「真面目にコツコツ」に目を向けることの恐るべき効能

昨日、この文章をアップするとそれなりの反応があった半面、それでもまじめにコツコツなんてのをまともに評価していたら競争社会の中で生き残れない、という意見もあった。それについて少し考えてみたい。
https://note.com/shinshinohara/n/n23d5dbc475d8

まじめにコツコツ働く人間を評価して、天下を取った人物がいる。劉邦。
劉邦が中国を統一したあと、最も功績のある人物を表彰することにした。劉邦は何度も命の危険にさらされ、それを何度も助けられているから、「俺こそ劉邦の命の恩人」という人物がいくらでもいた。で、誰が一番の功績者だったか。

戦場に出たこともない、命を懸けて戦ったこともない、後方で物資調達を行っていた蕭何。なんで?とざわつく中で、劉邦は一言。「俺たちのメシは誰が送ってくれていた?」
劉邦軍はライバルの項羽と違って、実によく負けた。負けたらふつうはそれで終わり。しかし劉邦軍は負けても負けても復活した。

それは、蕭何がどこからか食料や武器をかき集め、「劉邦軍にさえいればメシが食える」からだった。このおかげで劉邦軍は負けても負けても軍勢を集めることができ、ついに最強のライバル項羽さえ倒してしまった。

驚くべきは、物資調達という、軍隊の中では縁の下の力持ちもよいところ、全然目立たない、実に地味な仕事を、勲功第一として評価した劉邦の眼力。そしてこのエピソードこそ、劉邦軍がなぜあれほど負けが込んでも復活できたのか、そして中華を統一できたのか、を物語っている。

劉邦は、物資調達という目立たない、とても地味な、けれど大切な仕事をきちんと評価し、「お前のおかげで俺たちがある」と、普段から感謝を述べることができた男だったのだろう。だからこそ後方にいる人間は必死になって物資を調達し、前線に送り続けたのだろう。

目立たない、縁の下の力持ちにさえ視線を送り、その活躍に驚き、感謝する。そんな劉邦だったからこそ、末端に至るまで発奮し、たとえ負けて軍隊が散り散りになったとしても再び集まり、劉邦を助けようとしたのだろう。まじめにコツコツ働く人を高く評価したことが、劉邦を天下人にしたのだろう。

同様のエピソードがある。孫呉の兵法、と、孫子と並び称された兵法家、呉起は、兵士たちと一緒に徒歩で歩き、同じものを食べ、同じ寝床で寝た。あるとき、兵士の足の傷が膿んだ。呉起は口でその膿を吸いだした。その様子に感激した兵士が、けがをした兵士の母親に言って聞かせた。

すると、母親が嘆き悲しみ始めた。「どうして泣くのだい。将軍様が自ら膿を吸いだしてくれて、喜ぶ所じゃないか」と、友人の兵士がいぶかしがると、母親は次のように答えた。「あの子の父親も将軍に膿を吸いだしてもらい、感激して、将軍のために命を懸けて戦い、死にました。息子もそうなると思うと」

呉起は兵士の一人一人の頑張りに目を配り、けがをすれば自ら手当てするような人物だったから、兵士たちは発奮し、将軍のために、となって必死の戦いをしたのだろう。普通の将軍が見ないところにまで目を配るからこそ、呉起の軍は士気が高かったのだろう。

豫譲という男は、恩人のかたき討ちのため、漆を顔に塗って人相を変え、炭を飲んでのどを潰し、全く別人のふりをして仇を討とうとして失敗、捕まってしまう。仇とされた人間は、その覚悟の強さに半ば感心し、なぜそんなにもなれるのか、聞いてみたくなった。

「豫譲よ、お前は最後の主人に仕える前、二人の主人がいたはず。でも彼らのためにお前はそんなに尽くそうとしなかった。なぜ最後の主人のためにそこまで命がけで私をつけねらおうとしたのか」
豫譲は答えた。「先の二人の主人は私をそれなりに扱った。だから私はそれにふさわしい仕え方をした」
「しかし最後の主人は、私を国士として扱ってくれた。だから、それにふさわしい報い方をしようと思ったまでだ」と。

人を人として遇する。それによって、すさまじいまでのエネルギーを引き出すことができることを、この豫譲のエピソードは物語っている。

さて、ここ20年の日本は、多くの仕事を「誰でもできる取り換え可能な仕事」ととらえ、多くの労働者を「他と取り換え可能な存在」としてとらえた。取り換え可能な「部品」扱いにした。豫譲の言葉にしたがえば、こんな人の使い方をする企業は、「それなり」の働きしか引き出せない。

しかし、決して目立たない、後方支援のような仕事をコツコツこなす人間にも気を配り、感謝を忘れなかった劉邦みたいな人物がリーダーだったらどうなるか。みんな発奮するのではないか。みんなが豫譲のようになって感激し、リーダーのために粉骨砕身、働くのではないか。

かたや、劉邦のライバルである項羽は、ついてこれる奴だけついてこい式だった。それにより、項羽は確かに電撃戦で幾度も勝ち抜き、一時は中国を統一したかに見えた。しかし、「ついてこれる奴だけついてくる」ことになり、結局多くの人たちが離れていき、最終的に「四面楚歌」となってしまった。

ここ20年ほどの経営は、項羽軍スタイルだったのではないか。そして誰もついていけない、ついていく気も起きない状態にしてしまったのではないか。項羽からはどんどん人が離れ、他方、劉邦にはどんどん人が集まった。結果、圧倒的に強かったはずの項羽に劉邦は勝った。

今の日本に、劉邦は現れるだろうか。組織の末端に至るまで人を感奮させ、やる気にさせ、このリーダーのそばにいたいと願い、負けても負けても離れようとする者がいない、そんな強靭な組織を作れる人間はいるだろうか。もしそんな組織を作れたら、みなが何としてもその組織を復活させようとするだろう。

目立たない、縁の下の力持ちにも目を配り、感謝を忘れないリーダーが率いる組織は非常に強いように思う。そんなリーダーのもとなら、「きっと俺が頑張れば、俺のことにだって気がついてくれる」と信じられるから。だから、劉邦軍は、項羽軍とは違う、集団が躍動するような底力を持っていたのだろう。

日本に、劉邦のような、目立たない仕事にも、縁の下の力持ち的な仕事にも目を向け、人々を感奮させるようなリーダーの登場を願いたい。いや、どの企業もそうであってほしい。そうなれば、日本は生まれ変わり、ものすごい力を発揮する国になるように思う。

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