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緩和ケアとヒポクラテスの教え

皆さんは緩和ケアという言葉をご存知ですか?もし知っているのならこの言葉にどのような印象をお持ちですか?おそらく治療法がない末期のがん患者さんが受ける最後の手段、終末期医療のことだと思っている方がほとんどではないでしょうか。

実際には緩和ケアはがんの終末期だけではなくがんの診断時から始まるもので、がん以外の慢性疾患や神経難病、認知症など生命を脅かす重篤な疾患も対象になります。また緩和の対象は身体の痛み以外に心理的、社会的な痛みやスピリチュアルな痛みも含まれます。スピリチュアルな痛みとは生きる意味や価値を見失い、こんな状態で生きていたくないという苦痛のことです。

最近緩和ケアを専門に診療されている勤務医の先生のこんな文章を目にしました。「僕は患者さんに寄り添うという言葉が好きではない。治らない病気の人にそのことを伝え、痛みがあるなら和らげる。それ以上のこと(患者さんに寄り添って一緒に悩む)を目標にすると、緩和ケアのハードルが上がり非緩和ケア医に広がらなくなる」

これを読んで患者さんに寄り添うとはどういうことなのかを改めて考えてみました。臨床clinicという言葉の語源は、ギリシャ語のクリニコス klinikos 「病人の枕元で話を聞くこと」で、かのヒポクラテスが弟子たちに医療でもっとも大切なことであると教えた言葉と伝えられています。われわれ臨床医の基本であり一番大事なことはやはり患者さんのお話を傾聴することで間違いないと思います。

がんの患者さんはだいたい多かれ少なかれ不安感を抱えていてベッドサイドでそれを傾聴することで気持ちが楽になり、痛み自体が和らぐことも多いものです。もちろん先ほどの緩和ケアの先生も実際には傾聴や共感をしているに違いないですが、それは本当に一緒に悩むのではなく緩和ケアのプロの技術としてやっているのではないでしょうか。患者さんとの距離感を適切に保つこと、これもプロの医療者としてとても大事なことだと思います。近づきすぎても遠すぎてもダメ。このあたりは自分も若い頃は上手くできなかった気がします。

実際には緩和ケアの現場で本当に患者さんと一緒に悩み、寄り添う先生も多いことでしょう。一方プロとしてドライに仕事を全うするやり方も私は間違いではないと思います。重要なのは方法ではなく結果として患者さんの苦痛が緩和できたかどうかです。

AIの進化は医療の分野でも日進月歩で、近い将来内科医の仕事のほとんどはAIにとって変わられるのではないかという予測すらあります。患者さんの症状と検査データから正しい診断をつけ、最善の治療法を提示するだけならば、その通りかもしれません。しかし臨床で最も大切な傾聴と共感、それによる癒しという点は人間にしかできないことであり、これからも我々の仕事がなくなることはないと私は思います。

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