子育てには観察科学

科学には三つの作法があって、子育てはそのうちの「観察科学」が適しているように思う。
三つの作法とは、理論科学、実験科学、観察科学の三つ。理論科学は、数学が典型。確かな公理・定理から出発して、論理を延伸していく科学。理論物理もこれに近い。

実験科学は、仮説を立て、実験することで仮説が正しいかどうかを検証する方法。中室牧子さんの「『学力』の経済学」はこの系統。教育で根強く生き残る迷信を破壊するのに、実験科学は有効。ただ、実験科学はかなり限定的。教師も生徒も個性が多様すぎて、実験で大切な、条件を揃えることが難しい。

その点、観察科学は子育てに向いているように思う。
観察科学は、地質学や古生物学などで用いられている手法。岩石や化石は何千万年、場合によっては何億年もかけて出来上がるものだから、実験で確かめようがないことばかり。しかも地球サイズを相手だから、実験室に収まりきらない。仕方ないから石ころ一つから、大胆な仮説を立てる。

巨大隕石が落ちて恐竜が滅んだのでは?という理論は、ある地層に、地球には多くないけど隕石には多めの元素が含まれてることに気がついた研究者が、大胆にも立てた仮説。最初はトンデモ仮説扱いがあったが、世界中のその時代の地層でその元素が検出され、「巨大隕石落ちた可能性高い」とされるように。

サンゴの化石が出たら「暖かい海だったのだろう」とか、石ころ一つから大胆な仮説を立てる。そして、別の石ころから紡いだ仮説と戦わせる。両方の石ころを説明できる、包摂的な仮説を新たに紡ぎ出す。こうして、より優れた仮説の生き残り競争をすることで、より精度の高い理論へとブラッシュアップ。

子育ても、この観察科学が適しているように思う。何しろ、実験科学で必要な「対照実験」を行うわけにいかないから。適切な処置をされた子どもと、不適切な処置を子どもを用意しなければならない。その処置をされた子どもは、ずっとその影響を受けてしまうことになる。実験科学が適さない理由。

また実験科学は、どの子にも共通する普遍的な現象には強力だけど、個性の違いに応じた法則を見つけることには適していない。そもそも個性を見分ける科学的手法が確立されていない。大人しい子でも、内に秘めたる気性の激しさを見抜くことは難しい。「均質な子ども」を見つけられないから、実験難しい。

観察科学は、一人の子どもからでも仮説を紡ぐから、個性ごとに仮説を紡ぎやすい。全員に適用できないが、似た個性の子には通じる方法を一つずつ見つけることができる。恐竜の滅んだ地層にしか通じないけど、同じ地層なら世界中に通じる。そうした、制限つき、限定的法則。

万人に通じる法則を見つけることは難しいけれど、個性の似通った子には適用できる、部分的法則を見いだすことはできる。これを意識するだけで、普遍的法則は個性のせいで見つけられないと全部諦めてしまうのではなく、個性に応じた接し方を徐々に、一つずつ発見することが可能なように思う。

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