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スーパーニッカ初号ボトルとヤナガセ

ウイスキーのオールドボトルを集めるようになってから数年が経ちますが、中にはとても思い入れのあるボトルが何本かあります。
その中でも一番はどれかと言われたら、間違いなくスーパーニッカ初号ボトルです。

このボトルを入手するまでのことを思い返すと、もう40年も前になる高校生の頃にまで話を遡ることになるのです。

バー「ヤナガセ」

そもそもバーに興味を持ったのは高校生の頃でした。
もちろんまだバーに行った事はありませんでしたが、なぜかバーという響きと空間にとても興味を持ち憧れるようになりました。

きっかけが何だったのかも覚えていませんが、昭和63年に発行された「ザ・バー・ブック」という雑誌がひとつのきっかけだったのかも知れません。
当時はもちろんインターネットもありませんので、情報を得るのは本や雑誌でした。
実家の近所の本屋に通って立ち読みをしたり、気に入った本や雑誌はお小遣いを貯めて購入していました。

昔から物持ちが良く、特に気に入った物は捨てられない性格のため、その頃購入した雑誌も今でも捨てられずに大切に保管していますが、その中でも特に大切にして今でもたまに見ているのが「ザ・バー・ブック」です。

ザ・バー・ブックの表紙

日本全国の代表的なバーが100店とホテルバーが30店掲載されているこの雑誌は、まだバーに足を踏み入れたことも無い高校生の目には、まさに憧れの大人の世界が広がっていました。
そして、実家があった東京はもちろん、北海道から九州まで日本全国の一流バーが掲載されている中で、いつか絶対に行きたいと思っていたバーのひとつが「ヤナガセ」でした。

「ヤナガセ」は神戸の三宮にあるバーですが、なぜこのバーに行きたいと思ったのかというと、あるドラマの中で登場していた事も理由のひとつです。
そのドラマの主演は田村正和で、「ヤナガセ」で一人で飲んでいるシーンを見た瞬間に「あ、このバーはヤナガセだ。」と気付きました。

雑誌の写真でしか見たことが無いバーでしたが、映像で見るとさらに良い雰囲気の素敵なバーでした。
その時に「ここはいつか絶対に行こう。」と決めたのでした。

それから何年が経ったか分からないくらいの時が過ぎ、既に40歳を超える歳になっていました。
それまでに「ザ・バー・ブック」に掲載されていたバーにも数多く行くことが出来ていましたが、「ヤナガセ」にはまだ行けていませんでした。
神戸自体に行く機会が全く無かったのです。

ところが、ある旅をきっかけに神戸に友人が出来たのです。
旅で知り合った方とは「また会いましょう。」と言っていたにも関わらず、全く合わないというケースも多いと思いますが、この時は違いました。
その後、年に何回も神戸に遊びに行くようになったのです。

そして、その友人ご一家に初めて会いに神戸に訪れた際、念願の「ヤナガセ」に行くことが出来ました。
初めての「ヤナガセ」は期待以上の素敵なバーでした。
ちょうど寒い季節だった事もあり、店内の暖炉に薪が焚べられパチパチと爆ぜる音と薪のいい香りの中で、キリッとドライなマティーニを頂きました。

ヤナガセの店内

スーパーニッカ初号ボトルとの出会い

それからというもの、神戸に行くたびに「ヤナガセ」に寄らせてもらう様になりました。
その後店主となったバーテンダーの村井さんにも仲良くしていただき、カウンターで色々なお話をさせて頂く様になりましたが、そんなある時カウンターにひとつのデキャンタが置かれていました。

柔らかい曲線で出来たそのデキャンタには、オリジナルブレンドのウイスキーが入っているとのことでしたが、そのデキャンタはと言うと、一番最初のスーパーニッカのボトルだとのことでした。

後から考えると、ウイスキーのオールドボトルに初めて興味を持ったのはこの時だったのです。
その場でスマホで検索したところ、スーパーニッカの初号ボトルには深いストーリーがありました。

詳しくは他のサイトに譲りますが、マッサンとして有名な日本のウイスキーの父と言われる竹鶴正孝が、亡き妻の為に当時最高のブレンデッドウイスキーを作ろうとしたのがスーパーニッカであり、その初号のボトルは花嫁衣装の様に拘ったカガミクリスタル製の手拭きボトルが用意されたのでした、

当時としてはかなりの高級酒であると同時に、手拭きボトルということもあって、生産数は年間1,000本程度だったと言われています。
そして初号の生産は10年程度だった為、合計でも1万本程度しかこの世の中に存在しないことになります。

すでに生産終了から50年以上も経っていますので、割れてしまった物もあると思いますし、ボトル自体がとても貴重な物なのです。
そして、そんな貴重なボトルのひとつが「ヤナガセ」のカウンターに置いてあったのでした。

そのボトルを見てスーパーニッカの歴史を知り、どうしてもスーパーニッカの初号ボトルが欲しくなりました。
全く同じ物は二つと無い手拭きボトルという魅力と、当時最高のブレンデッドウイスキーを作ろうとして出来上がったウイスキーが一体どんな味や香りがするのか、いつか手にして飲んでみたいと思い、それからというもの購入出来るチャンスを待っていました。

運命のボトル?を入手

スーパーニッカ初号ボトル

サラリーマンを辞めるまではIT業界で仕事をしていたこともあり、ネットでの購入やオークションにも全く抵抗はありませんので、常にキーワード登録をしておき、お買い得なスーパーニッカ初号ボトルが出品されるのを待っていました。
そして、ついに購入出来るチャンスが訪れたのです。

2019年にサラリーマンを辞めてから程なくして世の中はコロナ禍となり、バーに行く機会が減ってしまったこともあって、家でウイスキーを飲むことにはまっていた時期でした。
オールドボトルを買い始めると、まさに沼にはまってしまいあっという間に100本を超えて置き場に困る状況になっていました。

そんなタイミングでスーパーニッカ初号ボトルが出品されたのです。
酒屋さんの蔵の奥で眠っていたというそのボトルは、箱も当時のままで液面の低下も無く、とても良い状態の物でした。

このタイミングを逃したら次にいつチャンスが訪れるかはわかりませんし、もしかしたらもう買えるチャンスは無いかも知れません。
迷う間も無く購入したのでした。

届いたボトルが冒頭の写真の物ですが、期待通りの良い状態でした。
箱の中にはボトルとは別に同じく手作りのセミクリスタル製の栓が付いていますが、コルクを開けた後にはこの栓を使うことになります。
そして、ボトルと栓には同じ番号が彫られており、この番号が合わないときっちりと栓がはまらないという手作りならではの証拠とも言える作りになっているのですが、この通し番号から推測すると、なんとこのボトルと私はほぼ同い年だったのです。

購入した言い訳だと思われても仕方ありませんが^^、私が手に入れる運命だったのだと思わずにはいられませんでした。

このボトルを手に入れた後にも「ヤナガセ」に伺う機会がありました。
既にカウンターにはデキャンタとして使われていたボトルはありませんでしたが、店主となられた村井さんに購入のいきさつをお話させてもらったところ、実は奥にしまってありますとのことで棚の奥から出してくれました。

元々は先代のオーナーが手に入れた物で、私が見た時にはたまたまデキャンタとして使っていたそうですが、その後貴重な物だと知り奥にしまっていたそうです。
あの時このボトルと出会ったのも、やはり何かのご縁だったのかも知れません。

新たな大きな悩み

念願だったスーパーニッカ初号ボトルを手にした訳ですが、大きな悩みが出来てしまいました。
お気付きの方もいらっしゃると思いますが、まだ飲むことが出来ずに居るのです。
元来古い物や貴重な物が欲しくなる性格な為、時間を掛けて手に入れた物も多いのですが、お酒に関しては手に入れて終わりでは無いところが悩ましいところです。

当然ボトルの中のスーパーニッカ初号を飲んでみたいのですが、ここまで思い入れがあると、どういうタイミングで飲めば良いのか分からなくなっているのです。
既に50年以上経っているお酒ですので、もしかしたら美味しく無くなっている可能性もありますが、やはり飲んでみたい気持ちは変わりません。
噂ではとても香りが良いウイスキーだとも言われていますので、味だけでは無くその香りも是非嗅いでみたいと思っています。

ではいつ飲むのが正解なのか。
目標が達成出来た時なのか、夢が叶った記念なのか。
そしてそれはどんな場所で、誰と一緒に飲むのか。
せっかくだからパーティーでも開いて、共感してくれる人達と一緒に飲むのも良いなと思ったりもしています。
もともと幹事をやるのが好きなので、自分の還暦祝いのパーティーを開くのも良いかも知れません。

高校生の頃にバーに興味を持ち神戸の「ヤナガセ」に憧れ、その「ヤナガセ」で出会ったスーパーニッカ初号ボトル。
いずれにしても、まだしばらくはこのボトルを眺めながら、別のウイスキーを飲む日々が続きそうです。


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