ゼツメツキグシュのトリアツカイ
|過剰に反応したがる絶滅危惧種の保護…
絶滅危惧種だから大切にしようとか捕獲禁止とか、
そういったニュースの記事を読むと、
昔からすごく違和感があって
どうしてもその類の話に感情移入ができない自分がいる。
保護に賛成・反対は、どっちが多数派かはわからないけど、
僕と同じように感じてる人は少なくないとなんとなく思う。
たしかに、
そういった生き物を友達のように扱ったり、神のように崇めたりその国や地域の文化の背景があることは理解できるし、
イヌとニンゲンの繋がりの歴史なんてほかの動物に比べて
最も古いっていうくらいに、
特定の動物を特別扱いになる気持ちも理解できる
|なんとなくじゃわからないから少し深く考えてみる
では、そういった文化的な背景を十分に理解できることを前提に、
絶滅危惧種を保護しようというムーブメントに、
違和感を感じてしまうのはどうしてだろうか?
少しだけ深く
考えてみたところ、
まず、余計なお世話かもしれないけど、絶滅危惧種目線で見たら
「え、君たちニンゲンが僕たちを絶滅に追い込んだのに、今度は生かそうとしてくる!どういうこっちゃ!?」
という、ニンゲンの文明の発展が、自然を削り、住居を増やしては、子孫を増やしてきたわけで、
今まで安静に暮らせていた動物が、
ニンゲンによって絶滅に追いやられてしまっているのに、可哀想だから保護してあげないと、という矛盾に対しての違和感なのかなと思った
僕は、自然の摂理で
淘汰されていくものは流れに任せておけばいいと思う派で
絶滅に関して人間が介入するのは
ただの人間のマッチポンプじゃね?って思ってた
でも、もう少し考えを深くしてみると
僕のように、一歩引いた目線になってしまう人は、
どれだけ自分に関わりがある動物か
という主観的な見方で判断している可能性が高いのかもしれない
|ひょっとして考え方を改めるべき?
放っておけばいい
と今までずっと思っていたけど
少し考え方を変えると
例えば、
絶滅危惧種と聞いて浮かぶ動物が
トラとか、トラとか(意外と出てこないww)
動物園でよく目にする動物でも何種類か絶滅危惧種だったような気がするけど
要するに、
絶滅を危惧できないのはある意味で今のように、かんたんに浮かばないのもあるし、
「それが自分の生活になんの関係があるの?」
という少しひどい考え方かもしれないが
正直な感想でもある
でも
これが、例えば
イヌとかネコが絶滅してしまう
なんてことになれば
たしかに、なんとかしてあげなければと思う気持ちはわかるような気がしてきた
イヌはペットとして人間との距離が最も近い動物であることから
どうしても自分と無関係には思いにくいし、
牛が絶滅
豚が絶滅
鶏が絶滅
みたいに
食生活にとってニンゲンに関わりが強い動物だって
自分の生活に関係があることからも
なんとかしてあげなければ
と思うかもしれない
|まとめると
絶滅危惧種に対して保護することに前向きな人たちは、
どんな動物もイヌやネコのように自分にとって近い距離で見れる寛容な心の持ち主なのかなと思う、
絶滅危惧種は人間のエゴの成れの果てなんだから
自然の成り行きに任せた方がいいと思う人は、
その動物が自分に関係があるかどうかを重視する人
でもそれを、
イヌやネコ、牛・豚・鶏に置き換えると、
自然の成り行きとはいえ、保護は大事かもという感情が少しは芽生える
しかし、ほんとうに寛容であるならば、保護することに過剰に反応して主張することも、自然に淘汰されるのを見守って素直に受け入れることも、どちらも重要だと考えられる視点を持つことではないかと思う
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