あの頃の朝焼けと。今の夕暮れと。
佐藤@2001年の札幌
♫まだ見たことない未来で、勇敢に戦う俺がいる。きっとそうだろ。どうなの?未来の状況は?
白木屋の有線から流れてくる
ケツメイシのケツノポリス2「手紙〜未来」
「ヒップホップでこれやったら誰でも売れるよな。オレでもいけるわ。このやり方はダサイ。」
「たしかに。いやそれ言うならDragon Ashからはじまった流れっしょ。」
30代後半から40代の人たちの青春時代。1998年くらいから徐々に流行り始めたヒップホップ。本格派はアンダーグラウンド。それ以外はにわかという対立構造。ポップなトラックにリリックをのせるというのが売れ線。イコールこれは本格派ではない。にわかの代表例。そんなよくある話。玄人と素人の二項対立はどの分野でも今も昔も存在するものだ。
簡単なものは偽物で小難しいものを本物にしたがる。これは若者の一種の癖と言えるし、誰もが通る道なのではないだろうか。
この話もヒップホップに詳しい地元の先輩が言っていたことをそのまま自分の意見のように言っていただけなのでオレはエセ玄人の代表格。今思えば、たぶん地元の先輩も誰かから聞いたことを自分の意見かのように言っていたのではないか。おそらく同じ構図なのだと思う。意見のねずみ講みたいなもので、知らない人に対して、知らない人の意見でマウントしていく。
家で実はヘビーローテーション。周りは気にしていない自分のキャラ設定を守ることが大事で、人といる時は一切聴かない。そんな若かりし事情と思い出を内包した曲が誰にでも一曲や二曲あるだろう。
いつもの居酒屋白木屋。通っていた大学の最寄駅にあった行きつけのチェーン店。なぜか今でもよく思い出す。その日はオレ佐藤、友達伊藤、友達高橋、さっき知り合った加藤の4人でいつものごとく飲んでいた。特別でも何でもない日なのに思い出に残っている。そんな過去がある。
学生時代の飲みは1人1000円以内におさめたいという暗黙のルール。マナー一切なしの“お通しなし”のオーダーがお決まりだった。学生は本当商売相手にしたくないよなと振り返って思う。その上で高橋は天然でキモかった思い出がある。今アイツは元気なんだろうか。
「いやあSEXしてえ。しかしSEXがしたい。マジでSEXをやりたい。」
「なんだろうな。お前マジでキモいからそういうのやめろよ。」
「いやでもさSEXしたくない?佐藤っちはSEXしたくないの?お金欲しくないの?オレは大体SEXがしたい。」
「なんだろうな。口に出していい話と悪い話ってあるでしょ。」
「下ネタめちゃ楽しいじゃん。絶対口に出していい話でしょ。その話してたら口もいいなって思い始めてきた。ヤバい。少し勃ってきた。ヤバくないオレ。やばくない。突き抜けてるわ」
「いや。突き抜けてねえし、それオレの中で下ネタ枠じゃないんだよな。見てみ。伊藤も加藤くんも全く笑ってないでしょ。見てよ。この困り顔。こんな若者たちの顔なかなか見れんよ」
「まあ、この空気になったらオレの勝ちだよな。あ、すいません。日本酒2合ください。」
「おちょこいくつお持ちしますか?」
「4つで。」
「みんなでお安く酔っ払おうぜ」
言葉にするとニュアンスが失われる。そのニュアンスをうまく言語化できない。
ニュアンスで生きていた時期。それが良かったのだと思うし、何もかも解像度が上がることが良いわけではない。拡大すると気持ち悪いものは世の中たくさんある。いやむしろそれだらけと言ってもいい。どんな綺麗なものでも、近づいて近視眼で見ると大体がブツブツの気持ち悪さがある。見なくていいものは見なくていい。それを人は本能的に理解している。
たぶん大学生の男で飲んでいてSEXしたくないやつはほぼいない。ただその言葉はニュアンスに包まないと異物として浮き出てくる。言語化のパッケージセンスが良いと空気を読む。感じが良い。いい人。おもしろい人。などと言われ、人間関係でポジティブな評価につながる。下ネタついでにいえば社会の窓はズボンのチャックだけじゃなく、言語にするかしないか。非物理的な社会の窓もある。
ちょうどそんな社会の窓が閉じたタイミングで来た女の子3人組。
4人で飲んでいた友達の中でも比較的、オレ佐藤と仲の良かった伊藤の知り合いだった。
「伊藤くん???めちゃめちゃ久しぶりー。」
「おおおお」
「いつぶりだっけ?ゴールデンウィークとか会ったよね?どこだっけ?その時もこのお店だったよね!半年ぶりくらいかあ。変わってないね。」
「え、これから飲むの?一緒に飲もうよ。」
女の子たちは顔を見合わせてアイコンタクトをしている。もう答えは出ているように見える。ナンパほどではない“自然風”に出会いたい。この要望をもつ男女の暗黙のルールも世の中にはたくさんある。
「どうする?」
「いいんじゃない。」
「私もいいよ。」
「いいって。」
「やった。」
「オレらも1時間くらい前から飲みはじめたところ。みさちゃん、めっちゃ髪のびたじゃん。」
「伊藤くんも前会った時、古着系だったのにB-BOYに服装変わってる。雰囲気違うから一瞬わからんかったわー」
「すいません!カシスオレンジ2つとジントニックください。あ、お通しなしで!」
「てゆうか、あっちに席移動しない?あっちに席うつってもいいですか?」
「はい。おしぼりと飲み物各自で持って移動!向こうの席片付けてもらっていい?」
店員さんが注文伝票書いている最中、強引に席移動を確定させた伊藤。店員さんにもタメ口になり、自分の知り合いが来て急にイキり出してきた伊藤。人脈自慢は大人だけではない。その息吹はこの頃から確実に存在している。むしろコミュニティが閉じている分、誰々の知り合いというのがステータスに直結するのは大人よりも学生。同様にイケてるかイケてないかが全てのオレら。全集中して、自分なりのもっともクールな装いを雰囲気として各自装備し出す。
そんな男女の駆け引きが繰り広げられる飲み会の1時間が経過した頃、友達の中でも今日初対面の加藤が動く。計算されたネガティブキャンペーンで伊藤が制圧するこの場の空気を加藤色に変えていく。ネガティブキャンペーンという言葉が存在しなかった。ご機嫌は自分でとる。そんな概念もなかった頃の施策。強引な立ち振る舞いは頼りがいと見なされやすいし、やる気のない雰囲気と後ろ向きな態度は人を巻き込みやすい。
「いやあダリいなあ。マジ生きてるのがダリい。マジ死にてえ。もうオレ生き切ったっからもういいわって感じ。」
伊藤の知り合いのみさちゃんも。
「私も最近疲れてんだよね。バイトでめちゃめちゃ怒られてさ。来年から就職活動だし憂鬱すぎるわ。」
キモい友達の高橋も。
「いやオレもやる気のなさなら負けんわ。」
みさちゃんの友達のさおりちゃんも。
「私もずっと寝てたいもん。」
そしてみさちゃんとさおりちゃんの友達のてつこちゃんも。
「えーみんな色々あるじゃん。うちなんかお父さん1ヶ月前に死んじゃってさ」
「えっ」
「え」
「えっ」
「えっっ」
「お母さんとお父さん。別々に寝ててさ、朝起きてこないなと思って寝室に行ったら死んでて、ドアの前で倒れてた。たぶん誰か呼びにいこうとしたんだろうねって家族では話してる。うち家族仲良かったからさ。お母さん見てられなくて。毎日泣けてくるわ。なんかできたんじゃないか。もしかしたら助けることできたんじゃないか。そんなこと毎日思ってる。私も少し病んでるんだと思う。それでも前に進もうって。私、今そんなこと思ってえる。」
二十歳そこそこのやつらが対応できる話の重さと、そうではない重さがあって、これは完全に後者。友達の話ならまだしも1時間前に会ったばかりの人の重たい話をどうこうできる奴はこの中に誰もいなかった。SEXしたい高橋の今日の目的とか本当どうでもいい話になってしまった。最終的に集合お見合いみたいな雰囲気でこの飲み会は終わった。そして解散した。戦犯の加藤くんは罪だけ残して帰った。
夜の22時。オレ佐藤、みさちゃん知り合い伊藤、キモいSEX高橋。 大学生の男3人が虚しく白木屋の前に残された。オレ佐藤は、タール17ミリかなりキツめのハイライトに火をつけて、歩きタバコをしながら歩いた。伊藤と高橋にも1本ずつくれてやった。北国の冬の夜空に、3本の煙が向かって消えていった。
「外で吸うタバコって味違うよな」
「あ、わかるわ。てゆうか、たまにタバコ吸い始めた時の味する時ない?」
「うわっ。超わかる。あのラリった感じの味でしょ」
「てゆうか、やっぱハイライトきついな」
まだ自動販売機でタバコが買えた時代。ハイライトが250円だった時代。ソフトかボックスか。ZIPPOに100円ライター。「火」の価値も「お金」の価値も今とは異なる時代。
結局、その日は男3人でカラオケで朝までオールナイトした。終わってカラオケボックスを出た頃には綺麗な朝焼けが広がっていた。
「もう朝じゃん。」
「ああSEXしてえ。SEXをしたい。SEXがしたい。」
「やべえ。こいつ3回言った。やべえクソ笑える。おれもSEXしてえ」
「SEXしてえ」
「SEXしてえわ」
「ツタヤ行ってエロビ借りて帰ろうぜ。」
「5本で1000円をみんなでシェアしようぜ。準新作までな。気をつけろ。」
SEXを連呼する男3人。ツタヤのアダルトビデオコーナーののれんの下から見えるレッドウィングのアイリッシュセッター。ティンバーランド。オールスター。クロムハーツのウォレットチェーンがついたレッドムーンの財布からツタヤの会員証を出す。バリバリとマジックテープのついた青いTSUTAYAのレンタル袋。アダルトビデオ“最高のオナニーのために”。
もう明るくなった駅前。
服装や流行りにお金をかけるも、これといって特に艶のない朝帰りをしてナニをして寝る。それがオレ佐藤の大学生活だった。
「じゃあな」
大学の誰か女の子の知り合いが来ないか。女の子は男の子の知り合いに会わないか。そんな男女の阿吽の呼吸で、みんな行きつけの居酒屋で盛り上がる。ただその明確な目的は暗黙の了解で誰も明言しない。盛り上がらないと。目立たないと。自分の存在をアピールすることが存在意義と言えたミレニアル世代の学生時代。
ニュアンスの多くがまだ言語化されていない。その感覚に私たちはまた出会えるのだろうか。半年を久しぶりと感じられる時間軸。物事を拡大して理解する必要もない。言語化と言語化の行間や言葉の隙間も今よりあった。
今よりゆとりがあったのは若さのせいか。時代のせいか。特に意味のないと思われた時間を過ごして、ナチュラルハイで迎える朝。
意味のなさこそ意味深さということにも気づかずに過ごす日々だった。
佐藤@2023年の渋谷
「会議出て発言しない価値ゼロのおじさん達」
「Z世代を阻害する老害」
「新種の“ソフト老害”」
「働かないおじさん問題」
YahooニュースやTwitterで一日一回は似たようなテーマを見る。目上の人を敬う今までの日本文化の反動なのか、老害への後押しが今MAXに熟成されているように思う。
「ポジションとらず若い世代に理解を示す。上にも下にも八方美人。何も物事を前に進めない。やる気ある風がむしろ罪なおじさん達。説教ではなく“説得”をしてくるソフト老害」
上と下の狭間にいる30代や40代も老害のターゲットに入ってきている。“老害”シェアの広がり方がエグい。
多様性の時代だというのに、この領域へは辛辣な言葉が並ぶ。世の賛同もとても多い。年齢が上がるにつれて社会で肩身が狭くなっていく。で、つい最近まで糾弾する立場だったのに、今や糾弾される側。それが今の私の立場。
正直なところ、苦情・クレーム・不満は人並みにあるが、これといって特に意見というものはない。最近はどんなことにおいても。攻戦一方のタコ殴りでOKならいくらでも吐き散らかせるが、少しでもカウンターをもらいそうな発言への拒否反応が激しい。攻撃力は年齢とともに上がるくせに守備力は年々下がっていく。みんなそれを優しさや大人と呼んでごまかしている。オレも私として丸くなった。
渋谷マークシティから見える“夕焼け”が、とてもまぶしい。
「まだ見たことない未来で勇敢に戦うオレがいる。きっとそうだろ?どうなの?未来のオレらの状況は?」
「遠い未来のオレ十年後の君のため」
「これから十年まるで回るルーレット」
「長い十年後の自分探す旅に」
「十年経つまでは胸の奥に」
大学生の頃、10年後のオレは何やってんだろ?って未来に想像を膨らませたこの曲も、10年以上先の未来は未来として想定していないのだ。若さゆえの永遠。
ケツメイシのケツノポリス2「手紙〜未来」で歌われている10年後。さらにその10年後。さらにその先2年後の“現実の未来”に私はいた。
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