「魂飛ばし」が能動性を取り戻すまで

その子は高校一年生だった。母親が「大学に行かせたい」といって連れてきたのだけど、学年最下位クラス。高校は偏差値最底辺のところで、どうやら中学でも学年最下位クラスだったらしい。大人しい性格なので内申点が悪くなく、なんとか高校に進学できたようだった。

どこでつまづいてるのか、過去にさかのぼっていった。分数は壊滅。1/2+1/3=2/5のように、分母と分子をそれぞれ足したりする。さらにさかのぼると、割り算がすでに怪しい。九九はできる。
よし、では割り算から足固めし、分数を完全にマスターさせよう。
しかし学習は初日からつまづいた。

公文式的なドリルを渡し、「このページをやってごらん」と言うと、「分かりました」とよい返事。さて、仕上がるまで他の子の指導を、と。
そろそろかな、と思って声をかけると、一問も進んでない。目はうつろで、魂が抜けたよう。「おい、どうした?分からないのか?」と声をかけるとハッとした。

見てると、解いてる。解けるはずのところから始めてるから、当然と言えば当然。さて、1ページ仕上げるまで他の子の指導を。
ふと、高校生に目を向けると、また魂抜けてる。目を開けたまま、ドリルの紙面の向こう側の世界に魂が遊びに出かけてる。目を離して一分もたっていないのに。
これでは学習が進む見込みが立たない。

もう一度、親御さんに来てもらった。今度はお母さんだけでなく、ご両親一緒に。現実を認識してもらうことが必要だと思ったから。そして、幼少期の過ごし方を聞きたいと思ったから。
割り算がすでに怪しいのも問題だが、何より「魂飛ばし」が深刻。これでは学習が進むはずがない。なぜこんなことに?

いつから「魂飛ばし」が始まったのか尋ねると、お母さんが意を決して話し始めてくれた。その子はおばあちゃんと同居しており、孫を大層可愛がったという。ただ、その世話の焼き方は過剰と言えるもので、ご飯はおばあちゃんが口まで持って行き、着替えはおばあちゃんが手伝い。

その結果、五歳になっても自分で着替えさせてもらえず、食事も自分でやらせてもらえないまま、全部おばあちゃんが世話していたという。
ああ。「おばあちゃん子は三文安い」という言葉があるけれど、その典型例だった。おばあちゃんがすべて先回りしてお膳立てするものだから、魂が遊びに出かけるように。

魂飛ばしをしている限り、学習は全く進まない。空想の世界で生きているのだから。本人としては、すべておばあちゃんの言うとおりにしないといけなかったので、せめて魂を飛ばして自分の好きなことを想像して時間を潰すより仕方なかったのだろう。それが癖になり、高校生にまでなってしまった。

まずは魂を「いま、ここ」に呼び戻すしかない。教えるという行為は、この子には無駄。教えてる最中にも魂はどこかにお出かけして馬耳東風なのだから。自ら魂を「いま、ここ」にとどめ、しかも自ら学ぶ能動性を取り戻さなければ、学習そのものが成立しない。

「魂召喚」の訓練が始まった。解説付きドリルに取り組むのは変わらない。ただしマンツーマン。でも教えない。ただ、様子を見てる。魂が体を抜け、目がうつろになり、どこかへお出かけしようとすると、テーブルをバーン!と叩き、「ほら!いま、魂が出て行ってたぞ!」と大声で言い、魂召喚。
※注 大声で驚かすことは推奨しません。

つまり、魂がお出かけするとビックリさせられる、という単純な方法。それにより、無意識に魂が飛んでいくクセをなくそうとした。魂が抜けるクセが消えるまで約1ヶ月。途中、魂が抜ける自分の情けなさでその子は泣いた。

魂飛ばしが収まってくると、今度は高校生にもなって分数ができない自分のふがいなさに泣いた。けれどこれは驚くべき進歩。悔しがるのは、分数を理解しようと、能動性を取り戻した証拠。
紙に書いたパイを切り、3分の1や5分の2といった分数を、数字ではなく実体で理解する訓練を続けた。

するとさすがは高校生、いったん分数の正体をつかめると、どんどん計算できるように。とはいえ、小学生の内容を終えるのに三ヶ月はかかったが。
さあ、いよいよ中学の内容。数学の教科書を使って、一年生の内容から学習し直し。しかし。因数分解と展開がどうしても分からない。

またまた大泣き。高校生にもなって、中学の内容が理解できない自分の情けなさが悔しくて。けれど、跳躍の進歩と言える。ついこないだまでは、割り算のドリルが解けなくても平気で魂を飛ばしていた。それがいまや能動的に学び、できなければ悔しがり、泣くのだから。

やがて、ついに因数分解も克服。すると「諦めさえしなければいつか克服できる」と自信がついたのだろう、以後はスムーズに理解が進み、中学三年間の内容を、一年程で理解し終えた。
そうなれば高校の内容も問題ない。もはや塾に来る必要はなかったが、学習が楽しくなったらしく、通い続けた。

高校卒業後は、給料をもらいながら学べる自動車の整備技術を教えてくれる専門学校に進学したいという。しかしそこは給料ももらえるだけに希望者が多く、その子の学校から合格者は出たことがない。無謀だと周囲から止められたが、諦めなかった。何十倍もの倍率だったのに、見事合格。

この子の事例は、いくつものことを教えてもらうことになった。この子の場合、「教える」という行為はムダだった。教える最中にも魂はお出かけしてしまうのだから。自ら学びに行く能動性を取り戻さない限り、学習が成立しなかった。そして、能動性さえ取り戻したら、教えなくても勝手に学んだ。

・どこからつまづき始めたのか分析すること。
・つまづく前に戻り、少し背伸びすればできそうな課題を与えること。
・後は能動的に学ぶ姿勢だけ取り戻せるよう、アシストすること。この子の場合は、机を叩き、大声でビックリさせて「魂召喚」することだった。
以上のことだけやったら、勝手に伸びた。

この子の事例もそうだったけど、自ら学ぶ能動性さえ取り戻せば、大人の予想をはるかに超えた学習スピードを示す。途中、つまづくことがあっても、泣いて悔しがり、なんとか克服したいと願い、そして本当に突破してしまう。能動性。それさえ取り戻せれば、子どもは劇的に変わる。
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どうやったらその子が能動性を取り戻せるか。その子によって能動性を失った原因は様々、対策もまちまち。だから画一的な方法はない。ただし、どうやら「能動性」を指標にしさえすれば、どうやって能動性を取り戻せるかという目標さえ見失わなければ、指導方針を見つけやすいようだ、ということを教えてもらった事例だった。

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