承認欲求を満たしてもらう側から、満たす側へ

親は子どもの見本、手本でなければならない、ということはよく言われる。けれど、非の打ち所ない、人格者で高学歴高収入な人の子どもが非行に走ったり、飲んだくれでろくに働かない親元で立派な子供が育ったり。親がどうあるか、というのは違う気がする。

親が子どもに見本を見せようとするとき、しばしば承認欲求の影を感じる。「お父さんすごいだろう」「お母さんはすごいでしょう」親が子どもに承認してもらおう、すごいと言ってもらおう、としてるのを感じることがある。それは立場が逆じゃないかな、と思う。

子どもの頃から優等生できて、みんなからほめられて育ち、大人になっても「どんなもんだ、すごいだろう」と自己顕示欲をつい出してしまうことがある。大人になっても、この承認欲求が頭をもたげるのはなかなか厄介。けれど、親は承認欲求を満たしてもらう側ではなく、満たしてやる側。

子どもを驚かすんじゃなくて、子どもに驚く。子どもの成長に、発見に。それができたら、多少だらしない親でも、頼りない親でも、怠け者の親でも、よいのだと思う。子どもは、親を驚かすのが大好きだから。自分の成長で親を驚かすのが大好きだから。

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