「そのとき、日本は何人養える?」を書くきっかけ

拙著「そのとき、日本は何人養える?」は、30年かけてコツコツ資料をあさり、データを集め、ようやく書き上げた本なので、もう一度書けと言われたら「ムリ!」と答えるしかない。それだけ力をこめた本でもある。
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そもそもの着想は、高校の日本史の教科書から。江戸時代の人口の推移をグラフで示していたのだけど、享保年間に三千万人に達したあと、明治維新に至るまで100年以上、ピタリと増えずに終わった。「もしかしたら日本は三千万人しか養えないのでは?」ということに気がついた瞬間だった。

ちょうどその頃、「土のはたらき」という本で、1kcalのコメを作るのに2.6kcalの石油を使っていることを知った。この2つがつながり、「日本は石油が手に入らなければ、三千万人を養うのが精一杯なのでは?」という仮説が思い浮かんだ。それから30年、コツコツとデータをかき集め、検証した。

結果的に、最初のこの直感を覆すデータを見つけることができなかった。「こうすればなんとかなるんじゃないか?」と問いを立ててはそれを検証するため、データをひっくり返したが、「石油は極めて優秀なエネルギー」、しかし「その他のエネルギーは足りない・使いにくいなどの欠点がある」を覆せなかった。

バーツラフ・スミル「世界を養う」によると、化学肥料を一切使わずに地球が養える人口は30〜40億人だという。今の世界人口の半分しか養えない。この構造は、そのまま日本にもあてはまる。もし石油を思うように使えなくなった場合、日本は江戸時代と同じ三千万人か、それ以下しか養えないだろう。

石油以外のエネルギーは①量が大したことない、②貯めにくい、③大型トラックや船、飛行機を動かすのにパワー不足、などのいずれかの欠点がある。この点、石油は量が莫大であり、軽くて貯蔵しやすくて、運びやすく、大型トラックでも飛行機でも船でも簡単に動かすことができた。極めて優秀。

化学肥料の重要な原料であるアンモニアを製造するためだけでも、世界のエネルギー消費の1〜2%にもなるという。石油というエネルギーが使えなくなっても、そんなにエネルギーを大量に消耗する化学肥料の製造に、エネルギーを振り向けることができるだろうか?

石油利用が始まったばかりの頃、石油は採掘に要したエネルギーの200倍採れたという。しかし今や10倍を切るようになったと言われる。3倍を切るとエネルギーとして意味がなくなる。ガソリンや軽油に加工するにもエネルギーが必要だからだ。その「3倍」の数字に近づきつつある。

石油をエネルギーとして利用できなくなったとき、代わりとなるエネルギーは出現しているだろうか?現時点ではまだ見えていない。それまでに石油が意味を失うことはないだろうか?食料生産の仕組みをそれまでに変えることはできるだろうか?考えれば考えるほど、難しい。

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