化学農薬賛成でも全否定でもない隘路

この記事を書いたら、化学農薬は無害で安全安心だとまで勘違いして読む人がいた。人体に蓄積する心配はまずなく、むやみに心配する必要はないと言う意味で書いたが、それ以上のことは言っていない。化学農薬は生態系のどこを痛めつけるかわからない点は注意が必要。
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実験室で化学農薬が天敵昆虫(害虫を食べる昆虫)に作用しないことを確認した上で農地に散布しても、害虫だけでなく天敵昆虫も姿を消してしまう現象が起きることがある。天敵昆虫は害虫以外も食べて生きていけるはずなのに。生態系のどこかを痛めつけ、天敵昆虫が生きていけない環境に変わるらしい。

私自身の体験。蒸留水だとお金がかかるということで、純水としては少し品質が劣るイオン交換水で微生物を培養した。すると、目的の酵素をほとんど作らなくなった。イオン交換水だって純度のかなり高い水のはずなのに。原因がわからず、蒸留水を使って培養したら元に戻った。

どんな成分が生態系のどこにどう作用するか分からない。だから、化学農薬を使用する際も、不必要に環境に拡散するような使い方は避ける必要がある。いわば、医者から処方された薬を他の家族やご近所に飲ませる必要がないのと同じ。本人だけが飲めばよいこと。

「生態系のどこに作用するか分からない」とだけ言ったら、今度は「そんな恐いもの、一切禁止した方がよいのでは?」と考える人もいるかもしれない。しかし、現代人は忘れているが、蝗害(こうがい)の恐ろしさを忘れてはいけない。

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」の翻訳者、上遠恵子さんは、自著で、蝗害で農家が苦しめられることがなくなったことの驚きを記している。イナゴなどの害虫がすべての作物を食い尽くす蝗害は農家の生活を根底から破壊する。その脅威が、化学農薬の登場でピタリと止まった。

化学農薬の登場により、農家は大きな被害を受けることが減り、生活が安定するようになった。戦後社会の安定は、化学農薬の登場による農業被害の大幅低減によるところが大きいことは、忘れるべきではないと思う。

ただし、化学農薬の威力を目の当たりにした当時の農家が、科学の力を信じすぎてバンバン化学農薬をまきすぎた。その結果、カーソンが指摘した生物濃縮の問題が起き、生態系への影響が出てきた。農薬メーカーは反省し、分解されやすく、水溶性で生物濃縮される心配のない成分に作り替えるようになった。

現在の化学農薬は、生物濃縮が起きる心配もなく、生態系への負担も小さいと考えられる。しかしそれでも、生態系のどの生物に悪影響を与えるか分からない部分は残されているため、使い方と使用量には注意が必要。なるべく使用量と使う場所を制限する必要がある。

現在は微生物農薬も開発され、自然界にいる微生物の力を借りて病気や害虫を抑える技術も開発されている。化学農薬の出番を減らし、生態系への負担を減らす技術が生まれている。化学農薬を極力減らす技術開発は、ますます進んでいくものと考えられる。それでも。

蝗害などの甚大な被害がかつてあったことを忘れるべきではない。化学農薬が登場するまでは、手の施しようがなかったそれらの被害をどうくい止めるか。蝗害がひとたび発生を許したら、いまでも手の打ちようがない。自然は必ずしも人間に優しい訳ではないことも頭に入れておく必要がある。

化学農薬を完全に手放して、果たして日本での蝗害発生を防げるのか?化学農薬を野放図に使用し、生態系を破壊して、人類は生きていけるのか?
生態系へのダメージを極力減らしつつ、蝗害のような甚大な災害を避ける道を探る必要がある。それには。

化学農薬全否定も、全肯定も、安易にとれる道ではない。化学農薬は極力使用しない方法を探りつつ、いざという時のためにとっておく、という、化学農薬賛成派からも反対派からも中途半端と見られかねない細道(隘路)を探るしかない。
物事はスパッと割り切れるものではない。農業も、またしかり。

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