「勉強するな」と言われるからしたくなる

徹子の部屋に出てくる戦前育ちの女優さん、「もっと勉強したかった」という声を複数聞いて興味深かった。「勉強は学校でやれ!」と親から言われ、薪を割ったり水くみしたり飯炊きしたり、ともかく家に帰ると家事がたくさん待っていて、勉強するヒマがなかったという。

他方、私が子どもの頃は教育ママという言葉もあり、家事なんか子どもに一切させず、学習教材をすべて取り揃え、家にいるすべての時間を勉強にあてることができるようにしてる話をよく聞いた。しかしそういうケースに限って、勉強から逃げてる話をよく聞いた。

人間って、アマノジャクなんだと思う。やるな!と制限されたことはやりたくなり、いくらでもやっていいぞ、むしろやれ、というお膳立てされるとやる気を失うといったような。戦前育ちで家で勉強させてもらえなかった世代の方が勉強好きで意欲もあるという点が面白かった。

私の子育て本や部下育成本を読んで下さった方はすぐおわかりのように、私は基本、人間をアマノジャクだと考えている。大人も子どもも。やれと言われたらやりたくない。やらなくていいよと言われるとやりたくなる。人間の心の仕組みは、どうしたわけかそうなっているらしい。

一つには、お膳立てされると、やらされ感(受動感)が出るのではないか。お膳立てされると、そうとははっきり言われなくても「私がお膳立てしたから今の君があるんだよ」と将来恩着せがましく言われそう、という感覚があるのかもしれない。そんな中でどれだけ頑張って成果を出しても、手の平の孫悟空。

他方、やるな!と止められると、やったった感(能動感)を得やすい。ダメだと言われても自分の意志を貫き通した、という達成感。常に抑制的に言われるから、いかに監視の目をかいくぐってやりたい時間をかすめ取るか、というゲーム感覚も生まれやすい。

うちの子どもが本を読み出すと止まらないのはそのせいかもしれない。「ごはんだよ!いつまで本を読んでるの!」と、止めに入る。キリをつけて!ともいう。本を読むのは、うちでは遊びの一つ。だから抑制しようと親は止めるのだが、そうするとなかなか読書をやめない。

あと、マンガと本の区別をうちでは設けていない。私もYouMeさんも、マンガや本のどちらも大好きで、そんなに区別差別しないで読む。マンガから学ぶことが多いと思ってるので、子どもがマンガ読んでようが本を読んでようが「いつまで本読んでる!そろそろ休憩しなさい!」と止める。

マンガと本の差別があるから子どもは本を避け、マンガを読もうとするのだと思う。本だと「どうぞどうぞ」という姿勢が親に見えるから読む気がせず(受動感が出るから)、読むと嫌な顔をするからマンガを読みたくなる(能動感があるから)のだと思う。

どんなものからも学びはある。区別差別するのではなく、どんな事柄からも学んで楽しむことが大切なのだと思う。そして楽しんでしまえば、すべては遊び。遊びだといくら続けても飽きにくい。だから止まらない。止まらないから、「いい加減にしなさい!」と抑制に入らざるを得なくなる。

でも実は順序が逆で、「そろそろ止めなさい」の制限かけるから楽しみになり、遊びになり、いくらでも続けたくなるのかもしれない。トムはおばさんからペンキ塗りを命じられたとき、楽しそうに続けただけでなく、友人からやらせてくれと頼まれても渋った。制限したから、よけいに楽しさを高めたのかも。

制限は楽しさを高める。無制限に勧めるのは楽しさを消す。人間はそんなアマノジャクなところがあるらしい。制限し、「いい加減に止めなさいよ」は、その行為をとても魅力的で楽しいものに変えるスパイスなのかもしれない。

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