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本朝二十不孝 ー しんすけの読書日記

『朝二十不孝』を本当に西鶴が書いたのなら、西鶴はリアリストだったに違いない。
非現実的な『朝二十四孝』を揶揄からかっているようにも観えるからである。

親のために子を殺す。採れもしない時期に筍を探すなんて孝行どころか、愚人の行為に過ぎない。
だから現実に多い親不孝を書けば、物語がリアルになるのは当然だ。

三島由紀夫が『不道徳教育講座』の冒頭で本書に触れている。

 十八世紀の大小説家井原西鶴の小説に「本朝二十不孝」というのがあります。これは中国の有名な「二十四孝」をもじったもので、よりによった親不孝者の話をならべたものです。大体、親孝行の話などは、読んでおもしろくなく、くすぐつたくなるような、わざとらしい話が多いが、そこへ行くと、思い切った親不孝の話は読んでおもしろく、自分は相当親不孝のつもりでも、そこまで徹底できる自信はなくなり、「へえ、親不孝にも上には上があるもんだなあ」と妙に及びがたい気持になり、それに比べると、自分なんかは相当な親孝行だと思われてくる。そしてまず、自分を親孝行だと思うことが孝行のはじまりですから、こういう本はなかなか益があることになる。私が流行の道徳教育をもじつて、「不道徳教育講座」を開講するのも、西鶴のためしにならったからである。

三島由紀夫『不道徳教育講座』p9

本書の大半は、よくここまでできたものだと思えるくらいに親不孝の満載だ。
そして親不孝した本人は、事故死や餓死、さらには死刑になっている。

それは、けっして反面教師でない面白さに満ちたものだ。当時の人はこれを読んで自分を顧みることもなく「よくもこんな馬鹿がいたもんだ」と呆れていただけに違いない。

親不孝者が本書を読むことはできなかったと思うからだ。

だから『本朝二十不孝』は西鶴による『不道徳教育講座』と言っていい。

井原西鶴『本朝二十不幸』

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