本朝二十不孝 ー しんすけの読書日記
『朝二十不孝』を本当に西鶴が書いたのなら、西鶴はリアリストだったに違いない。
非現実的な『朝二十四孝』を揶揄っているようにも観えるからである。
親のために子を殺す。採れもしない時期に筍を探すなんて孝行どころか、愚人の行為に過ぎない。
だから現実に多い親不孝を書けば、物語がリアルになるのは当然だ。
三島由紀夫が『不道徳教育講座』の冒頭で本書に触れている。
本書の大半は、よくここまでできたものだと思えるくらいに親不孝の満載だ。
そして親不孝した本人は、事故死や餓死、さらには死刑になっている。
それは、けっして反面教師でない面白さに満ちたものだ。当時の人はこれを読んで自分を顧みることもなく「よくもこんな馬鹿がいたもんだ」と呆れていただけに違いない。
親不孝者が本書を読むことはできなかったと思うからだ。
だから『本朝二十不孝』は西鶴による『不道徳教育講座』と言っていい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?