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会員紹介(会長 風山栄雄)

神道稲門会会長
赤城神社宮司
風山 栄雄(昭和46年 教育学部卒業)


1) 奉務神社紹介

赤城神社
 牛込総鎮守・赤城神社は鎌倉時代の正安二年(1300)、大胡彦太郎重治が上野国十二社の一つである赤城神社を勧請し、創建したと伝えられ、大胡宮内小輔が戦国時代の弘治元年(1555)、神楽坂の現在地へ遷座したと言われている。約460年に渡り、鎮守の森を守り続けてきた。
 江戸時代は「赤城大明神」と呼ばれ、神輿が江戸城内に入ることを許されたため、「日枝神社」「神田明神」と並び「江戸の三社」と言われ賑わった。
 明治には、坪内逍遥が境内に「清風亭」なる寄席を併設、島村抱月と松井須磨子の「芸術座」もそこから生まれて日本中に新劇を広めていった。
 戦後は境内に「私立赤城幼稚園」を開園、一時期周辺の小学校の児童数とも変わらない400~500人の幼児を預かり、この事業は神社を潤した。残念ながら近年は少子化で30人にまでその数が減少し、2008年に60年の歴史を閉じた。その頃、社殿建替えの検討が始まり、三井不動産レジデンシャルとの共同再開発計画「赤城神社再生プロジェクト」が動き出した。幼稚園跡地に集合住宅を建て、斬新な社殿を新築する計画である。その設計には、氏子でもある隈研吾氏が自ら手を挙げて関わってくださった。外光を取り込むガラス張りの社殿は、全国どこを探しても見当たらない。

2) 略歴

昭和24年、東京生まれ。早中・高から早稲田大学入学、在学中はバンド活動が中心でキングレコード専属となり、同じ会社の先輩でもある「ボニージャックス」のソ連公演に同行、卒業後はフリーからラジオ番組、CM制作会社を設立、後に「東九州コミュニティー放送」(福岡)の社長も兼ねる。
大学3年時に神職資格「正階」を取得、それ以降、会津藩生き残りの家に生まれた祖父の意志を継いで赤城神社禰宜となり、園長の母を助けるため、赤城幼稚園主事も兼ねる約4足のわらじを続ける。
平成16年に宮司就任、前述の「赤城神社再生プロジェクト」を提案。平成22年に「新国立競技場」や「村上春樹ライブラリー」の設計を手掛けた隈研吾氏による設計、監修で神社を再建。神社がグローバルレベルで変化していることを実感している。


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