではなく、すぐ隣を歩いてどこまでも離れない」で尾行する(鈴木邦男『公安警察の手口』筑摩eブックス、Kindle Edition。 序章・ガサ入れの朝・5パラグラフ目)。また、公安警察はさらに徹底した組織戦術で尾行することもあるという。「道行く人、全てに捜査官が擬変(変装)する。会社員、若いカップル、親子連れ。実際の配偶者を呼び出し、ペアを組むこともある。そして警視庁航空隊のヘリコプターがはるか上空から対象者の動向をチェックするのだ。1人の対象者に実に数十人の公安警察官がかたまって尾行することもある。周囲からは「混雑気味の人の流れ」にしか見えない」というほど(今井前掲書28頁)、徹底的なものだという。

さて、筆者としては、このような尾行のやり方は、世間に多くの「陰謀論」を生み出すので、望ましくないのではないかと考えている。というのも、筆者の知る範囲でも、妄想と陰謀論に苦しむことになった人がいたからである。例えば、沖縄出身の歴史学者である安良城盛昭氏は、日本の奴隷制がはるかにあとの時代までつづいていたと主張した太閤検地論で1950年代の歴史学会に衝撃を与えたが、「次第に私服刑事がいたるところに入り込んでいると指摘するようにな」った。後に、それが安良城氏の一種の精神的興奮による幻想と明らかになったものの、ソ連政治史家の和田春樹氏らさえ最初は、「その言葉を信じてしまった」(和田春樹『ある戦後精神の形成 1938-1965』288-289頁)。筆者の所属する「アジア経済研究所」の所属研究者であったA氏は、ソ連に旅行した後、「監視されている」などと言って精神が不安定となった挙句、失踪してしまった。数年後、アルゼンチンでA氏は生きて発見されたということである。

警察が行っているとされる尾行は、こうした人々の妄想を駆り立ててしまう危険があるのではないか。これが、筆者の危惧することである。このような話を長々とするのは、何を隠そう私も、スターリン期のソ連とメキシコを比較するという論文を出版した後、同様の妄想に悩まされ、精神に失調を来して精神病院で療養することになったからである。入院先の選定等にあたっては、警察の方に親切にして頂いた。感謝しております。この場を借りて、お礼を申し上げます。

とはいえ、静岡県の伊東市警察署、生活安全課の皆様にお願いしたいことは、例えば、筆者が「夕焼けを、丸焼きにして、食べました」とSNS上に書き込んでいると、筆者の実家に電話するといったことは、控えていただけないだろうか。筆者が確認したところ、そうした書き込みはなかった。何か手違いがあったのだと思うが、筆者はただでさえ家族に大変な心労をかけている。そうしたエキセントリックな書き込みを筆者が行っていると家族が思うと、筆者より先に家族が参ってしまいかねないのである。この点は、ぜひともご高配を賜りたい。

次回予告:独裁者の課題について

 さて、情報機関の最前線で、様々な陰謀や策謀に対応しておられる方々にとっては、筆者は極めてナイーブな綺麗ごとを論じていると思われたかもしれない。その可能性を、筆者は否定できない。

 とはいえ筆者は、「情報」の問題こそ、民主主義と独裁とを問わず、統治にあたって決定的であると考えている。その点で、情報機関の人々に同意する。そして実は、独裁者の最大のウィークポイントこそが、情報の問題である。独裁者のもつ強力な権力は、実は上がってくる情報を半ば必然的にゆがめてしまう。この情報の歪みにいかに対処するかこそが、独裁者が直面する大きな問題の一つである。

 この文脈において、民主主義を特徴づける様々な制度の重要性が評価できる。例えば、公開の討論。権力の分割。言論の自由。競争的な選挙。こうした制度は、実は統治において決定的に重要なのである。この点を述べるため、次回は、独裁国家の独裁者が直面する様々な問題を見てみたい。

豊田 紳
日本貿易振興機構(ジェトロ)・アジア経済研究所


参考文献


今井良『内閣情報調査室-公安警察、公安調査庁との三つ巴の闘い』幻冬舎、2019年

大森義夫『日本のインテリジェンス機関』文藝春秋、2005年

カプシチンスキー、R『皇帝ハイレ・セラシエーエチオピア帝国最後の日々』山田一廣訳、筑摩書房、1989年、

鈴木邦男『公安警察の手口』筑摩eブックス、Kindle Edition

ステパン、アルフレッド『ポスト権威主義―ラテンアメリカ・スペインの民主化と軍部』堀坂浩太郎訳、同文館、1989年

瀧井一博編『伊藤博文演説集』講談社、2011年

時任兼作『特権キャリア警察官ー日本を支配する600人の野望』、講談社、2018年

安田峰俊「ギルバート氏も騙された?中国の日本侵略計画ヨタ話」『JBpress』2017年9月1日

ローエンタール、マーク・M『インテリジェンスー機密から政策へ』茂田宏監訳・慶應義塾大学出版会、2011年

和田春樹『ある戦後精神の形成 1938-1965』岩波書店、2015年

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