「逃げてもいい」は本当に無責任なのか -人生というゲームのコマンド選択-

「逃げてもいい」というやつはお前の人生を適当に話してるだけだから信用するな
的な話を目にした。

「それを軽々しく口にする人は、お前の人生の責任を取らないからだ。」という話らしい。

個人的な結論を先に書く。




責任なんぞ取らないのは、当たり前である。




それでも私は「逃げたくなったときは逃げてもいい」と思う。
ただし、それは一定の条件が整っている場合に限る。
①戦いきっているかどうか
②これ以上、戦えないくらい自分自身が疲弊しているかどうか

この2点のいずれかが満たされている場合、逃げていいと思うし逃げるべきだと思う。(上2点の話は今回はしない)


生きることは戦いであり、HPは無限ではない

生きることは戦いだ。
仕事をするのも、勉強をするのも、恋をするのも、何にだって戦いは必ず存在する。
趣味をするのだって、家事をする時間をどう捻出するか等ある意味戦った上で勝ち取っている部分も大きい。
人生は基本的に気づかないところでたくさん戦いが転がっているものだと思う。

その上で必ず勝敗はあって、戦いの数だけ過程が存在している。
その戦いに納得がいくものもあれば、納得がいかないものもあるし、そもそも戦いだと認識していないものだってきっとある。

じゃあ、戦うと人はどうなるか?

疲れる。

ゲームで例えると、HPが減る。(以降の話はゲームで例えていく)

人生というゲームはおそらくなのだが、このHPというパラメーターが人によって大きく違う。

24時間ガチガチに戦い続ける事ができる人もいれば、1時間しか戦えないけどやたら強い人だっている。
つまり人によって、キャパシティが違うのだ。

HP周りの数値はレベル(経験)によってたしかに上昇する。
だが、厳密にはHP上限自体は上がっていない。
あくまでも1行動に関するHP消費がちょっと減ったにすぎない。
昨日50HP消費したことが、レベルアップ(経験)したことで40HP消費で賄えるようになった、とかそういう感じだ。
しかも厄介なことに、自分がどれだけHP消費しているかはあんまり自分で実感することは難しい。あるいは何かキッカケがないと、それを認識することは難しかったりする。自分のHP把握はちょっと特殊なスキルなのだ。

人生にたびたびおこるバグ

さて、このHP消費だが
時々今までHP1消費ですんだことが急に50消費になったりすることがある。

それは精神的な病気だったり、あるいは骨折で物理的に消費が多くなったり、なんだかよくわからんけど気分が乗らなかったり、原因は様々だ。
ぶっちゃけバグだ。

ちょっとしたことでもHP消費が多くなることは往々にして存在する。
今までバハムートを倒せていたのに、今日はスライムを倒すのがやっと..みたいな日だって存在する。

たとえばスライムを倒すのがやっと..みたいな状態にバハムートと出会ったらどうだろうか?



「にげる」


このコマンドを押すんじゃないだろうか。
※たぶん今だとフェニックスの尾は退職代行なんだろうな


一方で、

「たたかう」コマンドを選択する人だってもちろん存在する。
だってそれは「今まで出来ていたこと」だから。
でも当然やられてしまう。
自分自身が今「スライムをやっと倒せる状態」にもかかわらず、それを認識できていないから。(前述の通り、HP把握は特殊スキル)
挑んでやられてしまう。
そこで初めて思い知る。



あぁ、おれ 今ボロボロだったんだな


たとえばそこで経験することで、ようやく自分のHPの限界を知る人もいれば
「いや、いまのはたまたまだ!」とボロボロのまま再戦を挑む人だっている。
もちろんそれでなんやかんやクリアする人だっている。0ではない。
でも多くの最適解はたぶん「にげる」なんだと思う。


だからぼくは「逃げてもいい」時は「逃げるべき」だと思う。


無理に戦う必要はない。
たとえば傷薬を使ってHPを回復させたり、宿屋で休んだり、仲間を集めて立ち向かうのもいいだろう。
とにかく現状を変えないと敵には勝てない。
あるいはそのダンジョンには近づかない、も一つの選択肢だと思うのだ。

問題はいつ気づくことが出来るか、だ。
自分のHPの状態について、いつ気づくことが出来るか。

ここで他人の視点が必要になるケースもある。
「お前、なんで戦ってるの?HP1じゃん」と言ってくれたり、
「バハムートやめて、スライムにした方がいいんじゃね?」と言ってくれたり
「MP回復やスキル獲得のために旅行いくか」と言ってくれたりすることもあるかもしれない。
「あ~HP1っすよ、回復薬いる?それともいったんゲームやめる?」というヒーラー的なNPCを頼る人もいるだろう。

「逃げてもいいんだよ」はつまり、「現状」を見た上での判断なのだ。
「未来」ではない。「今」どうなっているかを見るのが、他人なのだ。


人生の責任と逃げてはいけないたった一つのこと

さて、最初に話を戻そう。
「"逃げてもいい"というやつはお前の人生を適当に話してるだけだから信用するな」
「それを軽々しく口にする人は、お前の人生の責任を取らないからだ。」という話についてだ。

さっきのRPG的な話でいうと、
コマンドを選んでるのはお前なんだからそこの責任はお前が取れ。
というのが結論だ。

たしかに、このコマンドを選んだほうがいいと思う。というのはあるだろう。
でも最終的に実際にボタンを押したのはプレイヤー自身だ。
強制的に押されているわけではない、あくまでも「自分自身でそれを選択」したのだ。ここは逃げることが出来ない真実だ。

「にげる」コマンドを選んだのも
「たたかう」コマンドを選んだのもあくまでもプレイヤー自身なのだ。

選択からは逃げてはいけないし、逃げられない。


お前HPもうあと1だから絶対逃げたほうがいいって!!!
うん!わかった!にげる!!!

は、あくまでも「現状」の解決だ。
そこから先、どうなるかの責任は自分で負わないといけない。

人生というゲームはオープンワールドだ。
どんな選択も(理論上は)出来る。
だからこそ、ずっと宿屋にいることだって、ずっと最初の街にいることだって出来る。
それもまたプレイヤーの選択だ。

人生に攻略本なんて存在しない。そんなことを言ってるやつはただの詐欺師だ。でも、他プレイヤーの体験に基づいたデータや体験談、あるいはプレイを見ている感想は存在する。
それを信用するのも、信用しないのも、そして決断するのもしないのもあくまでも自分だ。

なので、逃げてもいい。


全然逃げていい。


逃げてよくなるんだったら、今が少しでも楽になるなら全然逃げてもいい。


ただ、逃げた上で「にげる」コマンドを押した自分の存在もちゃんと肯定してあげてほしい。


「にげる」ことは決して悪いことじゃない。
でも「にげる」ことから目をそらしてはいけない。
それはたぶん自分からも「にげる」ことになるから。

どんなことから逃げてもいい、でも自分からにだけは逃げてはいけない。


君がプレイヤーだ。
君がプレイしよう。


というわけで、これを書いてるぼくも今積み上がった仕事から「にげる」を押したわけだが、どうしよう。
そうだよね、責任とって仕事クエストプレイします..


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