母の日

 今夜は久しぶりに、ママと布団を並べて寝ようと思った。最後に隣で寝たのはいつのことだろう。
「どこでも好きなところに連れてくよ」と言ったら「じゃあニューヨーク」と、珍しくママが自分の意思を表明してくれたときがあった。それまでは、食べたい物や行きたい場所や欲しい物をたずねても、必ず「私はいいから」と息子や家族を優先するような母親だった。だからママの予想外の反応にはちょっと面食らったし、国内の箱根あたりの温泉とかではなく、海外のアメリカのそれも「ニューヨーク」という具体的な地名がすぐに出てきたことにも驚いた。さらに「セントラルパークが見える部屋に泊まりたい」「夜はライブハウスにジャズを聴きに行きたい」と、矢継ぎ早にやりたいことまで口をついて出てきた。
 こんなことはいままでなかったから、母親孝行ができる千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかないと、すぐにフライトとホテルをブッキングした。そしてママの希望通り、ヴィレッジバンガードでジャズを聴いてから、The Plazaのセントラルパーク側のツインルームに宿泊した。
 多分、一緒に寝たのはその時以来だと思う。初めての、ママとのふたり旅でもあった。
 ママはすでに、とても穏やかな寝顔を浮かべてぐっすり眠っていた。起こさないようなるべく静かに布団を敷いて、ママが見えるよう身体を傾けて横たわった。あらためてママの顔をじっくり眺めたら、やっぱりずいぶん歳を取ったなとなんだか申し訳なくなったけれど、ひと仕事終えた後みたいにとても安らかな表情にも見えた。
 ママはいま、幸せだろうか。
 そう思ったらなんだか胸の奥のほうから得体の知れないものが込み上げてきて、次第に涙がとめどなく溢れてきた。ママを起こしてはいけないと分かっていたのに、気がつけば隣の部屋で寝ていたはずのパパが「どうした、大丈夫か」と様子を伺いに来るくらい、大きな声を出して号泣していた。やがて号泣は嗚咽に変わり涙も枯れ果てて、一睡も出来ないまま障子の向こうが薄っすらと白くなっていた。
 その年は、ママの大好きな桜が例年よりも早い満開を迎えていた。少し遠回りだったけれど、青山墓地の桜並木を通り抜けるルートを選んだ。自分が運転するクルマの前には、ママを乗せた黒いステーションワゴンがゆっくりと走っていた。最後のママとのドライブのステアリングを、どうしても自ら握りたいと葬儀社に懇願したけれど叶わなかった。でも桜には間に合ったことで、ほんの少しだけ、救われたような気がした。
 ママのいない母の日にママとの最後の夜を思い出すのは、今年でもう21回目になる。

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