飢餓の苦しさ 断食から感じたこと

初めて断食したとき、大峰山に登り、塩と水だけで何日耐えられるか試してみた。2日間はさほど苦しまずに耐えられた。腹が減ったら塩をなめ、水をがぶ飲みすれば空腹はとりあえずごまかせた。テントの中で寝ていればそんなに苦しまずに済んだ。問題は三日目。

水を飲んでも鉛のような味を感じるようになった。味覚が鋭敏になって、味のしないはずの水に溶けてるミネラルを感じるようになったらしい。もっと滋養のある、ちゃんとした食べ物を食べろと体が訴えてることがよくわかった。それでも日中はまだよかった。

空腹で動く気がしない。水を汲みに歩くのも、少しの坂を上がるのに息切れ。腕を上げるのがだるい。水はもう鉛の味がして空腹をごまかせない。持ってきた本を読んでいても、本を持ってることがだるくて仕方ない。空腹をごまかそうと眠ろうとしても、意識が冴え冴えして眠れない。ヒマで仕方ない。

それでも日中は、歩くアリンコを眺めたり、木の葉が風で揺れるのを眺めて、時間をつぶすことができた。「あの葉っぱは食べられるかな」ニオイなどに敏感になり、食べられるかどうかのカンも鋭くなった気がした。

夜になると。テントの天井しか眺めるものがない。本を読もうにも腕を上げるのがだるくて仕方ない。眠ろうにも空腹感が強くて眠れない。意識が冴え冴えしすぎて全く眠くならない。ただ空腹感と向き合うしかない。ヒマ!ヒマなのに気を紛らわせる力が体にない!ヒマだからついつい空腹感ばかり見つめる!

そうだ、受け身で気を紛らわせることが、ラジオならできるぞ、と気がついて、ラジオをつけた。AMラジオをつけると、その日に限って食べ物の話ばかりする。こりゃかなわん。FMなら音楽ばかりたからいいだろ、と切り替えた。

そしたらその日に限って食べ物に関する歌ばかり。スイートだとか甘いとかストロベリーだとか。そしてとうとう。
「今日は日清から新しいカップヌードルが販売されました!早速試食したいと思います!」ズルズル〜という音を聞いてもう我慢ならなくなり、おかゆを慌てて作って食べた。むっちゃ美味しかった。

この断食の体験で感じたこと。もし自分一人だけだったとしたら、もしかしたら死ぬまで我慢できるかもしれない。しかしもし、自分に家族がいて、守るべき人たちがこんなに苦しい思いをしているとしたら。棍棒持って「食料よこせ!」と奪いに行くだろう、と思った。そのくらい、飢えは苦しい。

飢えると治安もクソもなくなる。もはや抑えられない。魚津の女性たちが始めた米騒動は(魚津の女性達はすぐ解散したのだが)、その後、軍隊を出動させてもなかなか収まらなかった。子どもが飢えて泣くのなら、軍隊が銃を向けようと立ち向かうだろう、と思う。そのくらい飢餓は苦しい。

飢餓は社会システムを破壊する。飢餓は招いてはならない。そのためにはどうすればよいか、真剣に考える必要がある。

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