昇進の陳腐化

うちの職場でもキャリア形成とかで説明会あった。昇進したがらないらしい。キャリアに研究者がカウントされてなかったので「研究機関が研究者をキャリアに数えんでどないしますのん」と言ったら説明に来た人黙った。私も昇進なんかしたくない。 https://t.co/bKYQvaDZEf

昔の人はなぜ昇進したかったのだろう?たぶん、人間関係の「結節点」になれたからではないか。
組織の一番下っ端だと、同僚としか人間関係がない。しかし昇進すれば部下たちを束ねる結節点になる。昇進すればするほど部下は増え、大人数の結節点になる。出世は、結節点になる貴重な機会だった。

しかし今は、SNSがある。TwitterやFacebookで多くの人とつながれる。昔なら、よほど昇進しない限りお近づきになれなかった人とも「友達」になれたりする。会社でわざわざ「結節点」になろうとしなくても、会社以外の場でいくらでも結節点になることができるようになった。

そのため、「結節点の陳腐化」も起きているように思う。人と多くつながっていることに価値を特に認めない。つながりたい人とだけつながり、つながりたくない人となんかわざわざつながらなくてよい、という考えにシフトしてきた気がする。
なのに、会社の人事システムは古いまま。

昇進は、仕事や能力を認められたからだ、と喜ぶ人が多かったのは少し前まで。今は余計な仕事が増えるばかりで給料は増えない、ろくなことがない、という認識に変わりつつある様子。ならば、昇進して部下たちの結節点になることは、むしろデメリットでしかない。

私が部下育成本を書いた六年前でもすでに、六割以上が出世したくない、と答えていた。人の上に立ち、たくさんの人とつながる結節点になることに魅力を感じなくなった。
なのに会社は、昔の価値観でいるものだから「今の人間はガッツがない」「欲がない」と間違った解釈をするようだ。

むしろ逆。欲があるからこそ、人の上になんか立ちたくない、という社会状況になっていると言える。そもそも、管理職になっても大して給料や待遇をよくしない会社のケチ臭さを棚に上げるのはいかがなものか。

また、「上下」で捉える人間関係も、修正を迫られているように思う。昔は、人間関係の結節点になることは、人の上に立つことだった。しかしSNSが発達した今、人の結節点になるのは、偉そうにすることではない。もっと横並びなつながり方になっている。会社の人事も、もっと横並び思想の方がよいかも。

昇進すると「人の上」に立ったことにし、それを理由に責任をおっかぶせるのは無理があるのではないか。給料も上げないし。それくらいなら、責任はかぶせずに、人と人を調整する「調整役」に徹した方がうまく回るのでは。責任は全員で分担して。

SNSと同じ感覚で会社組織を組み直すのもありかもしれない。
社長だから偉い、というのも、昔とは違ってそんなに雲の上の存在には感じなくなった。会社もそろそろ、人事の捉え方を大きく変革する必要に迫られているのかもしれない。

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