文筆業の価格破壊

私はこうして大量に文章をアップするせいか、寄稿を頼まれることがある。以前は喜んで受けていたのだけど、無料で引き受けていたら、文筆で生きておられる人たちの生活を脅かすのでは?と思うようになり、「おいくらですか?」と聞くようにしている。すると、音沙汰なくなる出版社も。

今はツイッターやFacebookなどのSNSで文章を書く人をいくらでも見つけられる。だから出版社も、無料で文章書いてもらえそうな人を簡単に見つけられるのだろう。そのために、文筆でメシを食べている人たちの生活を脅かしているように思う。

もっとひどい事例もある。「ノーベル賞級の研究者が寄稿する雑誌にあなたの文章も載ります。栄誉でしょ?ついては10万円支払ってちょ」私は最初、勘違いして「え?執筆料10万円ももらえるんですか?」とビックリしたら、「いえ、あなたが出版社に支払うんです」という。アホらしくて断った。

陶芸の世界でもあるらしく、有名作家の写真と並んで、あなたの作品も掲載されますよ、と言って、かなりのお金をせしめる雑誌もあるという。つまり出版社は、相手に金を支払うどころか、相手からお金を取って収益にしようとしているというわけ。これでは質が担保できないだろうに。

私は、出版社はやはり記事や作品を掲載する場合、作家にお金を支払う文化をきちんと取り戻した方がよいように思う。古くから存在する出版社は、流石にこうしたことがきちんとしているところが多い。しかし新興のところは、執筆料をケチるところが多い。これでは粗製濫造。

執筆料を支払うことには、大きく二つの意味があるように思う。一つは、文筆で生きる人たちの生活が成り立つようにすること。もう一つは、お金を支払うという緊張感から、文章の質を保ち、雑誌の売上で収益を上げるのだという強い覚悟を示すことで、雑誌の質を担保すること。

タダで人を働かせようというムシのよい話にならないよう、文筆の世界でも考え直した方がよいと思う。
私は今度、5冊目の本を出させて頂くが、「とても文筆だけでは生きていけないな」と実感する。文筆業はデフレが進み、お金になるのはベストセラーのごく一部のみ。

私は比較的、本も売れている類になるらしいのだけど、「いやいや、これじゃ食べていけないよ、文筆の人、どうやって生活していけるの?」と思う。事実、文筆では生きていけなくなってるらしい。

タダで書くのはツイッターやFacebook、noteでいくらでもできるんだから、雑誌社はきちんと目利きを効かせて、執筆料を支払う文化を取り戻してほしい。私もこの問題は、しばらく考えてみたいと思う。

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