「楽しむ」は理解力の源泉

何度説明しても理解できない。他方、一度説明したら理解できる人もいる。理解力の差はどこから生まれるのだろう?もしかしたら「楽しむ」ことにあるのかもしれない。
楽しくないことはやりたくない。考えたくない。だからイヤイヤ。仕方なく。用が済めば忘れてしまう。それでは理解力は育たない。

しかし楽しんでると、そのことをずっと考える。理解できなかったことでも、楽しいから理解したいと思い、ずっと考える。ずっと考えてるから、全然違うことをやってても、何かの拍子に「ああ!そういうことかあ!」と理解できたりする。あるいは他の現象と似てることを発見したりする。

もし私がいささかでも子育てに関して言語化ができているのだとすれば、それは子育てを楽しんでいるからだと思う。YouMeさんと子どものことを話し、情報共有し、どうしたらよいかを考えることは楽しい。楽しいから考え、考えることが楽しいから新たな発見や理解の深まりがあるのだと思う。

職場では、学生やスタッフが自律的に動いてくれるように心がけているのは、「楽しむ」こと。で、どうやって楽しむかというと、発見や工夫を楽しんでもらうこと。
私は、学生やスタッフの人が気づきを口にしてくれるのを楽しみにしている。そのせいか、みなさん気づきを得ようとよく観察する。

また、工夫が私は大好き。学生やスタッフが工夫してくれると「よくこれに気がつきましたね!」と驚く。すると、工夫して構わないんだと安心し、いろいろ工夫して楽しみ出す。楽しむと、目の前の仕事や研究の理解が深まる。観察も鋭くなり、工夫も的確で画期的となる。出発点は「楽しむ」。

私は数学が苦手だったので、子どもたちに教える自信はなかった。数学力のない私が子どもの能力を引き出すにはどうしたらよいのだろう?私は、「楽しむ」だと考えた。
子どもが計算や数学的思考を楽しむにはどうしたらよいか。「驚く」ことだと考え、それを我が子たちに試してきた。

算数や数学について一切教えないことにし、ただただひたすら、子どもが数学的なことをしたら「驚く」ようにした。すると、子どもは自然と数学的思考をするのが楽しくなったらしい。何しろ親を驚かすことができるから。
私が小学生の時に絶対手を出さなかった数学の本を息子は貪るように読んでる。

親が驚くと、子どもが学ぶことを楽しむようになるらしい。上司が驚くと、部下は鵜の目鷹の目で観察して気づきを得ようとしたり、工夫することを楽しむらしい。教師が驚くと、生徒は考えること、理解することを楽しむようになるらしい。「驚く」は「楽しむ」の触媒。

そして「楽しむ」は、学習意欲の基礎であり、勤労意欲の基礎であり、思考能力を発揮させる原動力であるらしい。
いかに「楽しむ」をデザインするか。それにより、子どものみならず大人の理解力にアクセルをかけ、殻を破ることが可能になるように思う。

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