火曜日のルリコ(7)

 日曜日には、『週刊セブン』から急ぎの仕事が入った。

 アイドルグループの握手会で、メンバーの一人が刺されるという事件が起き、泊りがけで盛岡での現地取材を頼まれたのだ。

 キール大統領来日特集のため、編集部も人手が足りず、ルリコにお鉢が回ってきたらしい。

 アメリカ大統領来日特集といっても、なにしろ『週刊セブン』なのだから、アナポリス時代の都市伝説のような武勇伝だとか、ミシェル夫人とのなりそめやデートの場所、夫人のファッションなど、国際情勢とは次元の違う内容ばかりだ。それでも、ある程度のページ数でまとめるとなると、外部のライターも含めてそれなりの人手と手数を要するらしい。

 いずれにしても、『週刊セブン』と縁が途切れなかったことは、ありがたいと思うべきだろう。

 交通費と宿泊費を立て替えると、現金の持ち合わせがほとんどなくなったが、現地では警察に突撃取材し、現場の写真を撮って、運良く犯人の顔写真まで手に入れることができた。

 月曜の朝東京に帰ってきて、『週刊セブン』向けの方向性でまとめて持ち込むと、編集長が目を通して言った。

「白井さん、この記事なかなか良いわよ。この次は、赤坂迎賓館でのキール大統領の取材にも加わってもらおうかしら」

 編集長は笑顔だが、それはそれで、かなりキモかった。

「編集長、赤坂迎賓館での取材は、官邸記者クラブに所属している会社でないと入れないですよ」

 平田が口をはさんだ。

「おや、それは残念ネ」

 最初から承知で言ってたんでしょ。

 ルリコにはそうとしか思えなかったが、編集長の思惑よりも、キール大統領という言葉の方が気になった。そこで、平田から情報収集を試みた。

「平田さん、赤坂迎賓館では、どんな行事が予定されているんですか」

「ああ、大統領夫妻は帝国ホテルに宿泊するらしいけど、到着の翌日、赤坂迎賓館で火野総理夫妻との会見や、首脳会談を設定中らしいわよ」

「え、ユッキーナが、キール大統領夫妻と会見するんですか」

 とてつもなくいやな予感がした。ジグソーパズルのいろいろな断片が、なんとなくつながりそうでつながらないような、もやもやした感じだった。

 少し落ち着いて考えを整理したいところだったが、編集長のオカマ声がさえぎった。

「そういえば、松村亜利の取材はどうするの」

 松村亜利。これもキーワードのひとつだ。

 ルリコは咄嗟に言った。

「もし、企画として認めていただけるなら、今度は必ず」

「そう。実を言うと、あなたが記憶を失ったというあの夜、松村の店のマネージャーが、自分のマンションから飛び降りて自殺してたのよ。ミステリーでしょ」

「自殺?」

「君も、自殺なんかしたら、うちの雑誌で美人ライター自殺って書かせてもらうわ」

 やっぱり嫌な奴だ。

 経費の精算を終えて編集部を出ると、矢も盾もたまらなくなって、優子に電話した。

 なぜ優子なのか、よくわからない。

 優子の霊感とやらを、それほど信用しているわけではない。ただ、こんなとき相談できる人間が、他にいなかったということはあるだろう。

 そもそも今のルリコには、ボーイフレンドはもちろん、友達と言える人間関係さえ一切ない。家族や親戚とは、とっくに縁を切っている。

 優子とも、それほど長い付き合いではない。

 一年ばかり前、『週刊セブン』の企画でキャバクラの有名店を特集した際、ルリコに割り当てられたのが、「キャンキャン」という店でナンバーワンという触れ込みの優子だった。店に取材を申し込むと、優子は霊感があるという評判だった。

 もともとルリコは、子供のころから怪談話が大好きだった。

 ルリコの生家は田舎の旧家で、家の近所には古ぼけたお寺があり、そこのお堂の中には、地獄絵図も飾ってあった。

 幼い頃ルリコは、近所に住んでいた祖母に手を引かれてよくこのお堂にお参りし、そこでいろいろな話を聞かされたものだ。

 嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるとか、悪いことをした者はぐらぐらと煮立った大きな窯でゆでられるとか、賽の河原の石積みだとか、祖母の年代にしてもかなり大時代な物語を、この地獄絵図の前でよくルリコに話してくれた。

 それが、時代に取り残されたような片田舎の風土だったのか、祖母個人の嗜好だったのか、幼い頃人見知りの激しかったルリコには判然としない。ただその時代、住民でも地獄絵図の前に足を止める人間は、ルリコと祖母以外ほとんどいなかったように記憶している。

 ルリコは、こうした話に魅せられてしまったようだ。

 大学を出て東京で就職してから、怪談会というものの存在をネットで知った。怪談好きの人間たちが一箇所に集まって、百物語よろしくそれぞれの体験談を順に述べるのだ。ネットでもいくつか、彼らの語りが動画で投稿されていた。

 一度顔を出してから病み付きになり、ルリコは、何度も怪談会に顔を出した。

 表向き体験談とは称しているものの、仲間たちの怪談話には、どうみても創作としか思えないものが多かった。そのうちルリコも、それらしき怪談話をいくつか創り上げ、週刊誌の読者体験談に投稿すると、『週刊セブン』はじめいくつかの雑誌に掲載された。『週刊セブン』からリサーチや取材の依頼をもらうようになったのも、ルリコが送った記事について、取材を受けたことが縁だった。

 編集部からの依頼が増えると、それまでの勤務先も辞めてしまい、以来オカルト作家白井ルリコを名乗っている。

 もうひとつのペンネームである「ルリリン」は、おもにネットで使用している。

 「作家」と自称してはいるものの、ルリコが今やっていることといえば、超常現象関連の書籍や雑誌記事からめぼしい内容を抜き出し、換骨奪胎して怪しげな内容をぶち上げる程度だ。収入も、ムーと一緒にとりあえず生きていく程度を稼ぎ出すのがやっとという有様だ。それでも、飲食店や風俗などのバイトは一切せず、とりあえず取材と執筆だけで生きているというプライドのようなものは持っていた。

 そんなルリコにとって、土屋優子の取材は、初めてのインタビューだった。

 ルリコが面談に行くと、優子は顔を見るなりこう言った。

「あなた、部屋に黒髪の人形があるでしょ」

 ルリコには、心当たりがあった。

 確かにルリコの部屋には、黒髪の人形があった。当時親しくしていた、人形作家の女性からプレゼントされたものだ。

 以前髪の毛が伸びる人形として有名になった市松人形に似ていたため、ルリコはけっこう気に入っていたが、これをもらってから転んで足首をくじいたり、いつもはおとなしいムーに引っかかれたり、要は、ちょっとしたアクシデントが続いていた。

「ええ、あります」

 ルリコがそう言うと、優子は言ったものだ。

「それ、お払いした方がいいわよ」

 この会話がきっかけとなって、このときのインタビューは、職業上の必要以上に盛り上がった。土屋優子も、霊だけでなく、超能力とか予言など、怪しい話題にはしたたか詳しかったのだ。

 もちろん、人形はすぐに優子にわたして措置を頼み、人形作家とは縁を切った。

 記事は、「霊感少女はナンバーワン」というタイトルで、ほぼルリコが書いたとおりの内容で掲載された。

 優子にこの記事を送ると、本人も気に入ったらしく、以来何かと理由をつけては、ルリコの喫緊の運勢を診てくれたり、客からのプレゼントをまわしてくれたりする仲になった。

 これを友達と呼ぶべきかどうか、ルリコには判然としなかったが、ほかに相談できる相手はなかった。

 優子は、水曜日に、店に出る前に会ってくれると言った。

 久保田からルリコの携帯に着信があったのは、翌日、火曜日の夕方のことだった。至急会って話がしたいということだった。そこで、ルリコはあらためて優子に連絡をとった。

「なあに、今仕事中なのよ」

 相変わらずおっとりした口調ではあるが、少しばかりおかんむりな様子だ。

「ごめんなさい。じつは明日、病院に私を運んでくれた久保田さんが、私たちと同席したいって言うのよ。夕刊紙の記者なんだけど」

「記者、素敵じゃない。私も会ってみたいわ」

「それで、先方は大手町にある『カンタータ』っていう喫茶店で会いたいって言うんだけど」

「ふうん・・・」

 微妙な間ができた。

「そのお店、タバコくさくない」

「え、ええ、喫煙OKの店よ」

「今、タバコの匂いを感じたのよ」

 そういえば、優子はタバコの匂いが大の苦手だった。

「大手町なら、二丁目に『木漏れ日』という女性のマスターがやってる店があるから、そちらにしない。ネットで検索すれば、すぐわかるわ」

「わかった。久保田さんに返しとくね」

 優子の希望を連絡したところ、久保田も「木漏れ日」という喫茶店を知っていた。タバコが吸えないことが少し不満な気色も見えたが、もう一人女性が同席すると伝えるとあっさり了承した。

 優子とは、ラインで確認した。

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