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本を読む環境がすごく変わったのだが

そういえば僕が高校性の時はインターネットなんてなかった。

スマホもなかった。

ポケベルはあった。持ってはいなかったけども。

初めて買ったPHPの電話帳はマックス3件登録だった。

大きな本屋さんもない地方都市に住むフレッシュ少年。町の小さな書店が「本」との出会いのすべてだった。

まあとにかく何もなかった。家にはパソコンもなかった。

それがもう、今はどうだい。

本屋さんに行かなくてもKindleからサクッと本が買える。

選り好みさえしなければ月額1000円でAmazonの多くの本が読み放題。

雑誌にいたっては、月額380でそれなりに読み放題。

紙の本は買わなくなった。

良いも悪いもなく、今はそういう時代なんだ。

欲しい戯曲や小説が手に入らなかったフレッシュ少年に教えてあげたいくらいだ、今は本屋さんに行かなくても読みたい書籍は(ある程度は)手に入るんだよ。と。

とはいえ、昔の僕はこう答えるのだろう。

それってワクワクするの? と。

本屋さんに行って、あんな本もこんな本もある、うわー、買いたい本がいっぱいやないか!つーか、なんで本屋さんにいったらトイレに行きたくなるんだ!お小遣いが足りない!あ、あのマンガの新刊が出てる!うーん、この本屋さんには欲しかった戯曲がない!

テンションが上がる!

気がついたら買いもせず2時間くらい徘徊している!

そんな体験を君のKindleはくれるのか? と今よりもギラついた目でフレッシュ少年はおっさんフレッシュに問うてくる。

大学生のとき、時間は爆裂的にあったけども、お金がなかった。

結果、古本屋さんで大量に本を買っては読んでいた。今でも好きな作家の小説を嘘みたいに安価で読みあさっていた。

そういえば最近全然古本屋さんに行っていない。

あのときの興奮はナニモノにも代えがたい体験だったと確かに思う。自分のセンスの大部分を作ってくれたのは、本だ。確かにそれは電子書籍じゃなかった。し、電子書籍では体験出来なかった本との出会いだった。

もしも、僕が大学生の時にKindleがあったら。中古本の市場流動が滞っていたならば、今の僕は出来上がってなかったかもしれない。

良いも悪いもない、そういう時代なのだ。

子供を連れて本屋に行くと、絵本のコーナーの滞在時間は格段に延びるが、技術書や小説等の自分の見たい本を探す時間は短くなる。

結果、インターネッツ最高にありがたいし、空き時間でサクっといろんな本が読める電子書籍ありがたい。

良いも悪いもない、そういう時代なのだ。

読書という体験を本と出会うところからスタートすると仮定したならば、ずいぶんとあっさりした味気ないものになってしまったと言わざるを得ない。

なんせ、読みたい本しか読めないわけだ。

昔は良かったとか言うつもりもなく、Kindle最高だし、読み放題最高である。

技術とガジェットとネット回線のおかげでとにかく話が早くなった。無駄だと思える時間は短くなった。

さあ、テクノロジーが作ってくれた余暇の時間を何に使うのか、結局はそれを使う使い手のセンスの問題なのだ。

10年後、読書はどうなっているのだろうか。

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