アマノジャクの動かし方

一年生の時、息子が宿題をやらない時期が。学校からは「親から宿題をするよう言ってください」というプリントの連絡。けれど息子は言えば言うほどやらなくなるアマノジャク。悪循環は目に見えてる。YouMeさんと相談し、「やらなきゃ先生には謝ろう」宿題をやれとは一切言わないように。

何日か宿題をしない日が続き、先生に謝る日々。するとある日、「宿題、やる」と息子が言い出した。そのとき前もってYouMeさんと相談していた通り、驚いた。
「何も言わないのに自分からやるって、あんたえらいなあ!」「あんまり無理するなよ」というと、ホッとした顔と同時に、ちょっと誇らしげ。

その後は宿題を自発的にやるように。やらない日は何度かあったけど、その時は先生に謝る。やらないのがデフォルト(通常運転)くらい思って。自分からやり出したら「あんたは自分からやるから、えらいなあ」と驚く。「あまり無理するなよ」と、少し手綱を引き気味な声かけをする。それだけ。

なぜそんな接し方にしたのか。「宿題するのは当たり前」だと、アマノジャク型はつまらないから。アマノジャクは意表をつくのが大好きなのに、親も先生も当然と思ってる宿題をしたら、大人の思うツボで動いてる自分の姿がガマンならなくなる。だから、宿題をしない方向を選びがち。

ならば、宿題をすることの方が意表をつくことになる、という環境にした方がよい、と考えた。宿題をしないのが当たり前、デフォルト。もし親が言わないのにやり出したら、それは驚くべきこと。そんな環境をデザインしよう、とYouMeさんと相談、実行した。

とはいえ、学校の先生はクラス運営上、宿題をしないのでは格好がつかない。他の生徒にも示しがつかない。だから、親として謝る。
宿題をやるように、ということは先生がすでに息子に言ってるはず。なら、「やらなきゃ」という気持ちは息子に既にある。アマノジャクが邪魔してるだけ。

以上のような構えで接するようにしたら、息子は何も言わなくても自分で宿題を始め、終わらせるようになった。私たち親がやることは。私が帰宅したとき「今日も、何も言わないのに自分から宿題したんだよ」とYouMeさん、私は「誰に似たんや!でも、あんまり無理すんなよ」と驚き、いたわる。

驚くと、宿題をすることが親の意表をつく形になるので、楽しくなる。親が何も言わない、という環境だからこそ、親も驚ける。もし親が「宿題は?」と言ったとたんに、宿題をやるのが当たり前の世界に変じてしまう。だから親は宿題のことは何も言わない。

「無理するなよ」と労るのは、よく頑張ってる、という自画像を強める効果があるから。余力を残さないくらい、無理を押しても宿題をやり遂げる自分、という自画像。これが逆に「頑張れよ」という声かけだと、「お前はもっと頑張れる余力を残してる、つまりまだ頑張ってない」という裏メッセージになる。

・宿題をやらないのがデフォルトだと腹くくる。
・宿題やらなかったら親として先生に謝る。
・もし宿題をしたら「何も言わないのにえらいなあ!」と驚く。
・「無理するなよ」と言うことで、やらないことをデフォルトと捉えてることを裏メッセージで伝えつつ、よく頑張ってるね、ということも伝える。

でも、上記のやり方は、息子のようなアマノジャク型にはよいけれど、大人の言うことをよく聞く素直型は、一緒の時間を過ごしながら宿題をする方がよいと思う。

でも実のところ、宿題なんかなくなったらよいのに、と思う。勉強嫌いの子どもにしたい制度じゃないか、と思うから。学習意欲を何より大事に考えてる私としては、宿題なんかなくなればよい、と思う。ただ、それを一個人の先生に求めても仕方ないから、社会的コンセンサスを徐々に作っていきたい。

「驚く」を「ほめる」と同一視する人が多そうなので、念のため。「ほめる」のは、親の「こうしてほしい」願望、期待が伝わり、アマノジャクは嫌がる。「驚く」は「それはしなくてもよい(のにした)」という期待のなさが伝わるので、アマノジャクはまた驚かせようとする。結果が逆になるので注意。

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