火曜日のルリコ(13)

 外へ出ると、とにかく救急車を呼んだ。ほどなく駆けつけた救急隊員には、友人か゛酒を飲みすぎて意識を失ってしまった、と当たり障りのないことを話した。

 三人の服が埃だらけだと指摘されると、優子を抱えて歩いている途中、ビルの隙間のごみ置き場で転倒したのだ、ととり繕った。

 言い訳を信じてくれたのかどうかはわからないが、いずれにせよ救急隊員からは、それ以上の追求はなかった。

 救急車の中で、ルリコは優子の白い手首がむき出しになっているのに気づき、そっと袖のボタンを留めてやった。

 こうして、何とか病院までたどり着いた。

 ルリコと一緒に、優子の埃だらけの衣服を脱がせたとき、女性の看護師が

「え、これって・・・」

とひと言発したが、彼女はそれ以上何も言わなかった。

 医師の診断では、少しこぶができた程度で、呼吸も脳波も異常なしということだった。

 そうなれば、ルリコたちが病院に残る必要もなかったのだが、このまま部屋に帰って一人で過ごすのは気が重かった。おそらく、久保田も同じだったのだろう。

 そこで、救急病棟の待合室に、二人で未練がましく居残っているのだ。

 一晩中開いているとは言うものの、待合室の照明は落とされ、窓口も患者が運び込まれるとき以外は閉鎖している。暗がりの中、久保田とルリコは、二人だけで取り残された状態だった。

 久保田が突然立ち止まり、ルリコの隣の席に崩れるように腰を降ろすと、頭を抱えた。

「あいつは一体、何者なんだ。どんなことができるんだ。何をしようとしてるんだ」

 ルリコは、意を決した。

現実は認めなければならない。それがどんなに奇抜で、奇妙なことであっても。

「あいつは、キール大統領を殺そうとしているわ。火野総理夫人を使ってね」

 久保田は、頭を抱えたままつぶやいた。

「そんな証拠はなんてどこにもないじゃないか。優子さんとの会話でも、あいつがそれを認めたわけじゃない」

「優子を殺そうとしたわ。それが、何よりの証拠よ。優子の言ったことが、事実だったのよ。だから、あいつは優子を殺そうとしたのよ。そうとしか考えられないわ」

 久保田は、頭を両手で押さえ、ほとんど両膝の間に埋めるような姿勢になっていた。

 危険に直面したダチョウは、砂の中に頭を突っ込んで何も見ようとしないという。

 ルリコは久保田の姿勢に、そんな逸話を思い出した。

 その姿勢のまま、久保田が独り言のようにつぶやいた。

「そんなこと言ったって、誰も信じちゃくれないよ。人を思いのままに操るなんて・・・。そんな力を持つ人間がいるなんて・・・。おまけに、そいつが操ってるのが現役の総理夫人で、しかも殺そうとしてるのが、アメリカの大統領だなんて・・・」

 久保田の言うことはもっともだった。

 こんな話を警察に届け出たところで、一笑に付されるのがおちだ。

 手帳の文字は、明らかにルリコ本人が書いたものだし、スマホに録音した会話でも、松村がキール大統領殺害計画を認めた部分はない。

 だけど、この恐ろしい事実を知っているのは、松村本人を除けばルリコたちしかいないのだ。火野総理夫人本人さえ、自分が何をしようとしているのかわからないはずだ。

「私たちが、何とかしなきゃ・・・」

 久保田が顔を上げて、ルリコを向いた。

「何とか・・・たって・・・」

「だって、松村の思惑を知ってるのは、私たちだけなのよ。キール大統領は、もう今日の夜日本に到着するの。ユッキーナとの会見は、明日の朝よ。それまでに何とかしないと、大変なことになるわ。日本が、もしかしたら、世界中が・・・」

「だけど、いったいどうすりゃいいんだよ。俺たちで松村をつかまえて、警察に突き出すのか」

「それじゃ、逆に誘拐で訴えられるわ。それに、松村は空手も有段者よ。腕づくでも、私たちがかなう相手じゃないわ」

「なら、先にあいつを殺すか」

「由紀奈夫人は、もう暗示を与えられているはずよ。松村を殺しても、指示されたとおりのことをするわよ」

「じゃ、どうしようもないじゃないか」

 久保田は再び頭を抱え込んで、ぼそぼそとつぶやき始めた。

「アメリカ大統領が日本の総理夫人に殺されたら、また戦争かもしれない。また、原爆落とされるかも・・・」

 久保田の言うことは大げさだが、もしキール大統領が日本で、それも総理夫人に殺されたりしたら、日米関係は重大な危機に陥るだろう。もっとも、具体的にどんなことが起きるかは、ルリコにはまったく想像がつかなかった。

 何とかしないと、でも、何をすれば。

 そのときふと、ある考えが浮かんだ。

「待って、もしかしたら、何とかなるかもしれないわ」

 久保田が、頭を上げた。

「何とかなるって・・・」

「そう、きっとうまくいくわ。でも、少し準備がいる」

 ルリコは、久保田に耳打ちした。

 本当にうまくいくかどうかは分らない。しかし、やってみる価値はあるように思えた。それより、何もしないでいるわけにいかないという思いの方が強かった。

 

 

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